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資本主義嫌いに仕事と向き合う覚悟をもたらしてくれたもの、B Corpとプロダクトマネジメントと上場と。

2023年12月、私が勤める株式会社雨風太陽は上場した。「日本で初めてNPOとして創業した会社が上場を実現するインパクトIPO」とのこと。

私が雨風太陽(旧株式会社ポケットマルシェ)の門を叩いたのは2016年6月のこと。代表である博之さんが掲げるビジョンに強く共感して、サービスローンチを2ヶ月後に控えるポケマルに入社した。

NPO時代からのメンバーを除き、その頃から残る社員は私しかいない。私は古株であるだけでなく、当社の事業の中心テーマである「地域」「食」にはほとんど興味がないにも関わらず入社した、たぶん社員の中でも珍しいタイプである。

私は日本という成熟国家、課題先進国において、経済的尺度によらない豊かさを作っていくことを志向してポケマルに入った。

当時27歳、まだ若かった私は、資本主義に代わる何か、またはオルタナティブな経済圏を作ることについて、微々たる可能性を信じていた。そして、私はポケマルでそれをやりたかった。

理想と現実

現実はもちろん、そう甘くなかった。会社は生きるか死ぬかのところにいて、とにかくまずお金を生み出さなければならなかった。自分の中の理想、博之さんが掲げる理想と、それに対する現実との狭間で苦しみもがき続けた。

でも私は生粋のバランサーでもあって、博之さんが理想論に寄りすぎれば、自分は市場を向かなければと、踏ん張った。逆に会社が、本来の存在意義を忘れて振る舞いそうになると、味方が自分しかいなくても怒った。

いつだってしんどくて、怖かった。

スーパーラディカル

もうだいぶ前から、自分の理想の社会なんて自分が生きている間には実現しないってわかっていた。

会社は会社である限り、お金中心の理論に取り込まれてしまうことをどうしたって避けられないし。上場したら尚更なんじゃないか…

お金よりも、ポケマルがポケマルらしくあり続けられることを望んだ。ストックオプションをもらうことを拒否したこともある。お金はどうでもよくて、ただこの会社のためにできることをしたかった。

そんな姿勢はおそらく周りをも困惑させた。頑張るモチベーションがあまりに普通のビジネスパーソンと違ったのだから。

仕事にマジになれない

与えられた場所でそれなりに踏ん張って頑張ってきた。
でも、どこかで仕事に100%本気になりきれない自分もいた。ビジネスに邁進するということは、資本主義に自分も積極的に加担するということで(これまでも常に加担はしてきたわけだが)、それが自分ではまだ許しきれなかった。

だから、私はバスも通ってない100世帯未満の山の中に暮らし、小さな地域の経済に身を置くことで、バランスを取ろうとした。都会的な、大きな経済だけに飲み込まれまいとして。

都会の仕事はそこそこにして、そのうち山の中で小さな本屋を営むのだと、片足だけはいつも別のところに出していた。

転機

だけど2023年、山の中の本屋を2027年にやるという2021年に立てた目標は、いったん取り下げた。本屋の夢は諦めてはいないものの、具体的な時期を掲げるのはやめにした。今は、今の仕事に注力しよう、と思い至ったのだ。

B Corpがもたらしてくれた覚悟

きっかけは色々とあるのだが、一つはB Corpの存在である。

2021年、1人目を出産したあとの育休中、黒鳥社とバリューブックスが主催する「B Corpハンドブック翻訳ゼミ」に参加し、「株主だけでなく会社を取り巻くあらゆるステークホルダーに利益をもたらす」会社の在り方について学び、仲間たちと議論を重ねた。

そのときに、変わらないビジネスのルールや本質があったうえで、会社の意志次第で社会にポジティブな影響を与えるやり方が存在することを学んだ。B Corpのコミュニティでは、そういう意志を持った仲間の輪を世界中に広げることで、一社では到底作れないような大きなインパクトをもたらそうとしている。

私は、それまでビジネスそのものを変えなくては世界を変えることができないと思っていた。つまり、世の中がお金中心のルールで回り続ける限りは、お金に先立って人や地球を大切にすることが本質的にはできない。

今でもそう思っているが、そういうゲームチェンジに人生をかけているプロたちが世界にはたくさんいて、私は今そういう専門性を持っていない。私が今できるのは、ビジネスの中に身を置きながらじわじわと風穴を開けていくことである。自分の領域で自分の価値を発揮しながら、外にいる仲間たちと手を取り合って変革を起こす。

B Corpの存在がその覚悟をもたらしてくれた。

PM思考がもたらしてくれた覚悟

2023年、もう一つ私の考え方をアップデートしてくれたのは、「PM思考」なるものである。

7月から10月にかけて二度目の産休をとっていた私は揺れていた。仕事のこと、キャリアのこと。

入社当初から私はマーケティングとプロダクトの二足の草鞋状態が長く続いていた。会社や事業への想いは人一倍強かったが、自分がどうなりたいという意志やキャリア像がなかった。それが、一度目の産休復帰後にプロダクト配属となったことで、プロダクト専任の人になった。

約一年半がむしゃらに働いた後、二度目の産休に入り久しぶりのインプット期間を得たことで、ようやく腰を据えて「プロダクトマネジメント」を学び始めた。そこから、「あ、わたしはプロダクトマネジメントをやっていくんだな」と次第に覚悟が決まっていったのだった。

プロダクトマネジメントは私に大事な考え方を教えてくれた。それは、プロダクトマネジメントの基本中の基本である、「UX・ビジネス・テクノロジー」が互いに重なる有名なベン図の話だ。

PM思考では、いくらビジネス的に価値がある(売上が上がる)ことでも、ユーザーにとっての価値を無視するようなやり方は受け入れられない。常に、売上と同じだけユーザーへの提供価値が重視され、逆もまた然りである。

そしてその両立のための舵取りこそプロダクトマネジメントに求められることである。さらには、それらとビジョンを線で結ぶこともまた重要だ。そのことを理解した瞬間、これまで私が奮闘してきたこと、やりたいこと、やるべきことはきっとこれで、生粋バランサーの私にピッタリな仕事じゃないか、と合点がいってしまった。

それが腑に落ちるまでは、つい0-100で考えてしまい、あちらを立たせればこちらが立たない、の思考にとらわれてしまうことが多々あったし、それが私を苦しめてもいた。

まだ学びの途上ではあるが、意思決定はビジョンドリブン、PLドリブン、ユーザー価値ドリブン、どれか一つが正解というわけではなくて、レイヤーによって使い分ける、組み合わせるということなんだと思う。

全ての話は「バランス」に行き着くが、それは言うほど簡単なものではないし、天秤がきれいに平行になったらOKでもない。自分たちが大切にしたい要素に重みをつけたりしながら、自分たちなりのバランスを探っていくことが求められる。そこに必要なのはいつだって意志だ。

旅はチャプター2へ

これらの考え方との出会いや、上場というイベントは、私の十数年にわたる長い旅を中継地へと導いた。

自分のことを資本主義嫌いと一言で称するのは嫌なのだが、あえてその言葉を使おう。

十数年前に資本主義っぽいものに疑問を持ち始め、そこから私の苦しい旅は始まった。このややこしい病は、常に正解を保留にし考え続けることを私に課したため、いつも落ち着ける場所がなかった。

2020年あたりは、ポスト資本主義的な小ブームがあったが、私はそういう本を読むたびに、「みんな読もうよ!変わろうよ!」と思ってきた。でも、変わる気配はなかった。実践はどうするのか。世代交代を待つしかないと思った。

この三年での私の変化は、より具体的な実践に目を向けるようになったことかもしれない。ふわふわとして掴みどころのない理想論、距離が遠すぎて実現性のイメージが湧かないやり方にはいったん見切りをつけ(というか、専門家に託し)、私は私の領域でやるべきことをやろうとようやく思えるようになった。それは、35歳というこのタイミングだからこそ思えたことかもしれない。かといって小さくまとまる気もないのだが。


ここからまた、チャプター2が始まる。
このチャプターのいく先はどこだろう。チャプター1の終着地を全く予想できなかったように、次の旅路も行き先は不明!お楽しみである。


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