アフターコロナの社会像と自分の想い


僕は今、熊本県のエコビレッジ”サイハテ”という所にいます。自分の直感を信じたらここに行き着きました。

1km先には天草を隣に置く蒼い海と、ポツポツと浮かぶ島々が見えて
梅雨明け気温35℃にも関わらず少し塩気の入ったさわやかな風が土壌の上をかけ抜けて暑さを心地よくも感じさせてくれる山の上の空間です。
ここで気持ちを整理したくて投稿をつらつら書いてみます。


▼コロナ自粛で見えた消費社会の限界
僕は日本に帰国後、ある意味新しい目線で色々な社会の風景をみることができました。モノトーンな東京の駅のホームの光景、強い上下関係、豊富に大量使用するプラスチック依存文化。
発酵を主にした個性ある食文化、夜の田んぼでおこる蛙の大合唱。

そんな中あいつがやってきます。コロナです。
おかげで自粛中はとことん自分と向き合いました。
今まであまりやってこなかった読書をして、1人になって考え事をして、1日が終わって。気づけば夏です。

そんな中考えを通してわかったのが、お金を起点とした消費社会に依存した社会の限界です。

周りを見渡すと当たり前のようにできたコンビニのご飯を買い、大量のプラゴミをゴミ箱に放り投げて、いつも以上に大量に溢れたゴミ捨て場。
amazonを頼って大量の商品を購入して家の中に籠もって生活する人。
家との生活に向き合い続けたからこそ社会からのサービスだけにどれだけ依存した生活を送っていたか、本当によくわかりました。

これが環境に良い、悪いとか理屈的な話は置いておいて
単純に気持ち悪いんです、我慢できないんです。

こんなことを改めて想うようになったのはアラスカの農場で暮らした経験大きいんだと思います。
毎日農作業を終え、湖に飛び込み、夕陽を眺め、星を見て、お金から離れた1ヶ月は自分自身が生態系の一部であることを教えてくれて、デナリ国立公園の自然の偉大さは自分がいかにちっぽけか教えてくれました。

ブルーベリーの木々が広がり、渡り鳥が天を仰いでく大高原を1人で歩いている時、自分は”ここなら死んでもいいかな”と思えたくらい、アラスカの自然はすごかった。

僕の中の考えではコロナがやってきたのは必然であると思っていて、僕の中で何か意味があると思っています。(そう捉えようと努力しているだけなのか)


▼ブラウンズフィールドとサイハテへ
3日前、前から行きたかったサスティナブルデザインをテーマとした場千葉県のブラウンズフィールドを訪ねました。
国籍や年齢も飛び越えて、踊って笑ってる空間が心地よくて、ある一瞬、やっぱこれだ!!と自分の理想としてる場の一つが垣間見えました。

そんな時エコビレッジSAIHATEが面白い取り組みをやってそうだと聞き付けて、わくわくして熊本へすぐ飛んできてしまいました。


▼新しい人生を描いてみる?
僕は今正直沢山の人に幸せを届けれるような人に節に願ってて、だから本気で仕事がしたいと思ってました。
だから来年から就職して、地方都市で事業の手伝いや田舎でも社会活動を行ったりとか、考えてました。

けど今自分の直感を信じようとするとそうじゃない気がしてて、それは会社に属さなくてもできるのではないか?と思っています。


僕はこの消費社会に依存していることからとにかく抜け出したいです。そしてそんな世の中を作っていきたいです。
自分が口に入れるものは自分で作ってみたいし、土や太陽や水に触れながら、花や風の匂いに意識を傾けて”この世界って素晴らしいな”って毎日些細な幸せに気づきながら暮らしたいです。

コロナが改めてそう教えてくれました。
心のコンパスが向くままに動いてみようと思います。

そんな気持ち整理投稿でした!

もしここまで読んでくれた方がいたらありがとうございます。自分の気持ちを素直にぶつけてしまったので、どう思ったかコメント頂けたら嬉しいです。


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