見出し画像

アマネSS(モブ視点)

無職になって数週間が経った。不況の中、無能の俺を置いておく意味もないのだろう。
すり減る金、摩耗する精神。生活保護を受けてみようかと悩み、役所に行ったが水際作戦で受けれなかった。
貯金の残高を見てため息を着く。今日もバイトの面接の応募の合否は来ない。
家に帰るまでの道のりが遠く感じる。もう夕方だ。雪もポツポツと降り出している、早く帰らないと…小学生も傘をさしてにこにこと笑っている。
はあ、楽しそうでいいな、と思っていた時に、隣の家に住んでいる子が見えた。

あの子はいつも、とぼとぼと一人で家に帰っている。他の小学生たちは親や友達と一緒にいるのに。彼女……アマネさんは俺が住んでいるボロボロのアパートに帰っていく。
――ここのアパートは、安い代わりにカルト宗教の集会に使われているらしい。
でも俺のところに誘いは来ない。俺が金を持っていないことを知っているのだろう。
歯がゆさを感じる。あの日とぼとぼと歩いていたあの子が、俺は気になってしょうがないんだ。

深夜。隣の部屋のベランダの扉が強く締められる音がする。
俺は怯えながら隣の、モモセさんのベランダを見た。
――膝を抱えて、震えてるあの子が居た。俺はいてもたってもいれなくなり、暖かい飲み物を持っていこうとしたが、その済んだ目と目が合った時に、俺はなんて愚かなことをしようとしているのだろう、と気づいた。
彼女は、信じているのだ、雪が降っている日でも、祈りを続けているのだ――

俺は部屋の中に入り、ベランダの扉を閉めて眠ることにした。
結局、彼女が朝までいたのかは、無職の俺には分からないままだった。

結局のところ、数ヶ月後に水道は止まり、ガスも止まり、こちらの事情を知った痩せた大家が申し訳なさそうに家から出ていって欲しいと告げてきた。
当たり前だ。ここからもう行く場所もない。
売れる物を探すがそんなものもなく、意味の無い通帳をシュレッダーにかける。
隣の家は静かだ。今日はあの子は痛い目にあっていないらしい。
もう会うこともないだろう、これからはあそこの公園近くの――河原でも生活しようか。
役所には何度も相談した。精神科にも連れていかれた。出た診断を見て絶望して、より何も出来なくなった。

そこからまた数ヶ月が経った。なんやかんや生きている。河原で薄いビニールシートと、ダンボールを手に入れることが出来たので、簡易的な寝袋も作れた。
――それに、生きる希望、活力も見つけれたのだ。
あの子が入っている教団はホームレスのために炊き出しもやっているらしい。お世辞にも美味しいとは言えないが、炊き出ししてくれるだけで有難い。
そこに、アマネさんもいたのだ。
もう会うこともないと思っていた子が、あの時よりも近くで、自分に熱い粥が入った椀を渡してくれている。その事実が、生きる希望だ。

1週間に1回くる炊き出しの日のために、朝早くに銭湯に行くルーティンが出来た。最近足が痒くて仕方ない。何度も何度もゴシゴシと洗っても痒いから、なんらかの病気なのだろう。
髪もキシキシと音を立てている。そんな姿をできる限り見せたくない。
番台の親父は「お客さんシャワー何回も浴びすぎ、病気になるよ」と笑っていた。
その後俺にコーヒー牛乳をサービスしてくれた。
ああ、人の善意で俺は生きているんだ。と希望が沢山できていった。

靴も壊れてしまったので、軍手とビニールテープをぐるぐる巻きにしたものを靴にして歩く。
こんな格好でも、俺は幸せだった。
――あの日が来るまでは。

いつも通り銭湯に行く、番台の親父の隣に若い、いや……本来なら俺と同じくらいの歳の溌剌とした青年が立っていた。
親父は青年が俺に向かって語ろうとしている言葉を止めさせようとするが、青年は止まらない。
「お客さん」
「はい」
「………あなた、あそこの川にいるホームレスの一員ですよね……別に、そこはいいんです、でもあなた、足は水虫になってるし頭はシラミがいるし。正直、あなたが来る度に掃除をし直さなきゃ行けないんです。迷惑なのでこれからはうちには来ないでください。」

しゃん、と言いきられる。親父はいやいや来ていいよ!と言ってくれている、気がする。
音が聞こえてこない。叫びながら銭湯を後にする。

もう炊き出しの時間になっていた。いつも羽織っているブルーシートを血が出る程握る。
アマネさんは、何も気にせずに笑顔で俺の方を見ていた。
「………?元気が、ないのですか…?今日のお粥は私が作ったのですが……はい、どうぞ」
温かい粥。自分についたハエがその粥に入っている気がした。
「あなたによきことがありますように」

あの子は笑顔で送り出してくれる。

粥を食べる。気持ち悪い。吐き気がする。助けてくれ。
俺の中のハエが粥に流れ込む。水が飲みたい。
目の前に水がある。
飲み込む。川の冷たさが頭の中の灼熱を冷やす。
殺してくれ、助けてくれ………
「おぇ………がっ…………」
水と一緒に粥が流れる。胃酸の味がした。
あの子の祈りも一緒に流してしまった気がする。いや、もう俺は救われないのだろう。
羽織っていたビニールシートを脱ぎ捨てる、寒い。必死に走る。爪が痛い。もう本当に、二度と会えないのだろう。


毎週来てくれる、ビニールシートを被って寒そうにしている人が、最近来なくなってしまった。
私は橋の隅の、彼がよくいた場所に学校帰りに寄ってみる。ここは野良猫も沢山いる。
ゴロゴロと私の前で甘える野良猫。かわいい。そこに、猫を温めるために囲まれたダンボールとビニールシートが置いてあった。

――あの人のものだ、と直感した。
明日は炊き出しの日だ。明日には来てくれるだろうか。 とりあえず、このビニールシートはあの人のものだろう。これがなくて寒くて困っているかもしれない。

炊き出し担当の方にビニールシートを落し物かも、と手渡そうとした。
「………これはゴミだねえ」
「……えっ、でもこれをつけてる人がいて」
「うーん……桃瀬さんの気持ちもわかるんだけど、ボロボロすぎるし……それに最近その人見ないのでしょう?だからこちらで処理しておくわ。ありがとうね」
「………はい。」

ビニールシートは青いポリ袋に入れられてしまった。あの人はもう来ないのだろう。酷く寒がりなあの人の事を思い出す。

せめて、次の場所では寒くなくなりますように、と私は頭の中で祈った。


バナーイラスト ミルクカレーさん(@curry_milks)からお借りしました(許可はとっています。)
読んでいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?