日記:人間強度が下がる
昨日、折り畳み傘を失くして凹んでいたので、今日、新しい傘を買った。こういう心の傷は早めに埋めておかないと、そのうち化膿して呪いのようになっていく…………ような気がする。この思い込み自体がもう呪いなのかもしれない。
気に入ったものを見つけることができたので良かった。今度は失くさないようにしなければ……。AirTagでも買うべきか……?そうすれば、不意の紛失というものなら避けられる。しかしそこまでして備えることそれ自体が心を重くしないだろうか。失うことを恐れて行動しないという自身の性向に拍車をかけるのではないか。それもまた好ましくない。
少し前にも書いたけれど、自分は物を捨てるのが苦手で、だからこそ物に執着しないように生きようとはしていたけれど、それでもやっぱりしがらみを捨てて生きるのは難しいようだった。自分はアニメが好きだけれど、関連グッズはあまり買うことがない。買ったら勿論捨てられないし、収集癖もあるからどんどんのめり込んでいってしまうと思う。だからこそ、その領域には踏み入れないように必死に精神を押しとどめている。
しかしそれでも、部屋に物は少しずつ増えていく。オタクなので好きなゲームは限定版を予約してしまうのだけれど、それに付随してグッズが増えていってしまう。アニメイトでCDを買ったら、飾るわけでもないポスターが増えていく(だったら特典の付くところで買わなければいいじゃん、という話なのだが、それはそれで勿体ないような気もして、結局店舗に足を運んでしまう)。そうやって増えていくものは非売品ばかりなものだから、生半に手放すということもできない。人は死を恐れるのと同様に、取り返しのつかない喪失を恐れるのであるが、容易に買い戻すことのできない物の喪失はまさしくそれである。
非売品や記念品の類が取り戻せないもののひとつだとして、もうひとつ挙げるとすればそれは思い入れのあるものである。自分にとっては傘がそうだったし、人は生きていく以上多く物を伴って日々を過ごしているわけで、そこにどうしても思い入れは生じてしまう。人によって多寡はあろうが、そこには唯一無二の時間があり、その時間が既製品をかけがえのない物へと変えていく。
取り戻せない物の喪失は死に匹敵する恐怖である。思い入れのある品が増えていくことで、それが欠けていくことのリスクは単純に増していく。失いたくないものが増えていくということは、つまり弱点が増えていくということである。
『傷物語』において、友達がいないことを指摘された主人公の阿良々木暦が冗談めかして言ったのが「友達を作ると、人間強度が下がるから」という言葉だった。友達が悲しいと自分も悲しくなるから、友達が増えることは弱点が増えることで、すなわち弱体化(=人間強度が下がる)という理屈をつけているのだけれど、それになぞらえて言うのなら、思い出の品が増えていくことも人間強度を下げてしまうのではないだろうか。
勿論、思い出が勇気を与えてくれることもある。だから差し引きを考えてみれば決してマイナスにばかり落ちていくということもないのだろうけれど、しかし喪失の痛みがもたらす瞬間的な激しさというものは耐えがたいもので、だから落ち込む中にいるときはどうしたって負の側面ばかりが目についてしまう。これ以上失うくらいなら、もう何も手にしたくはない。別れの悲しみを味わうくらいなら、最初から出会わなければよかった。そんなことを考えてしまう。
それも一過性の激情なのだろう。喪失の痛みが癒えてきて、少しずつ世界が美しいものとして感じられるようになってきたとしたら、その時は世界を呪ったのと同じ口で前向きな言葉を語るだろう。そんな円環を繰り返して、時の歯車は回っていく。人生の最後に待っているのが死という喪失なら、生きている間くらいは明るい夢を見るのがちょうどいいのかもしれない。
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