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他者を否定して生きる、という生き方

大人は生きていると自分とは異なる価値観を持つ他者に出会うことがある。

そのときに自分が取る態度は3つだ。

1. 影響を受けて自分の価値観を修正しようとする

2. 違う価値観であると容認する

3. 間違った価値観であると、否定する

実際にはこの3つの態度は入り混じることも多い。
受け容れようとしても心の奥底では怒りに似た感情が生まれたりと、多くの場合、葛藤は付き物である。


実際は確固たる価値観を持つような人は、わざわざ他人の価値観を否定する必要はないのかもしれないけれど(だってそれは大変にエネルギーのいることだ)、それは一種の防衛反応である。自分が正しいという自己肯定感は、心健やかに生きるためには必要なのだ。

あるいは他者を支配したい欲求がどこかに潜んでいるのかもしれない・・・。

逆に言えば、他者を容認できるようになるということは、心の重荷が少し軽くなるということでもある。少数派の価値観を持つ人ほど自分の立場を守り続けることは簡単ではない。折れてしまうほうがよっぽど楽である。

しかし他者を容認し自身の価値観を押し殺すことは同時に、"あなた"自身がゆらぐということで、あなたはつまらなくなろうとしているのかもしれない。

ある意味で、他者を否定し続ける強い心の持ち主は、他者を傷つけたり、多くの反発を招いたり、ときに嫌われたりするかもしれないけれど、きっとそういう人こそが世界を変えるとも言えるのだろう。


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抽象的な話になってしまったが、今回話題にしたいのは「世界はこうあるべき/こうなるべき」という信念(価値観)についてであり、パタゴニアという企業またはその創業者のイヴォン・シュイナードについてである。


私は先日パタゴニア創業者のイヴォン・シュイナード氏の著『社員をサーフィンに行かせよう』を読んで、前述のような「他者に対して強い態度でいる」信念の強さが世界をも変えるパワーになることを改めて学んだ。


パタゴニアのミッション・ステートメントは「最高の製品を作り、環境に与える不必要な悪影響を最小限に抑える。そして、ビジネスを手段として環境危機に警鐘を鳴らし、解決に向けて実行する。」というものである。

パタゴニアは、意識的であろうが無意識であろうが地球を傷つける行為をしている者たちに対して、決して「仕方ないね、そういうものだよね」といって片付けることはない。
また人間が地球を傷つけていることに気がつきながら、良くするための行動を何も起こさないことについては「悪」であるとすら称する。


つまり、上述で言うところの「否定の態度」である。

しかもそれは一部の悪事を働く人に対してではなく、地球上に暮らすかなり大部分の人たちに対して、ということになる。

パタゴニアは、地球がどんどんと、人間を含む生き物にとって生きづらい場所になっていることを許しがたいという前提に立っている。

この信念はとても強いものだ。そしてそういう立場を明確にしているからこそ、多くの人の共感を呼んでいることも明白だ。


私はパタゴニアのような価値観こそが讃えられるような世界であってほしいと思う。

実際には善悪の判定というものは、人の価値観によるため常に難しい。だが、少なくとも地球の疲弊により生き物の暮らしが脅かされている状況に対して、それを喜ばしい状況だと感じる人は少数派だと言ってよいだろう。


しかし、そうであるにもかかわらず、ほとんど多くの人や組織は、自分の経済的利益よりも地球のことを気にかけた行動をとる、ということができない。

できれば環境に優しくしたいし、格差を広げることに加担したくはないし、健康的でいたいし、非人道的な行為に関わりたくはない。でもマイナスをゼロになんてできないし、じぶんにできることなんて大してないし、とりあえず考えないようにするしかないんだ。と、そんな感じ。

できるだけ「善くありたい」と願う自分でさえ、短期的な経済的利益を気にする行動を避けられないのだから、自分より少し態度が悪い他人に対しても強く出ることができない。

そうした行動は確実に世界を覆う既存システムの繁栄を後押ししている。


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パタゴニア的価値観を正しいと信じたい一方で、それとは反対の世界(=今のまま普通にいけばそうなっていくであろう世界)を真っ向から否定することも難しい。そう常々感じる。

すごく大雑把に分けた場合に、テクノロジーのパワーをとにかく信じ、それでもって世の中を変えていきたい世の優秀な人たちは、後者に当たるわけだが、わたしが思うに彼らは決して前者の価値観を否定するわけではないし、もちろん自分たちの進む先にある世界が前者の価値観でもって実現したい世界と反発してしまうという風にはとくに考えていない。

ある意味関心がそこまで高くはない。たとえば環境への配慮といったことには。別に意図的に地球を傷つけたいという気持ちはもちろんなく、でも配慮しすぎることよりももっと大事なことがあると考える。彼らが目指すべき世界の実現こそが、何よりも価値のあることなのである。

パタゴニアの「環境危機に警鐘を鳴らす」というのは、ある種守りの姿勢とも取れる。

つづく

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