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諏訪部佐代子 VIVA滞在日記④ どうしても売りたくない絵

作品を売ること、価格をつけるということに対してどのようなスタンスでいればいいのかという問いのために始めた当プロジェクト"ノット・フォー・セール"。
2021年現在、売りたい作品を考えるのは困難で考えにくいものであるが、逆にどうあっても売らないと決めている作品ならある。


《はじまりの場しょ》

突然だけれども、私には忘れられない恩師がいる。

幼稚園の頃から高校三年生までお世話になっていた絵の先生である。彼がいなければ私は芸術の道には来ていないだろう。絵の先生とは言ったけれども、私はその人のもとで全然絵を描かなかった。その代わりたくさん話をした。若いころはネオ・ダダに所属して現代美術の先っぽにいた先生。私は彼から絵の描き方は全く教わらなかったが、人生について多くのことを学んだ。

その先生はなかなかおかしな先生だった。園児たちの前で当たり前のようにたばこを吸うし、その火を園児が手を洗う水場で消すし、よく子どもたちにいたずらをけしかけていた。子どもの後ろから脚をつかんでいきなり広げさせ、「おしっこチー!」と遊ぶのだ。小学二年生くらいまでの子しかさすがにやられていなかったと思うが、今だったら親から集中砲火されそうな先生。

でもそのお絵描き教室はとてもゆたかな場所だったと記憶している。

彼はとにかく面白いことをやれ!とか失恋や失敗をたくさんしろ!とか、そういうことばかりを言ってきた。

私は作品を作るときにこの言葉を今でも思い出す。面白いこと、とはとにかく難しい。先生を面白がらせるのに私はいろんな計画をしたがほとんどウケなかったような気がする。一番先生にウケたのは布マスクにリアルな口と鼻の絵を描いてお身体大切にしてくださいというお手紙と一緒にプレゼントしたときだった。先生は喜んでその年の年賀状にまでその写真を使ってくれた。

このときからどれだけ失敗したかが自分の作ったものに対する自信にもなっているかもしれない。

また、作品をとにかく見なさいだとか、哲学を学びなさいだとかそういう言葉もあった。受験生だろうが何だろうが音楽を聴きなさい、とも…。

先生は作品を分析する方法や、哲学を理解するための最良の方法を教えてくれたわけではないけれども、自分の考えを大人と共有する機会を与えてくれた。ワークショップをさせてくれたり、作品について話す場所をくれたり。

このような経験は私にとってかけがえのないもので、自分の考えを人に伝えるときのベースにもなっているように思う。

私は美術大学に通っているが、18歳のとき、初めての入試を直前にして突然白いキャンバスが怖くなり、パニック障害を発症してしまったことがあった。センター試験が引き金だった。私は泣きながら彼に電話し、この状況にどう対処すべきか尋ねた。

すると「さよは良いね、その出来事は君の素晴らしい感性を表しているんじゃないか。泣いたり、絵が描けなくなったりすることがあるなんて、それだけ繊細に物事が受け止められるということなんだよ」と先生は優しく返してくれた。その言葉が自分の絵や精神に向き合うきっかけとなった。


先生は私が2017年オーストラリアに滞在しているときに亡くなった。心臓の病だった。



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はじまりの場しょ 2017 麻布に油彩 2000×1150 


そのときに描いたのがこの絵だった。これはどうあっても売れない。

その理由は何なのだろうか?そんなことを考えながら制作した1日であった。

2021年7月2日

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