不要不急って何?

 新型コロナウイルスが流行し始めてから早1年。まだまだコロナ禍真っ只中、幾度となく「不要不急の外出は控えて下さい」という言葉を聞いた。散々聞かされた言葉ではあるが、誰がどうやって「必要な」外出か、「不要不急な」外出か判断するのだろうか。おそらく自分自身の判断で、今やらなければいけないかどうか、新型コロナの感染リスク、自身の体調などを踏まえた上で、外出するか、延期するか、はたまた諦めるのか、判断するのだろう。果たして、それで良いのだろうか?

 この1年、「コロナだから」という理由だけで様々なことが制限され、我慢を強いられてきた。自分は走ることが趣味なのだが、マラソンなど様々な大会が軒並み中止や延期になった。他にもアーティストのライブが中止になったり、スポーツも無観客での開催となったり、これまでの当たり前が当たり前でなくなってしまった。

 しかし、1年経ってどのような状況で感染リスクが高まるのかもある程度分かるようになり、様々な感染対策を講じてイベントなどが行われる動きも出来てきた。少しずつ日常が戻ってきていることに関しては安堵の気持ちがある一方で、コロナ感染のリスクがゼロになった訳ではなく、そのような状況でどのような行動を取るのか、各自が問われるようになったと感じている。コロナを気にしつつ、少しずつこれまでやってきた活動を再開するのか、あるいはもう暫く我慢を続けるのか…。

 例えば、飲食店の時短営業が行われているが、営業時間内にお店に食べに行くことは咎められることではない。また、ライブやスポーツ観戦なども一定の要件を満たせば有観客で行われており、その会場に足を運ぶことは何ら問題のないことではある。しかし、自分の中の良心なのか、世間の目を気にする恐れなのか、はたまたコロナ感染のリスクを考慮してなのか、「この時期にわざわざしなくても良いでしょ」と思う気持ちもあり、なかなかそういったことに踏み出せないでいる。

 ただ、コロナ対策に傾注するあまり、無理に我慢してしまうことは、心身の健康を損なうのではないか、と思っている。コロナ対策をするのは悪いことではないし、ある程度の期間は我慢することが出来るだろう。だけど、無理な我慢をすることで少しずつストレスが溜まっていき、どこかで心身に不調をきたすのではないだろうか。コロナも怖いが、我慢をし続けることも息苦しい。さらに、まだまだコロナの収束が見られない中で、日常を取り戻そうとする行為が世間一般にどう捉えられるのか、ということにも恐怖を感じる。たとえそれがガイドラインに示された要件内の行動だとしても…。

 我慢するということは、どこかで心身に負荷をかけていることだと思う。ある程度はどうにかなったとしても、いずれ心身に不調がくるのではないだろうか。コロナ対策だけでなく、それ以外の心身の不調とのバランスを取りながら、世間からどう見られるのかも意識しながら、何が自分にとって「必要」か「不要不急」かを考えなければいけない。コロナにばかり気を取られ過ぎず、自分の心身の状態を見極める力を養っていきたい。

 「必要」とか「不要不急」とか考えることなく、気兼ねなく出掛けられる日が戻ってくることを願って、もう少し辛抱々々…。


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