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2024/7/9 ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした。

夏目漱石と斉藤洋と秋山瑞人に敬意を込めて。

[二町目の闘争たち]


二町目のゴロ太と言ったら、知らない奴はモグリだと言われるぐらいに有名だ。
ゴロ太はとんでもない暴れモノでありとあらゆる事をやってのけた。
同業の縄張りを漁る事なんて朝飯前、夕飯頃には人様の民家からハムやら刺身やらをかっぱらってくるぐらいのことはしょっちゅうだった。
当然、いろいろな因縁や恨みを買ったがゴロ太は逃げなかった。
ゴロ太は強かった。
まず喧嘩の入り方から違う。ゴロ太の喧嘩に「威嚇して距離を測る」なんて言葉は無いのだ。
一声も鳴かず素早く相手に向かっていって力いっぱい噛み付く。そうして二度と離れない。
ちょうどゴロ太が現れた頃、その辺一帯を縄張りにしてた虎しっぽの六郎率いる一家は新参者に舐められちゃたまらねえ、とぞろぞろ一家総出でゴロ太をとっちめにいった。
今でこそ年寄りの戯言でしか聞かなくなった虎しっぽの六郎一家だが、その当時はそれはもう広い縄張りと多くの子分を持ったそれはそれは大きな組織だった。
年号不明、秋の中旬、夕間暮れのことだ。
やけに風が強く人気のない日だったと記憶している。
六郎一家は空き地のど真ん中で昼寝をしていたゴロ太を囲んだ。
「おうおう!おめえさん誰の島でゴロ撒いてんだ」
虎しっぽの六郎が吠える。
しかしゴロ太はあくびなんぞして相手にする気配が無い。果てには赤とんぼの群れを目で追っかけだしたりして余裕のムードだ。
六郎は大組織の親玉であるが故にここまで虚仮にされたことがない。
「この野郎おおおぉぉぉ!」
怒り狂った六郎が大声で吠え、その手下達と共に一斉に襲い掛かろうとしたその時だ。
「お頭!大変です!!」
言ったのは一番後ろにいたチビで痩せ、一番下っ端のプッチだ。
「んのぉ野郎!今それどころじゃねえだろうが!!」
苛立っている六郎が吠えて周りの手下もそうだそうだの大合唱、プッチ程度の下っ端ならば失禁して座り込んでしまってもおかしくない。
ないがプッチはその恐ろしい形相にすら目がいかず、それどころか六郎の話を遮るように言った。
「野犬狩りが、野犬狩りが来てます」
「あ?」
「だから、野犬狩りが来てるんですよぉ!」
なんだって!?といち早く反応したのは六郎、ではなく手下たちである。
いまいち事態を呑み込めないのは六郎だ。野犬狩りは野犬を狩るわけであって察して脅威になり得ないはずである。
「おめえらぁ!騒ぐんじゃねえ!!プッチ、野犬狩りが来るとどうまずいんだ?説明してみろ」
「だからさ―――」
口を開いたのはプッチじゃなかった。
六郎が振り返る。
さっきまで確かに飛び掛れる範囲内にいたゴロ太は今や空き地の最奥の塀の上にいて尻尾なんぞ振っている。
ゆらりと真っ白い蛇のような尻尾。
「野犬狩りは野犬だけを狩ってるわけじゃないってことさ。どっかからやって来たチョー強くて格好いい猫が民家まで手をつけるってんで野良猫狩りをしようって話になった、なんてことがあってもなぁんにも不思議じゃあない」
そう言ってゴロ太が塀の向こう側へひょいっと姿を消したのとどっちが早かっただろうか。
空き地の入り口からこの世のものとは思われない叫び声がして振り返ると帽子をかぶった大男が四人、手に手に網と槍のような武器を持って現れた。
六郎は組織の親玉の勤めとして、ずらかれ!と叫んだがその声に一体どれだけの奴が反応できたのかは結局分らずじまいだ。
虎しっぽの六郎一家は六郎自身を含む4分の3以上の仲間を失い、翌日に解散した。


そんなわけでゴロ太の名は知れ渡った。
もちろん伝聞によくある尾ひれはひれはまあ当たり前。
曰く、ゴロ太は虐げられて生きてきたんで生きるものすべてを憎んでいるのだ。
曰く、ゴロ太は人語を解し、それを使って今回の策略を企んだのだ。
曰く、そんなもんデタラメに決まってる。ゴロ太は運がよかっただけさ。
曰く、ゴロ太なんて奴は存在しないんだ。虎しっぽの政権交代のためにありもしない話をこしらえたのさ。
よくもまあ好き勝手言ったものである。
しまいにゃゴロ太には大きな牙と翼と合っただけで相手を石に変える目を持っている、なんて誰も信じやしないようなものまで出てくる始末。
尾ひれどころか牙と翼と石に変える目玉までつけられたゴロ太の名は二町目と三町目の端っこと一町目の端っこまで知れ渡った。
そこをうまいこと利用してやろうと企んだのが三丁目の鉛鈴のハチ一家だ。
「どうも二町目にゃあ今仕切ってる組がいねえらしい。三町目はちょいと手狭だし、工場ばっかで回んのも一苦労だ。この際、二町目に出ちまうか」
鉛鈴のハチは他の組の頭に比べてずいぶんと若く、それ故に小回りがきき、年寄りどもと違って伝統を重んじてのそのそしたりしない。
言った次の日には二町目の広さと地理に見当をつけ、ど真ん中の空き地から居座って徐々に縄張りを広げてってやろうと考えた。
これに出遅れたのが一町目の赤耳のタマキ一家である。
タマキ一家というのは一町目じゃあ一番下っ端の組で、トップの組のおこぼれの更におこぼれをもらって生活してる、なんて指差されることもしばしばだ。
このままじゃいけねえ。とタマキも思うもののどうしたらいいのか見当もつかねえ。なんかねえか。
と、思っていた矢先のこの出来事。ここで乗り出さない訳がねえ。
ねえのだが、赤耳のタマキはそれでも伝統ある三代目の赤耳なのであって一町目で食っていけねえから二町目に行こう、ほいほい。というわけにもいかないのである。
大体、力関係上は下っ端である赤耳のタマキ一家だが、話の上じゃあ一町目は三つの組織がそれぞれ二つの相手に睨みをきかす形で安定を保ってるということになってるし、事実そういう約束があった。
もちろん三代前の、大昔の話だ。
しかし約束は約束だ。そういったところに筋を通さねえことにゃあ家業を続けることすらままならない。
そもそも赤耳のタマキがなぜ赤耳というのかと言えばそれは他の二つの組とも関係のある話になる。
他の二つの組をそれぞれ赤しっぽと赤首と言う。
その昔、まだ一町目がどの組にも支配されてなかった頃の話だ。
まだチンピラともいたずらっ子とも呼べるような三匹の猫がいた。
縄張りの意味さえきちんと理解していないようなその三匹は互いに喧嘩ばっかりしていたが不思議と仲がよく、いつも三匹で集まってはああでもないこうでもない、と自らの行く末を漠然と考えていた。
「いつかこのでっけえ一町目を全部、俺の庭にしてやりたいなあ」
「そいつぁ無理だな」
「ああ無理だ」
「なんだと?」
「一町目は俺の庭になるんだからな」
「いいや、俺のだね」
「お前らふざけたことぬかすんじゃねえ」
「ふざけてんのはどっちだ、この野郎」
「そりゃあ俺の台詞なんだよ」
とまあ、いつもの調子だ。
そんな調子で終わってればその後の歴史も変わってたのかも知れない。
「小僧ども」
しかし、その日いた見知らぬ老猫の言葉がすべてを変えた。
「お前ら三匹で一町目を庭にすりゃいい。お前さんは隣のやつのしっぽを噛むんだ、お前さんは隣のやつの耳を噛むんだ、で、お前さんは隣の奴の首を噛むんだ。そうすりゃ誰が一番強いだとか弱いだとか関係ない。一匹が滅べば全員がオシマイだ」
もちろんこの後に色々な出来事が展開されての結果なのだが、結局その言葉が巡り巡って三代目、赤耳、赤首、赤しっぽである。
つまり赤耳、赤首、赤しっぽの赤は血の赤なのであり、この組織の睨みは血の絆なのである。
それを抜け出したいとタマキは言わなきゃならないのだ。ましてや赤耳は一番の下っ端組織、そりゃ難しい話である。
しかしタマキにも守ってやりたい雌と子分たちと子供たちがいる身だ。食い物の順序は即ち命の順序であり、今のままじゃあ万が一の時、一番に野垂れ死ぬのは自分らだ。
自分はいい。しかしそんなとばっちりを雌と子分たちと子供たちに向けられた時、果たして後悔しないだろうか?
もちろんしないわけがないのである。
そんな沸々とした思いをタマキが抱いている間に一町目の懇親会がやってきた。
さわやか児童ふれあい会館と書かれたその建物が使われなくなってゆうに4年は経つ。今じゃ立派な一町目の猫の祭事用の会場だ。
そのさわやか児童ふれあい会館の一階、広場状になっているスペースに十や二十じゃきかない数の猫が集まっていた。
一番手前に三代目赤耳タマキ、そこから右回りに三代目赤首キバ、三代目赤しっぽヒイラギが揃った。各々の後ろにはその手下たちが鎮座している。
ところが赤耳タマキはパーマでもかけそこなった婆がつけるようなビニール地のキャップをつけていて変なことこの上ない。
キバやヒイラギこそ何も言わないものの赤首、赤しっぽの手下達が赤耳が耳隠してらあ、とクスクス品なく笑うのも無理はない。
「あー、まずこのような場を今年も開けたことに感謝をしたい」
赤しっぽが懇親会開会の辞を述べるその時だ。
「その前に、自分のほうから話したいことがある」
「なんだ赤耳、藪から棒に」
「それは手前のその変な冠に関係のあることなのかい?」
言って赤首は笑った。笑いに乗せられて手下たちも笑い出す。
けれど笑われても赤耳はぴくりとも動かない。ただ赤しっぽを見つめ抜くばかりだ。
「俺ぁ、今日限りで赤耳を辞めさせてもらう」
シン。とさわやか児童ふれあい会館に静けさが満ちた。
「赤耳、おめえ、それがどういうこと意味してんのか分ってて言ってんのか?」
静かに、重く、低く、凄みのきいた赤しっぽの声が響いた。後ろの方にいた下っ端の数匹が震え上がった。
「もちろん分ってるつもりだ。この血の絆を断って一町目を出て行くってそう言ってんだからな」
「えらい簡単に言ってくれんじゃねえか。そういうのはなあ、ケジメつけてから言うもんなんだよ!」
面白くないジョークを聞いてしまったような顔で赤首が立ち上がった。が、それを制して赤耳。
「もちろん」
そういってビニール地のキャップを口でくわえて剥ぎ取った。
耳が、なかった。
「赤耳がそんな欲しいならくれてやるよ。丁度二個ある。一個ずつ持ってきな」
言うなり赤耳の後ろから二匹の手下が現れそれぞれ赤首、赤しっぽの前にくわえていたものを放り出した。
赤く干からびて多少小さくなってしまったが、それは確かに赤耳の耳だった。
「用は済んだ。行くぞ!」
赤耳が大きく鳴いて手下たちがそれに従った。懇親会からぞろぞろと出て行く猫の群れ。
赤首も赤しっぽも止めない。止められはしない。止められるのは首としっぽのそれぞれを一町目に奉還した時だけなのだ。
こうして赤耳のタマキは耳無のタマキとなり二町目に手を付けるべく歩みだした。
耳無のタマキと鉛鈴のハチが二町目を巡って抗争する時がやがて来るが、それはもう少し先のお話。


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