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考えすぎでもわるくない。 「姉と夜」感想

しゃべる氏のエッセイ「姉と夜」を読んだ感想。
気になったフレーズを抜粋させていただきつつ、感想を述べます。
※私個人の解釈であり、著者の意とは反する場合があります。

ワードセンス

まず、著者のワードセンスが絶妙でついクスッと来てしまい、描かれるシーンも共感を呼ぶ親しみのあるものばかりで、読書の機会が多くない私でも読みやすさがあった。

たとえば、今仕事として客に推奨するべき、この抹茶エスプレッソラテとピスタチオラテ。客たちはゴニョゴニョと何かを言いながら飲んで、またゴニョゴニョと買わない理由を述べて去っていく。別に商品に魅力がないのは私のせいではないのだから、申し訳なさそうにしなくていいのだけど。
おっと、いけない。木陰の私はそんなこと言わないはずだ。

しゃべる著「姉と夜」- レジャーシートの奴隷

エッセイなのに自己の主張の押し付けがない塩梅が読みやすさにつながっている気がする。

特にこの章(レジャーシートの奴隷)は想像の話であるのに妙にリアリティがあって、読んでいるうちに想像であることを忘れてしまっていた。

三人の女の話

「あ、いいこと教えてやるよ。この前スーパーでさ、ワインのコーナー行ったわけ。そしたら左から金賞、金賞、金賞。おっかしいなと思ったらさ、全部同じ年の違う大会だったんだよ。いやーやられたなと思ったね。つまりさ、テーマを変えていろんな大会をやることでみんなが一番になれるってわけ。」
「何が言いたいのさ。」
「だからー。えーと、あれだよ。ナンバーワンよりオンリーワン的な。お前はお前でいいんじゃないのってこと。」

しゃべる著「姉と夜」- 三人の女の話

このワイン銘柄の奇怪な共生関係を、他人に劣等感を覚える主人公への励ましに用いるセンス。とてつもなく「おっかしい」し、妙な説得力がある。

共感を生むエピソード

リカコさん

この章では、著者ではなく、本章に登場する「リカコさん」へ絶大な共感を覚えたので特筆したい。

第一印象は正直愛想が良くない。一緒に働いている大先輩の角谷さんはリカコさんのことを「あの人」と呼び、だから他所から来た人は嫌なのよ、とよく愚痴をこぼしてくる。だけれど、なぜだか私はリカコさんと仲良くなる予感がした。

しゃべる著「姉と夜」- リカコさん

私自身、友人の研究室でフィールドワークとして鹿児島へ行くというので、教授からの後押しもあり、良い機会だと思い同行させてもらったことがある。しかし、友人以外の研究室のメンバーからすると「他所から来た」私は言わば「招かねざる客」であり、それは鹿児島滞在中も大学に戻ってからも変わらなかった。愛想よく振る舞ったつもりでも、私が他所者であることに変わりはない。
しかし幸いにも私は自分の機嫌取りの方法をしっかりと心得ていた。作中のリカコさんと同様、欲しいものには対しては些細な金額差を気にしないし、毎晩必ずデザートを買った(余談)。

このような経験を持っていたため、リカコさんの生き方に共感し、リカコさんに共感する人がいることも嬉しく思った

通路側に座る人間

この章では、回転寿司でいつも奥側に座る人間である著者の、「必ず通路側に座る人間」の思考の考察が描かれている。

食べている途中の手を止めて、お皿を取る。なるべく浅く持って、触れる面積を減らしつつ落とさないように、確実に注文主に届ける。そう、私は奥側の人間であることに誇りと責任を持っているのだ。

しゃべる著「姉と夜」- 通路側に座る人間

この一節、強く共感する。というより、この一節を読むことで初めて自分が「奥側の人間」であることに気づき、章末の「通路側の人間」による
 「んなこと深く考えてねーわ!」
の一言によって、こんな考えを日常的にしている自分は考えすぎな人間なのだと気付かされた。
(私はこの「姉と夜」を読むまでは自分はあまり深く考えずに過ごしている方だと認識していた。)

「きょうだい」の特異な関係性

姉と夜

本書の後半となるこの第六章は、著者とその姉との関係性の変化、著者の心情の複雑な緩急が記されている。

著者の姉への愛と、姉妹ならではの姉という存在の影響力が強く伝わる内容だった。
「きょうだい」という特異な関係は、時に救い合い、時に傷つけ合う。
本章においても、著者が姉に救われたような一節がある一方で、「妹」という立場への戸惑い/苦難が描かれているようにも捉えられた(私個人の解釈)。

そう考えると本当に「姉妹」という概念を理解したのは姉が家を出てからかもしれない。五年後の私だと思っていた姉の足跡から逸れていく自分に違和感を感じ、ようやく姉と自分が全く別の人間だということに気がついた。

しゃべる著「姉と夜」- 姉と夜

前半の、著者の考えすぎてしまう節からこのような葛藤が起こるように見えてしまうが、「きょうだい」とはこういうもので、きょうだいを持つ誰もが等し並みに持つ悩みであると思う。

第七官界彷徨

前章では「姉とは違うこと」「姉に妹としてしてもらったこと」について述べられている一方で、この最終章では正反対の考えが述べられる。

フォローする彼らが男の言葉をどう受け取ったのかはわからないが、受け流すことのできる大人、あるいは気にも留めない人間なのだろうと思った。姉は何も言わなかった。(中略)
頭の中では口に出されなかった姉の言葉を想像していた。他の人にとっては小さなことかもしれない。それでも私たちにとっては、私にとってはきっと震えてしまうほどに許し難い暴力だったのだ。

しゃべる著「姉と夜」- 第七官界彷徨

男に責められ、周囲にも完全な理解をされなかった姉の心情を瞬時に感じ取り、姉と同じことを考え、同じ感情を抱いたことを明確に記している。

これが「きょうだい」の特異な点の一つであるなと気付かされた。「違う」のに「同じ」で「分かってしまう」のである。

考えすぎでもわるくない。

「考えすぎる私」というしゃべる氏による本書を読んで、私自身も考えすぎな人間であることに気付かされた。
私は「考えすぎてしまうひと」は辛く、苦しんでいるのではないかと考えていたため自分がそうであることを認めたくなかっただけなのかもしれない。(勝手に憐むのは迷惑な話である)

しかし本書を読み、考えすぎることで、日常で見落としてしまったり、放棄してしまったりしていることを拾い集めることができるのだと気づいた。
拾い過ぎて自らを滅ぼしてしまうこともあるだろうが、何も感じずに受け流す人よりはずっと良いだろうと、私は思う。

私自身「姉」がいるため、兄弟の関係性についての記述を期待して手に取った一冊であったが、結果として自分自身に気づきをもたらすこととなった。大変ありがたい出会いであった。

また、読み返すだろう。



個人的に気に入った/共感したフレーズ集

私は言葉遊びが好きなので、感想文では紹介できなかった素敵なフレーズをまとめさせていただく。

ダブルミーニング!?

その日は一緒にお風呂に入りながら最近のことや今日からの一週間について話し、お互いの距離や温度を確かめ合った。

しゃべる著「姉と夜」- 姉と夜

温度 = 体温と距離感 とダブルミーニング!?表現上手すぎる。。
そしておそらく「体温」は姉妹にとっての一種の合言葉なのではないかと勝手に推察した。

スキな表現。

道の端の風に揺れる影に腰を下ろすと、思わずため息が漏れる。

しゃべる著「姉と夜」- 姉と夜

きょうだいあるあるだよね…

昔はメダルを入れるタイミングを誤ると分かりやすく嫌な態度を取られたものだ

しゃべる著「姉と夜」- 姉と夜

よくやっちゃう

「全部終わったらみんなでご飯行こうね。もちろん一緒に。」
楽しみですね、と顔で表現しながらアジフライに齧りつく。

しゃべる著「姉と夜」- 第七官界彷徨

「みんな」って円の外の私も含まれてる?ほんとに実現するのかな?と要らない思考を瞬時に巡らせ、悩んだ結果、表情だけでその場に参加しておくのである。(著者は違う意図かもしれないが)

沈黙を耐えるために

心強さと共に沈黙の間がエレベーターから会場の前まで広がってきたことを感じた。一昨日までは他人だったのだなと考えながら重なったフライヤーの角を意味なく整える。

しゃべる著「姉と夜」- 第七官界彷徨

なぜかやってしまう。意味ないのにね。

私は姉の隣を確保し、向かい側にいる店長のグラスについた水滴を見ていた。

しゃべる著「姉と夜」- 第七官界彷徨

気づいたら見てる。水滴は視線が落ち着く。


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