レコメンド時代のセレンディピティ枠

マーケターにとっての正義

なんでもかんでもターゲティングが良しとされている時代である。企業のマーケティングはターゲティングなくして成り立たないとすら言える。企業はなぜターゲティングするのか。効率化のためだ。より少ない予算で、最大の効果を上げる。企業としての正義を追及したらそうなった。

ターゲティング精度が高まることの消費者への恩恵

企業がよりターゲティングすることで、消費者にも恩恵があった。ある企業からターゲットではないと判断されたならば、その企業からの宣伝を受け取らなくて済む。企業が30代前半の未婚女性にターゲットを絞って広告を打とうとし、Facebookのソーシャルグラフなんかを活用してそれを実現するならば、20代の未婚女性や30代既婚女性にその宣伝が届くことはない。30代既婚女性にその宣伝が届いても「自分には関係ない」といって、どうせスルーするんだから、初めからその情報は受け取る必要がないし、情報が溢れる日常において、邪魔な情報が一つ減ったことになって、なんとなく少しだけ良かったかもしれない。

マーケティングにおけるターゲティングは今に始まったことではない。ずっと昔から、「このターゲット層に対して宣伝するためには、その人がみていそうなこの媒体に広告を出そう。」そうやってきているわけである。その精度がどんどんどんどん上がってきている、それだけのこと。

no ビッグデータ、no マーケティング

会員カード・ポイントカードによって企業は、顧客の性別・年齢・居住地といった個人情報の他、その顧客がどこでいつ何を買ったかという購買データなどを大量に蓄積する。また、消費者はソーシャルメディアを使って、「あれを使って良かった」「これが嫌い」「嬉しい・楽しい」「最悪だ」そんなことを日々呟く。所謂「ビッグデータ」。それらのデータからいかに分析し、活用すべきかを、今や企業は良く知っている。そして企業のマーケティングを支援する会社も、「いかにデータを上手く扱えるか」をウリにしている。

大量の複合的なデータによって、消費者一人ひとりの趣向性が浮き彫りになりつつある。実際には、企業のマーケター(人間)本人は、たっくさんいる顧客一人一人のことをわかっているわけではないのだが、コンピューターは知っている。Aさんは東京都世田谷区に住んでいて、毎週食パンを買っていることを。 2週間に一回DVDをまとめて借りていて、ヒューマンドラマ系のものが多いことを。そしてそんな彼女は26歳、独身。Bさんのことも、Cさんのことも同様に知っている。

そんなようなデータから、消費者のことを色んな軸で分類してみたり、あるまとまりの法則性を見つけてみたり、きっとAさんはこうだろうという予測を立ててみたりする。

”素晴らしき”「レコメンド」

そこでまた企業のマーケティング活動で使われるのが、「ほら、お前、これ好きだろ?」っていう「レコメンド」だ。その消費者にとって全く興味のないものよりは、少しでも興味を持つ確率が高そうなものを提案してあげたほうが、消費者もきっと喜ぶし、買ってくれる確率もきっと上がる。

しかも最近では、コンピューター(人工知能)は、人の好みを学習する。コンピューターがまず、「これ好きなんじゃない?」と提案する。消費者は、その提案に対して、「好き」とか「嫌い」とか反応を返す。そうすると、コンピューターは、「あ、これは好きじゃないんだ。じゃあこれは?」とまた提案をしていく。その消費者の、提案に対しての反応に加え、例えばその人に似た消費者のデータ、それから商品を構成する要素だったり、様々のデータを通じて、コンピューターはどんどんと賢くなる。その人の好みを段々見誤らなくなる。

いいじゃんいいじゃん。だって、私はどうせフリフリの服とか着ないから、そういうのレコメンドされても困るし。買わないし。人生哲学的な要素を持ったヒューマンドラマ好きだから、レコメンドされたら多分喜んで観るし。(そういえば余談だけど、そういうデータを駆使して、人が好む要素満載の映画を作っちゃうプロジェクトがあるってどこかで聞いたな。)

「セレンディピティ枠」

いやーちょっと待って。それ、面白いのか?

いずれは、興味ないものは目にすら映らない(映さない)、耳にも入ってこないような未来、ありえちゃうんじゃなかろうか。好きなものだけ、見たいもの、聞きたいものだけ、摂取する。そんな未来。

一つのシナリオとしてそれは確かにあり得る。でも、そうはならないのではないかという希望もまだある。

セレンディピティって言葉があった。

何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能(Wikipedia)

のことを言うらしい。偶然によって幸運をつかむ。

恐らくこれの良さを否定する人はいないだろう。どんなにターゲティングやレコメンドを推奨している人だって、偶然の出会いによって思いがけず良いアイディアが生まれたり、嬉しい気持ちになった経験があるはずだ。

だから、私はターゲティングやレコメンドが極限近くまで追求されていったとしても「セレンディピティ枠」が残っていくんじゃないかと期待している。

Apple Musicは、最初に私の音楽の好みのジャンルやアーティストを3つくらい尋ねてきた。私は、「これによってレコメンドされる音楽が左右されるんだろう」と思ったから、「こういう音楽をレコメンドしてほしいなあ」という期待を持ちながら登録した。

だけど実は、無関心の領域を登録してみたり、逆に何も登録しなかった方が、色んな新しい出会いもあったかもしれない。TSUTAYAでジャケ借りして、「思いがけず良くて感動した!!」みたいな体験を、Apple Musicはさせてくれるだろうか。

真実は知らないけど、Apple Musicのレコメンドにも「セレンディピティ枠」は反映されているかもしれないと思う。「この音楽が好きな人は、この音楽も好きである」ということに基づくレコメンドが9割だけど、逆に「この音楽が好きな人が全く聴かなそうな音楽」を1割レコメンドする、みたいな。そういう遊びがあっていい気がする。

「自動化、はよ!」by マーケター

企業のマーケターとしては、どっちのほうが面白いか、つまらないかは、ほとんど関係がない。より売上に繋がるかどうかが問題である。

冒頭で述べた様に、企業はより少ない予算で最大限の効果をあげたい。できるだけ無駄なお金は使わずに、商品を欲しているであろう消費者にだけ情報を届けて、より高い確率で購入してもらう。

こういうやり方はおそらく既にある。要素1と要素2と...要素50を持っている人群Aは90%購買に至る、Aと比べてある要素が欠けている人群Bは70%購買に至る、・・・そういう計算の元、予算を配分していく(これには色んなアルゴリズムがあると思うし私は専門家じゃないからわからないけど)。また、今度は、aという群はこういうクリエイティブを好む、この時間に広告配信するのが良い、etc...という軸も加わってくる。こうやって購買率を高めるような動きはどんどん機械化されていくだろう。機械にとってはそんなのいっちょまえ。最初のアルゴリズムの設計さえ頑張れば、あとはほとんど人間が手を加えなくても良くなる。しかも最終的にはアルゴリズムのほとんども機械が見出していくことになるだろう。

これは、企業の一マーケターとしては、「早く実現してくれ〜」という想いである。それが自動化されたらそんな楽なことはない。いやほんとに。仕事減りますよ。


先ほどの話に戻って、では、企業は購買確率5%以下のZ群に対しては宣伝をしなくなってしまうのか、というとそういう訳ではないと思う。市場のパイを広げたり、市場を創り出すこともまた、マーケターにとっての使命であるから。むしろターゲティングの自動化が進むことによって、マーケター自身のリソースはいかにパイを広げるかというところにより割かれるようになるのかもしれない。すでにそうなっているのだろうか。

消費者の気持ちとしてはどうだろう。消費者は日々色んなところから影響を受けて、それが購買行動につながっている。これまで自分としては全然好みじゃないと思っていても、好きな誰かがそれをオススメしていたから好きになるかもしれないし、それはTVCMの影響かもしれない。

だから、そういう可能性がある限り企業もあらゆる手段を可能性として残しておかなければならない。とくに予算を多く持っているところは、尚更である。

なので、消費者としては自分に興味ないものが全て目の前に現れなくなるかというと、そういうわけではない。「セレンディピティ枠」にお金を払いたい企業もあるということだ。

世の中どうなった方がハッピーなのかなあ

私個人としては、何事も、世の中がよりハッピーになる方がいいなあと思っている。情報はどのようなかたちで消費者に届けられる方が、ハッピーなのだろうか。

たぶんそれは、個人個人の価値観による。一人の人生における時間は限られている中で、まったく無秩序の情報の海を泳ぎながら、たまたま出会った何かに恋をし楽しんでは、また何が現れるかわからない場所で永遠に旅を続けていくのか、自分好みの大量のモノで基本的に満たされた海の中で、「そうそう、私が求めていたのはこれなんだよ」というのに日々出会いながら生きていくのか(それでも時間は限られているのでその全ては消費できない)。

私は、前者の方がいいかなあ。そっちの方が「人生を変える出会い」がありそうだから。

でも、そんな二者択一じゃないってことはわかってる。どれだけGoogleが情報を整理しようとも、Face to Faceboの人間の出会いが排除されるわけじゃない。

想定通りで良かった、自分の好きなものに出会えて良かった、という感情は、「一次的に私たちの欲が満たされた気がする」というだけの話で、「予定調和ばかりの世の中なんてつまらない」というのが大多数の考えだと思うから。


「最適な情報を届ける」という名目のもと、マーケター(企業)好みの世の中にシフトしていこうとも(そのシフト自体は止まらない)、消費者は自分なりの判断軸を持って、もちろんその流れに乗ったり利用したりしつつ、ときにはあえてその枠からはみ出そうとしてみたりしてみてもいいんじゃないかな。

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