神経疲労について考えようのコーナー

体の疲労「脳が原因」 交感神経酷使、細胞にダメージ
https://style.nikkei.com/article/DGXKZO13851510Z00C17A3NZBP01/

疲労の分子神経メカニズムと疲労克服
https://www.jstage.jst.go.jp/article/fpj/129/2/129_2_94/_pdf

慢性ストレスが脳を変える 慢性ストレスによる中枢神経を起点とした
恒常性維持機構の破綻
https://www.jstage.jst.go.jp/article/fpj/142/5/142_210/_pdf

【13分で解説】スタンフォード式 疲れない体|回復の奥義"IAP呼吸法"
https://www.youtube.com/watch?v=xlBpubBdV9g

「神経系の疲労」とは ? - 疲労するのは筋肉だけではない【筋トレ】
https://www.youtube.com/watch?v=lKIGD9YEQuE


Twitter走り書きまとめ


神経疲労リスクのケアを知らない、あるいは日常のルーティーンに神経疲労回復のプロセスを組み込まなければあらゆる生命活動に支障が出ます

筋肉や内臓の疲労よりも神経疲労の影響が生体にとって重大であり、どのように神経が疲労して、どのような休息によって、どのように神経が回復するのか、そして発達するのか、という知識は全ての生存時間の役に立ちます

人間は人体が全く進化していないにも関わらず文化と道具だけが進化して、生活内容に生体性能が追い付いていないという前提をまず持ちましょう

何の科学的解析もできない日常生活においては人体のステータスを示すあらゆるパラメータがマスクデータであり、どこがどれだけの強さなのか弱さなのか、どこがどれだけ元気なのか疲労しているのか、どこがどれだけ発達しているのか未発達なのか、定量化することは不可能だがデータ自体は存在している。

生体ステータスを無視して生活することは物理法則を無視するのと同義であり、落とし穴や地雷が設置された危険地帯を無謀に走り回る状態のようなものだと言ってもいい

生体ステータスと向き合うということはすなわち、どのような自覚症状があればどういう状態だと説明できるのか、自覚症状がなくてもどういう生活内容であればどのような状態を想定できるのか、逆に特定の状態を目指すならどのような生活内容にすればいいのか、どうなりたいのか、どうなりたくないのか、どうしたいのか、どうしたくないのか、といった問いに向き合うのと同義

人間は疲れさえしなければ何でもできるかもしれないが、生体は必ず疲労するもの
疲労の克服とはあらゆる困難の克服に通ずる

そして最大の疲労の元である神経疲労に注目しましょうという話に戻る

神経組織は医学上で中枢神経系と末梢神経系とに大別されてはいるが、疲労と回復という観点から言えば全身の神経はまとめて疲労し、全てまとめて回復するというイメージを持った方がより実用的なアプローチができると私は考えています

結局生活内容に与える変化としてやれる事自体が限られているので、組織を細分化して狙う箇所を限定して何かを行っていくというのではなく、神経全てが休まるのか休まらないのか、神経全てが疲労するのかしないのか、という単純な基準でしか説明が付かないと言ってもいい

交感神経だけが強まりすぎている傾向があって緩める変化をさせた方がいいとか、副交感神経を優位にする手法を取り入れた方がいいとか、という小細工が必要な場合はあるものの、最大の休息効果を出すには感覚器官に何の刺激も与えないことなので、大前提をブレさせないように考える必要がある

暇と動機さえあれば何らかの刺激的なコンテンツに触れているような人間は自己管理の概念がない場合が多く、さらにアルコールで神経が麻痺することを好む傾向も強い

全て構造を把握した上でその生活内容を好んで実行しているならともかく、何も知らず何も考えず何も感じずに生活した上で、なぜ自分が疲れているのか、なぜ疲れやすいのか、なぜやる気が出ないのか、なぜどこかしらの調子が悪いのか、なぜ眠りが浅いのか、など問題の原因がわからないと訴える人間が多い

どうしようもない他人の事は放っておくものとする

モニター上の論文は視神経につらくて気軽に読めないのが難点

こういうのも英文じゃないとろくな情報なさそう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?