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PMSだから何よ_100日後にZINEをつくる、90日目

昨日からの被害者ナラティブモード全開で目覚め、重い身体を引きずってトイレに行けばパジャマのズボンまで染みている出血。

ああ、だからここ数日あんなに苛々していたのか。昨日あんなに腰が痛かったのは生理直前だったからか。と思いながらも、そんな納得の仕方をしたくない自分がいる。

もちろんPMSで全方位に喧嘩を売りながら歩いていた自分は、生理痛という下半身の痛みに集中させられることによって大人しくなる。優先順位が痛み>怒りになることによって、毎月「生理前だからあんなに凶暴化していたんだね」と思う。確かに同じ出来事に対して、3倍も5倍も怒りの感度が高まるのは事実。

でも、そうやって全部を「PMS」で片付けたくはない。3倍になる原因はホルモンのせいかもしれないが、わたしの中の等倍の怒りまでなかったことにしたくない。「生理前だからね」で全部納得されると、自分のネガティブな感情とその原因が全て無かったことにされてる気がする。

PMS、更年期、ヒステリー、いつだって女は身体に振りまわされる存在。男の性欲は生理現象と呼ばれ「本能だから仕方ない」とされるのに、女はホルモンバランスに左右される意志の弱い生き物にされる。

もし男にPMSがあったら、きっと女は言われるんだろう。「怒らせないように気をつかいなさい「PMSの男の前でそんな態度とったお前が悪いよ」。女は自分の身体の調子は自分で受け入れて対処するよう求められる。女はどこまでも自己責任。
子どもの健康は母親の責任。夫の身だしなみは妻の責任。男の粗相も女の責任。おかしいよな。

決して「PMSのわたしに気を遣ってくれ」と言いたいのではない。PMSでも生理中でも更年期でも、何と呼ばれようがどうでもいいが、わたしの感情を過小評価しないで欲しい。

触らぬ神に祟りなしと言うけれど、いつまでも目を背けてると、祟るぞ。

そんなことを考えながら次女の誕生日パーティーの山のような食器と格闘していたら、長女がさっと横に立ち、洗ったものを次々拭いて片付けてくれる。とても嬉しい。嬉しいのは物理的に作業量が減ることよりも、誰かにわたしの存在を気にかけてもらえることだった。

そうか。もっと感謝されたいとかもっと手伝って欲しいとか、根本的にわたしが求めているのはそれじゃない。「わたしを無視しないで」「道具にしないで」「わたしの存在をちゃんと見てよ」だった。

人は満たされるまで自分のニード(欲しいもの)に気づかないって本当だなあ、と思いつつ、ここ数日の自分のnoteが「無視しないで!わたしを見て!」という叫びでしかなかったことに心が赤面。

まあ、でも、仕方ないか、PMSだったし。

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