考えすぎでもわるくない。 「姉と夜」感想
しゃべる氏のエッセイ「姉と夜」を読んだ感想。
気になったフレーズを抜粋させていただきつつ、感想を述べます。
※私個人の解釈であり、著者の意とは反する場合があります。
ワードセンス
まず、著者のワードセンスが絶妙でついクスッと来てしまい、描かれるシーンも共感を呼ぶ親しみのあるものばかりで、読書の機会が多くない私でも読みやすさがあった。
エッセイなのに自己の主張の押し付けがない塩梅が読みやすさにつながっている気がする。
特にこの章(レジャーシートの奴隷)は想像の話であるのに妙にリアリティがあって、読んでいるうちに想像であることを忘れてしまっていた。
三人の女の話
このワイン銘柄の奇怪な共生関係を、他人に劣等感を覚える主人公への励ましに用いるセンス。とてつもなく「おっかしい」し、妙な説得力がある。
共感を生むエピソード
リカコさん
この章では、著者ではなく、本章に登場する「リカコさん」へ絶大な共感を覚えたので特筆したい。
私自身、友人の研究室でフィールドワークとして鹿児島へ行くというので、教授からの後押しもあり、良い機会だと思い同行させてもらったことがある。しかし、友人以外の研究室のメンバーからすると「他所から来た」私は言わば「招かねざる客」であり、それは鹿児島滞在中も大学に戻ってからも変わらなかった。愛想よく振る舞ったつもりでも、私が他所者であることに変わりはない。
しかし幸いにも私は自分の機嫌取りの方法をしっかりと心得ていた。作中のリカコさんと同様、欲しいものには対しては些細な金額差を気にしないし、毎晩必ずデザートを買った(余談)。
このような経験を持っていたため、リカコさんの生き方に共感し、リカコさんに共感する人がいることも嬉しく思った。
通路側に座る人間
この章では、回転寿司でいつも奥側に座る人間である著者の、「必ず通路側に座る人間」の思考の考察が描かれている。
この一節、強く共感する。というより、この一節を読むことで初めて自分が「奥側の人間」であることに気づき、章末の「通路側の人間」による
「んなこと深く考えてねーわ!」
の一言によって、こんな考えを日常的にしている自分は考えすぎな人間なのだと気付かされた。
(私はこの「姉と夜」を読むまでは自分はあまり深く考えずに過ごしている方だと認識していた。)
「きょうだい」の特異な関係性
姉と夜
本書の後半となるこの第六章は、著者とその姉との関係性の変化、著者の心情の複雑な緩急が記されている。
著者の姉への愛と、姉妹ならではの姉という存在の影響力が強く伝わる内容だった。
「きょうだい」という特異な関係は、時に救い合い、時に傷つけ合う。
本章においても、著者が姉に救われたような一節がある一方で、「妹」という立場への戸惑い/苦難が描かれているようにも捉えられた(私個人の解釈)。
前半の、著者の考えすぎてしまう節からこのような葛藤が起こるように見えてしまうが、「きょうだい」とはこういうもので、きょうだいを持つ誰もが等し並みに持つ悩みであると思う。
第七官界彷徨
前章では「姉とは違うこと」「姉に妹としてしてもらったこと」について述べられている一方で、この最終章では正反対の考えが述べられる。
男に責められ、周囲にも完全な理解をされなかった姉の心情を瞬時に感じ取り、姉と同じことを考え、同じ感情を抱いたことを明確に記している。
これが「きょうだい」の特異な点の一つであるなと気付かされた。「違う」のに「同じ」で「分かってしまう」のである。
考えすぎでもわるくない。
「考えすぎる私」というしゃべる氏による本書を読んで、私自身も考えすぎな人間であることに気付かされた。
私は「考えすぎてしまうひと」は辛く、苦しんでいるのではないかと考えていたため自分がそうであることを認めたくなかっただけなのかもしれない。(勝手に憐むのは迷惑な話である)
しかし本書を読み、考えすぎることで、日常で見落としてしまったり、放棄してしまったりしていることを拾い集めることができるのだと気づいた。
拾い過ぎて自らを滅ぼしてしまうこともあるだろうが、何も感じずに受け流す人よりはずっと良いだろうと、私は思う。
私自身「姉」がいるため、兄弟の関係性についての記述を期待して手に取った一冊であったが、結果として自分自身に気づきをもたらすこととなった。大変ありがたい出会いであった。
また、読み返すだろう。
個人的に気に入った/共感したフレーズ集
私は言葉遊びが好きなので、感想文では紹介できなかった素敵なフレーズをまとめさせていただく。
ダブルミーニング!?
温度 = 体温と距離感 とダブルミーニング!?表現上手すぎる。。
そしておそらく「体温」は姉妹にとっての一種の合言葉なのではないかと勝手に推察した。
スキな表現。
きょうだいあるあるだよね…
よくやっちゃう
「みんな」って円の外の私も含まれてる?ほんとに実現するのかな?と要らない思考を瞬時に巡らせ、悩んだ結果、表情だけでその場に参加しておくのである。(著者は違う意図かもしれないが)
沈黙を耐えるために
なぜかやってしまう。意味ないのにね。
気づいたら見てる。水滴は視線が落ち着く。
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