【つぶやき】18歳で描いた夢を24歳で叶えた話
18歳の時、夢ができた。
アスリートを支えるスポーツ栄養士になることだ。
きっかけは、部活の同期である。
彼は中学3年ぐらいの時から
「俺は日本体育大学に行く!」と言っていた。
最終的に、本当に日体大に現役合格した。
誰に何と言われようと、自分を貫く姿が眩しかった。
私は逆に勉強が得意だったので、高1までは東大を目指していた。
しかし、高2の時に理系のトップクラスで落ちこぼれ、勉強に対するモチベーションが全くなくなった。
生きている意味もわからなくなった。
そんな時に思い浮かんだのが、彼の姿だった。
自分の夢がないのなら、頑張って自分の夢を追いかけている人を応援しよう。
そう思って、アスリートをサポートする仕事を色々探した。
偶然本屋で見つけたこの2冊の本が、私に栄養士という道を与えてくれた。
大学受験の際には、管理栄養士養成課程があるところを目指し、なんとか合格した。
そして、大学生活がスタートした。
大学に入学した時から、
私は「スポーツ栄養に関わりたい!」ということをずっと言い続けていた。
他にもスポーツに関わりたいと言っていた子はたくさんいた。ただ、4年間それを貫いていたのは多分学年で私だけだろう。
なぜなら、スポーツに関わる就職先を探すのはとても難しいからだ。
トレーナーを必要とするチームは多いが、栄養士を必要としてくれるチームは少ない。
しかも、スポーツ業界は正直給料が高いとは言いがたい。
それでも、部活の同期にもらった夢を捨てたくないという思いで、ひたすら貫いていた。
その甲斐もあってか、3年生の時には、教授から陸上部や野球部の栄養サポートを任せてもらえるようになった。
陸上部の夏合宿に帯同して、1週間ひたすら40人分のごはんを作ったこともあった。
就職先もスポーツに関われる場所を探していた。
しかし、大学4年生になった時、あるものが
日本列島を襲った。
新型コロナウイルスである。
就職活動は一旦全て打ち切り。
大学も閉鎖。
この先どうなるのかわからなかった。
自分の命が最優先で、夢がどうとか言っている場合じゃなかった。
しかし、それでも、私の心が折れることはなかった。
なぜなら、10年前に同じような状況を経験していたからである。
大学4年生から遡ること10年。
当時小学校6年生だった私は、東日本大震災を経験していた。
偶然だが、その時も学校の卒業間近だった。
(そんなわけで、小学校も大学もなんか気がついたら卒業していたって感じである。笑)
日常が一気に変わる瞬間を見たことがあったのは、不幸中の幸いだったのかもしれない。
とりあえず就職浪人だけはしたくなかったので、なんとか就職できそうな場所を探した。
最終的には、老人ホームや病院の厨房を運営する給食会社に内定をいただいた。
スポーツとは全く関係ないが、この社会情勢で就職先があるだけありがたいと思った。
社会人1年目の6月には、本配属で地方の病院へ行くことになった。
病院は全く興味なかったが、知らない土地で初めての一人暮らしが始まることにはワクワクしていた。
新しい土地に引っ越して半年。
近所のスーパーにあったチラシを見て、近くに社会人サッカーチームがあることを知った。
もともと地元の近くのサッカーチームでマネージャーをやっていたのだが、正直遠いなと思っていたところだった。
転勤先のチームにも見学に行ってみることにした。
転勤先にあったサッカーチームは、今まで自分が見てきたサッカーチームより格段にレベルが高かった。
選手たちの意識も高く、とても勉強になった。
新しいチームに行ってからはサッカーにどんどんのめり込んでいき、全く知らない土地でマネージャーをやる生活になった。
だんだんコロナウイルスも落ち着いてきた社会人2年目。気がつけば23歳。
私は新たな挑戦をすることにした。
病院勤務を辞めて、大学の運動部の子たちのサポートをすることにしたのである。
大学のとある寮で、サッカー部と陸上部の子たちをサポートする生活が始まった。
ただ、所属していたサッカーチームも好きだったので、マネージャーは平行してやっていた。
平日に学生寮で働き、週末はサッカーチームに行く生活。
とても忙しかったが、充実していて楽しかった。
1番印象に残っているのは、箱根駅伝の予選会に関わったことだ。
早朝(もはや真夜中)の2時半に出勤して、出場選手やサポートする選手たちの朝食を準備。
陸上部全員を送り出したら、今度はサッカー部の子たちの食事の準備。
選手が最高のコンディションで戦うためには、
多くの人の支えが必要なのだということを実感した。
自分が選手としてスポーツをやっていた時、もっと周りの人に感謝すればよかったなぁと反省した。
社会人3年目。
24歳になり、サッカーチームのマネージャーは引退した。
今は学生寮の仕事1本で過ごしている。
チームを離れる時に選手・スタッフの人たちがサプライズでプレゼントを用意してくれた。
嬉しくて涙が止まらなかった。
社会人として半人前以下だった私を受け入れ、
育ててくれたチームのメンバーには心から感謝している。
本当にありがとうございました。
スポーツ栄養士になりたい!
そう思ってから気がつけば7年が経った。
ちなみに、目指すきっかけになった部活の同期とは、成人式を境に気がつけば疎遠になっていた。
10代の時に追いかけていた背中は、
今はもう目の前にない。
その代わり、
今の私の周りには、
スポーツをやっている人たちがたくさんいる。
目の前にいる人たちを全力で応援し、
パフォーマンス向上に貢献できるように、
自分自身の知識や技術を高める。
それが、25年間の人生で出会った人たちへの恩返しであり、今後の人生の道しるべになっていくのかなと思う。
20代後半戦、開幕。
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