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仕事…
会社員というのは今の時代とっても保証されていないと会社員とは呼びたくないし、呼ばせたくない。
誰しもがそうは思ってないと思うが、ボクはそう思っている。
福利厚生があるのは前時代であると言える。
わがままかもしれないが、人はやはり生活全体の安定を求める。
ボクは本当に会社員になりたくなかったわけでもない。
否定から入ると人がイラッとして関心を持ってくれるのではないかというトラップだ。
ちょっと卑怯な手だが、これで関心をもたれなければボクはそれまでの人間だったと言える。
別に構わない。
この一つ前の note にその理由についても述べた。
会社員ならばと今では思っている。
できるなら、福利厚生も整ったところで。
しかし、ボクにはできなかった。
しようと思えばできたのかもしれない。
しかし、就活では内定をもらうことはなかった。
でも、働きたい。
その意識はあった。
もちろん、劣等感もあった。
まわりは、大学と同時に職に就いた。
もちろん、仲間内のボク以外は。
職は人それぞれだからいいと言う考え方もある。
だが、ボクはそれだけが原因ではない。
ときは3年間ほど経った。
もちろん、就職は決まらなかった。
そして、事情により沖縄に来ることになった。
沖縄の就業率は全国ワーストだと前々から知っていた。
景色や食べ物は良いものがあると知っていた。
ボクは実は沖縄に住んだことはなかった。
名前とアーティスト名はしっかり沖縄なんだけど、文化も中途半端にしか知らない。
ボクは沖縄に来ても縁のある企業に巡り会うことはなかった。
資金難ではあるが、独立して自営の道を選ぶこととなった。
ボクが生まれる前の高度経済成長期には、「たら・れば」先生というのがいた。仕事がなければ、「先生をや”れば”」いいよといった風潮があった。
今50代の人がまさにその頃に該当するだろう。
その人たちはあまり就職難と言うのには合わなかったそうだ。
もちろん、経済成長期が影響している。
それでも、人を増やし、平成に入る前にバブルではじけてしまう。
平成育ちの世代は就職と言うのは弱肉強食に見えてならなかった。
大学までは多くの人がすんなりいける。
これはボクの視点で捉えているのであって、他の人の目線の捉え方は違うかもしれないので悪しからず。
今ボクは保証がなければ、仕事について助けてくれる人はいない。
回りくどくなったが、いずれ端的にまとめたいと思う。
仕事があるとステータスが高くなる。
車も買えるし、家も買える。
ボクは原付で、家も居候状態だ。
大雨が多い沖縄には原付は実際危険だ。そういう意味では車が欲しい。
だけど、収入がない以上どうしようもない。
となると安定した仕事が必要となる。
しかし、現実それはできない。
現状を打破しなくてはならない。
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