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大学生の僕が子どもたちから学んだ”人生の本質”

はじめまして!千葉大学のぬまです!

現在僕は「トビタテ!留学JAPAN」の9期生として2週間前からアメリカ・ポートランドへ建築・農業をテーマにまちづくりを学びに来ています。

日本を出て、一度自分の今の考えを記録に残したかったのでこのnoteを書きました。

この文章では
「子どものように好奇心を持つことの大切さ」
について皆さんに知って、行動してほしいという思いを込めています。 

人生の経緯も踏まえて書き上げたので7000字と少し長いですが自分の生き方について力入れて書いたのでよかったら読んで下さい!

〜はじめに〜
このnoteを書くことになったきっかけ

-2019年3月30日(23歳)-

先日、留学生の新しいコミュニティ&ネットワークを作ろうとしている方と会い、僕が「今まで何をしてきたか」「これからどういう留学にしていきたいか」ということを主な内容としてインタビューを受けました。

自由に喋らせてもらったんですが、インタビューされた方から「こんな考え方初めてだ!」という自分の思想もあったりと、ここで表現することに意味があるのかなと思ったので自分の人生の経験を列挙しながら文章に起こしてみました。

それではどうぞ!


〜経緯01〜
授業が嫌いになった小学生4年生の僕

-1996年2月(0歳)-


僕が生まれたのは秋田県秋田市。
家の窓からはキレイな山脈と、広い田んぼ。
帰り道には秋の稲穂の上に沢山の金色のとんぼが飛んでいたり
冬には一面の雪景色。それが僕の原風景です。

小学生の頃僕は、真面目に勉強をする子でした。
漢字を練習するために沢山書いて、計算ドリルもミスがでなくなるまでやって、テストで100点をとって
周りから褒められることに喜びを得てました。

-2006年某月(10歳)-


けど小学校4年生の頃、授業が嫌いになる出来事がありました。
それは理科の授業で先生が
「光合成に必要なものはなんでしょう?考えてみて〜」

という議題になりました。
皆はまだその答えを知りません。

勉強が好きだった僕は先のページを予習していたりしたので

すぐに手をあげて
「水と二酸化炭素です!!」
と答えました。

授業が終わったあと廊下に呼び出されて僕はこっぴどく怒られます。
「そういう場じゃないんだよ!!!」と

つまり、皆で今の知識で答えを考え合う場だったようです。

僕はこの指摘の意図を勘違いして受け取り、
(予習っていけないことなんだぁ。。)という捉え方をしました。


-2008年4月(12歳)-


さてその後、僕はどうなったかというと
中学校では真面目に授業を聞くことはやめ、とにかく目の前の教科書からやり方を習い、テストの点をとることだけを目的に勉強しはじめます。(他人から褒められたかったので)


-2011年4月(15歳)-


高校では5年間工学系の勉強をする”高専”へ進学。
ここでもその状態は変わりません。

ただ成績はとってました。なんとなく。

ある時には授業で教科書を出さずやる気のなさそうな自分に先生が「教科書を持ってきたら?」と言われ
「あーロッカーにあるんですが、使わないんで大丈夫です」
と言ったところ
クラス全員の前で「お前は人間性がないな!」と言われました。

気にしてなかったんですが
これはクラスの皆が覚えてる話なので、覚えてます。

そんなややこしい奴でした。


〜経緯02〜
初めて”常識”から抜け出したフィリピンでの経験

-2014年11月(18歳)-


僕はある動画を見て奮い立ちます。
トビタテ!留学JAPANの壮行会ムービーです。
こちら↓

僕はこれを見た時なぜかわかりませんが
「必ず行く!!」と思いました。

キラキラしてこの人たちが映っていました。

けどこれに応募するにも何をテーマにするか求められるそう。
そして海外にも行ったこともないし、英語も大嫌いだった自分、、

まだまだ現実味がわきません。


-2015年5月(19歳)-


僕は”大学というものを見たくて”千葉大学への3年次編入を決めます。
勉強はやってたので推薦枠も得れたのでよかったです。

そして高専から大学に入る合間の春休みに
僕は今しかない!!と卒業式を休んで英語を勉強するために
初の海外として3週間、フィリピンのセブで語学学習をしに行きました。

行き先はスパルタ指導で有名な「サウスピーク」

毎日みっちり英語の自習、発音の練習などをしました。


これは初めて常識から抜け出した時といえます。

なぜならあとで聞いた話なんですが
高専の学科長がこっぴどく怒ってたらしいです。


”卒業式に出ないで海外へ行くなんて普通じゃない!!”

僕の担任は謝ってくれたらしいです。「人間性がない」と言ってた先生なんですが、
ありがとうございます。。

とにかくここでの3週間の経験は良かったです。
英語を本気で学んで将来に活かしたい、そんな仲間と沢山出会って、見たことのないようなキレイな海、動物との出会いもありました。

【卒業式行かず初めてのダイビング】


あと先に言うと、行く!って思ったトビタテ、無事受かって今アメリカにいるんですが、気づけばキラキラして見えたビデオに今自分が出ていました。こう見ると、ちょっと不思議


〜経緯03〜
”普通なんてない”と教えてくれた東南アジアの旅

-2016年9月(20歳)-


大学では建築や都市計画のコースを専攻し、実習課題には創作への熱が入っていました。

そして初めての夏休み、僕はまだまだ見たこと無い景色が見たいとバックパッカーを友人と2人ですることに!


ここで見た景色は20年間秋田だけで育っていた自分の価値観を変えてくれました。

整備されていない舗装や電気などのインフラ(カンボジア)
世界中の旅人が集結するタイの多様な風景(タイ)
人生で一番辛かった発熱と嘔吐(マレーシア)
国土が拡大し続ける、驚異的な発展国(シンガポール)

当たり前に飲めた水はそこにはないし、当たり前だった安全もない、
そこに住む文化や経済状況は全然日本とは違って、
自分が知ってる”普通”って、”小さい世界での普通”だったんだ、と気づきます。

カンボジアという新興国からシンガポールという発展国へ続く2週間のこの旅はまるで街の発展する様をみるかのような旅。
辛いこともありましたが最高でした。

【旅の記録】


〜経緯04〜
卒業設計から考え始めた「自分がしたいこと」

-2017年4月(21歳)-


4年生になると卒業設計・研究の時期になりました。

この時、自分が何をしたいのか、一番考えさせられることになりました。
なぜなら、探し求めるテーマは自由に決められる上、1年間という貴重な時間を使うから。

僕はこの経験を将来に必ずつなげようと思いました。


テストで100点をとることとか、

目の前の建築設計の制作作業に夢中に努力してた自分、

(あれ俺はこの先に何をしたいんだっけ?)

そんな虚無感も生まれたからこういう考えに結びつきます。


僕はふと手にとった本が仙田満さんという”子ども建築家”の本を読み、ハッとしました。


彼が手がけた建築は自分が幼少期にも使っていた施設などで、かつその本は子どもの原体験や自然体験の大切さを述べていました。

【自然体験施設「まんたらめ」 秋田市民は必ず皆いくとこ」】

これが今の自分のテーマにつながるはじまりです。



〜経緯05〜 
自分を変えてくれた田舎で笑う子どもたちの姿

-2017年5月(21歳)-


今の僕があるのは沢山の子どもとの出会いがあったからです。

ある時、大学の留学生の友達が

「千葉の鴨川って地域で田植えのイベントに誘われたんだけどこない?」

というもので、秋田での小学校での田植えの記憶が甦った僕はその地へ行きました。

100人規模の人が集まったイベントは凄い楽しかったんですが、

ここである1人の子どもにハッとさせられます。


全く口が止まらない、1人でもずーっと喋ってるようなもの凄くおしゃべりな子どもがいました。
僕はその子と仲良くなっていて、背中におんぶしたり、水をかけあったり。


ある時
「田舎って最高だぁ!!!」って叫んでたんです。

「なんで?」って聞くと
「だってウチだとママに怒られるもん。」

とのこと

この時その子のお母さんが
「この子ねぇ、ウチのマンションでも話が止まらないからねぇ」

これを聞いた時、
(あぁ自分らが普通に住んでる環境は、子どもがしたい素直な気持ちも出せないんだ)
と悲しくなりました。

そして僕はそこから竹林整備に活動に参加したり、移住している人の話を聞いたり、千葉の田舎をふらふらと旅を続けます。


その中で

(子どもが自然体験を楽しめる場を作れたらな〜)という話をたまにしていると

「あぁ〜知り合いで里山冒険隊みたいなの作りたい人がいるよ〜紹介しようか!」と

人のつながりのもと古民家・里山の再生活動をはじめます。
名は”古民家 宙/そら”と名付けられました


ここでは子ども体験型ワークショップを行っていて留学までの1年半お世話になりました。(帰国後戻りますよ)

ここに来る子どもたちを見ていると、
目の前に映ることに好奇心を持って飛び込んでいく姿、

痛かったら泣いて、つまらなかったら「?」と首をかしげて。
僕にはそんな喜怒哀楽をすんなり出す姿が目に焼き付きました。

そして

(あれ?僕たち学生、大人って大事なこと忘れてないかな?)

と疑問を持ちました。


〜経緯06〜
「本質」と言われ続けた夏のインターンシップ

-2018年8月(22歳)-

僕は2018年の夏、Softbankの夏期インターンシップ「TURE-TECH」というものに参加しました。
これは大学生31人が地方(愛媛県八幡浜市)へ出向き、地域の課題解決につながる事業を市長に提案するというもので、住民へのインタビューや構想づくりに1週間取り組みました。

ここで言われ続けたメッセージがあって、
それは「物事の本質をさぐれ」というもの。

つねに何が目的で何が根本的な課題なのか、そういった考え方が身につきました。

このインターンを終えて僕はこんなことを考えるようになりました。

(人生の本質ってなんだろう。。) と

テストで100点をとること、建築の課題でかっこいいデザインをつくること、地域活性化のために活動すること。

あれあれあれ。。

(?これってどうなんだろう。。。??)

その2ヶ月後、僕は研究室のプロジェクトでメキシコへ


〜経緯07〜 
メキシコで見た、人生の豊かさ

-2018年10月(22歳)-

メキシコというハラパ(Xalapa)という地方都市にやってきました。


ここにきたのは研究室のプロジェクトで現地の大学生とまちづくりのワークショップをしたり各々のテーマで調査をするというもの。

期間は2週間。

テーマが自由に選ぶことができたので僕は
(メキシコの地方、田舎の暮らし方ってどうなんだろう?)
というのが見たかったので、小学校の公共性をテーマに2つの小学校を訪問してました。

この場で見たのは幸せに生きる”人生の豊かさ”でした。

小学校の門を開けると目の前に現れたのは先生と子どもたちがコンクリートの校庭でダンスを踊っている光景。


(うそだろ。。)と驚きました。

2つの内片方の小学校は「農村学校」と言われる田舎学校。
僕が訪問した際、子どもたちは目をキラキラさせて、自分のとこに集まってきました。
初めて、外国人を見たんでしょう。地元の大学生を通していろんな質問をうけました

「有名な漫画は何?」
「僕の名前は日本語でどう書くの?」

好奇心だらけ。


ある1人の子はボロボロの紙とペンを持って僕に差し出してきました

「サインを書いて」

とのこと。

(うそだろぉ)

英語と漢字でぺぺペっと書いて渡しました。けどその後20人くらいの子どもたちが後ろに並びだして、大行列。。。

すごいことになってしまいました。(もしかして俺有名人?)

印象的だったのは子どもたちの目です。
キラキラしてて、汚れが無くて、僕にはそう見えました。

【学校のみんなと記念写真】

物は日本より明らかに満ちたりてないんです、バスケットコートの網はないし、スマホもないし、図書だってそこまでなくて、

でも食べて、踊って、笑って、

明らかに日本の都心の小学生より生き生きとしていました。

この時、ちょうど出国前に夜9時の電車の席で必死に問題集を解き、隣に疲弊したお母さんがいた光景が思い出しました。

(日本ってせわしないよなぁって)


メキシコ・ハラパで見た光景はもう一つ

そして国の祭典「死者の日」というもの。(日本でいうお盆です)

日本では死者を厳粛に、迎え入れますよね。線香を焚いて、手をあわせて。

メキシコでは死者を明るく迎え入れようと、顔にドクロのペインティングをしてパレードをしたり、墓に装飾を施したり。
日本のお盆とは真逆の光景をみることができました。

これによって死について考えるきっかけにもなりました。

(俺はどうやって死にたいかな?)

って


〜思い01〜
自分が思う人生の本質

帰国後、僕ははっきりしました。

今までやってきた、”テスト”とか
皆が大事にする”お金”とか
出世して成功するとかいう”権威”とか

そんなもの実は”生きる”ということにおいてニセモノなんじゃないかな、と思うようになりました。

これを読んでる皆さんも”人”だと思います。
そして人は”動物”の一種であると思います。

そして僕らはいつか死にます。これだけは確かです。

だから死ぬ瞬間に

「楽しかった!」って思って死ぬのが
誰しもが求めるゴールなんだと思います。

そして僕はこれを信じてこれから生きます。

ただ勿論今言った”テスト” ”お金” ”権威”といったこと、これも大事だと思います。
でもこれを目的化して追いかけて行くと僕たちは少し間違った方向にいってしまうと思います。

そう、
「テストで点をとって、何をしたいのか」
「お金を稼いで、何をしたいのか」
「権威を得て、何をしたいのか」

そしてこの”何をしたいのか”
これを探すために好奇心、というものが絶対大切だと思います。


〜思い02〜
人の好奇心は社会に侵されていく?

僕たち日本人の多くは小学生などの教育機関に入って初めて組織に入り、周りと同じようなことを学び始めます。
いわゆる国語や算数などの公教育ですね。

それと同時に団体としてのルールや、してはいけないことなどを強く学んでいくと思います。

これが”人間性の消失”のはじまりです

”普通じゃない”
”周りと同じようにいなければ”

否定・比較・規制

学校にいると何事にも変わっていることは否定的に捉えられることが多いと思います(日本の学校について)
単純に皆の列からはみ出せば怒られるし、顔の一部が特徴的だとあだ名をつけ、いじめに発展したり。

とにかく、絶対に皆が皆違うものを持っているはずなのに
個性を出すことが何かと否定されることが多い。
それが僕が知る日本の”公教育”です。

これによって僕たちは知らないうちに誰しもが持っていた”好奇心”というものがどんどん失われてってるんです。

絶対に皆が持っていた意識だと思います。
落ちてる石でも、目の前の花や、遠くの空を飛ぶ飛行機、一人一人が違う何かに興味を持っていたはずです。

なのに、高校生になって、大学や就職先を選ぼうとすると
口をそろえて言うのが「何をしたいかわからない」

そして就職して働きはじめた友達が飲み会で言うのは会社の愚痴

東京に足を運べば疲弊した顔をした会社員が沢山いる電車。

(おかしい)

食べ物は工場から大量に出荷されてお金を払えれば食べられる。
ネットで沢山の情報が知れて沢山の友達も作ることができる。
僕たちが作った便利で豊かな人間社会。

けど

本当に生きてる!と言えるのかなぁと凄く感じるようになりました。
僕は”生きたい”んです


〜思い03〜
精神年齢は5歳で!好奇心を大事に生きてみよう

僕は今、その時の直感や疑問、興味を凄く大事にして生きています。

話を聞いていて面白そう!と感じたらすぐにその場へ行ってみること。
道を歩いていて疑問に思ったことがあったらすぐに質問すること
何かやりたい!と思ったらやること

まさに子どものように

僕はこれを大事にしています。

勿論押し付けるわけではないですが、僕は凄く大事なものだと思っています。
皆そういった感情を持っていたはずですから。

そしてすぐにはこれができなかったりもすると思います。
特に大学生の方は、何をしていいかという悩みを沢山聞きます。

僕はその解決方法として
とにかく知らない世界を肌で感じることだと思います。

それはなんでもよくて、
スポーツばっかやってきたけどガーデニングをしてみるとか
大学生なら大人だらけの環境に身を投じるとか
東京にしか住んだことないなら、秋田で1週間暮らしてみるとか
まさに海外に留学するとか。

そういった知らない世界を知ることで今までの”普通”や”あたりまえ”が少し小さく見えます。

さらに言うと僕らが人と比較して考えてることは全て生きてるこの世界の中では小さいことです。

やりたいことをやりましょう。
恥をかいても100年も経てば自分も、それを知った人も死んで消えてくし、
そもそも人の目線気にしてやりたいことやれないってすごくもったいないなーとか思ったりします。

だって記憶もないような小さい子どもの頃、そんなことは考えなかったと思います。

みんな精神年齢は5歳くらいでいいんです。

よく走って、転んで、周りの目なんて気にしなかったあの頃に


〜さいごに〜
これからの生き方

色々言いましたが、もちろん知能まで子どもでいろというわけではありません。
この人の社会にいながら、うまく生きる必要があると思います。

今僕ら人間が作った産業だったりITを始めとするテクノロジーは便利ですよね。
僕もインターネットの恩恵を沢山受けました。本当に凄いです。

けど使い方を間違えることが怖いです。

スマホを1日中見て疲弊して画面の世界だけを見ていると、どんどん大事な物を忘れていってしまうような気がします。

大事なのはきちんと共存すること。
そして”生きる本質”を見失わないこと
これが頭に入れて置かなければならないことです。

僕はこれから来るデジタル化未来に向けて
自分の生き方や日本の地方をはじめとする社会の在り方を模索するために全米1住みよい街とされるアメリカ・ポートランドへ留学に来ています。

これからもまっすぐ、好奇心を大切に9ヶ月間生きてきたいと思います!!


最後まで読んでくれて本当にありがとうございます。良いと思ったらいいねとシェアしてもらえると嬉しいです。
応援よろしくお願いしますー!

(この写真昨日撮ったもので日本じゃなくてアメリカですよー!)

以上。

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