見出し画像

私の好きな本を7日間で振り返る。4

四日目

『和解』 志賀直哉

文章を書く上で強い影響を受けた作家が2人います。
1人はダシール・ハメット。アメリカにおけるハードボイルドという小説分野の名手です。
ハードボイルドのスタイルは強い影響を受けました。
またダシール・ハメット氏については後日ゆっくりご紹介致します。
2人目は今回ご紹介する志賀直哉という人物です。
彼の小説は1文が非常に短く、すっきりとした印象を受けます。
そして、なにより簡潔で、簡潔であるが故に力強いのです。
作家の遠藤周作氏はあるエッセイの中で以下の旨のことを書き綴っています。
曰く、余裕のない人ほど、改行の少なく、長い文章を書く。余裕のある人は短くて、改行の多い文章を書く。と。
そういった意味では、志賀氏の文章は余裕で溢れております。
彼ほど、短い文章の積み重ねを駆使した人はいません。
しかし、それ故の弊害なのか、志賀氏は長編小説というものを、
片手で収まるほどの数しか書き残しておりません。
彼の代表作に、暗夜行路という長編作品がありますが、
ある人に言わせれば、「長編の集積」という見方もあります。
しかし私に言わせればそれで良いのです。
志賀氏が長編小説を書けなくても、良いものは良いのです。
人にはそれぞれ得手不得手があります。
ラグビー的にみれば、それぞれの得意なポジションがあるのです。
彼の長編が短編の集積であったとしても、それがなんだというのでしょう。
彼の得意分野は短編小説であった。比類なき短編の名手であった。
それで良いのです。

そしてもう一つ、彼の凄みを感じるのは、
彼の正確無比な描写の数々です。
小説は基本的に頭に絵を描きながら読む場合が多いでしょう。
ただ、なかには指摘したくなるような作家さんもいらっしゃいます。
例えば、即興で良くない例を書きますが、

こだまの座席に座って、私はぼうっと窓の外を見た。
そこには新大阪駅の無機質なホームが鋭く描写されている。
売店の売り子がいかにも気怠そうに、店のシャッターを閉めているのが見える。
ふと、私は反対側の窓に目をやった。
うすぼんやりとホームが見えるなかに、一つの人影を見つけた。
玲子の顔が見えた。玲子は私の顔が目に入るや否や、大きく手をふった。
無機質なこだまのエンジン音が車内に響く。
私は目を凝らして、遠巻きに見える玲子の顔を見続けた。
やがて、こだまはゆっくりと新大阪を出ると、
真っ黒な大地を切って走り出した。
そこで私はゆっくりと席を立ち、よろよろと座席につかまりながら、
喫煙室へと歩き出した。

と、間違い探しの如く「んな、阿呆な!」という文章なのですが、
一つ大きなところは、
新幹線が止まっている反対側のホームに親しい女性がいて、
きちんと主人公を視認し、大きく手を振るのです。
他にも数限りなくあるでしょうが、矛盾の塊のような文章です。
極端な文章を書きましたが、
こんな現象が往々にして起こり得るのです。
志賀氏の作品には、驚くべきほど、このような矛盾が見当たりません。
これが志賀直哉を巨人たらしめているものの一つでしょう。

志賀直哉という人は、夏目漱石や芥川龍之介など、一般的な文豪と呼ばれる人たちと並べると、知名度は劣るでしょう。
ただ、彼の描写の的確さ、完結さは他に類を見ないものです。
ここに私は志賀直哉という文豪の再評価を望むものであります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この七月三十一日は昨年生まれて五十六日目に死んだ最初の児の一周忌に当たっていた。
自分は墓参りの為め我孫子から久し振りで上京した。
上野から麻布の家へ電話をかけた。出て来た女中に母を呼び出してもらった。

(本書の導入部から)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?