悪意か敵意か
実は誹謗中傷、悪意あるいは悪意のない悪意以外にも「敵意からくる誹謗中傷」ってのが存在します。
世の中には堂々と悪事を働きながらなぜか罰せられることなく活動してる人間や、そうである証拠がそこかしこにあるにもかかわらずできた人間として称賛されている人間がたくさんいますからね。
彼らを野放しにしてしまったら自分や他人や社会が危機に陥れられかねない、秩序が乱されかねないと感じたら、やっぱり排除方向の言動って出るもんですよ。
ところがどうも見ていると、一般人はもちろん裁判官や警察ですら「悪意あるネットユーザーによる誹謗中傷」という先入観で誹謗中傷を捉えているっぽい傾向があるような気がします。
これはかなり良くないですね。
いやもちろんこの話って「悪意由来の誹謗中傷じゃなく敵意由来の誹謗中傷だからセーフとかそういうんじゃない」んですよ。
誹謗中傷は等しく裁かれるべきだと思います。
ただその悪意か敵意かの部分を重要視しなければ、例えば「悪意や悪意のない悪意を以て他者に敵意を持たせておきながら誹謗中傷や名誉毀損で訴訟を起こし賠償金をゲットする不届きな輩がいてもそれを社会や司法が容認する方向で話が進んでしまう」可能性があるわけですよね。
それは司法が水際にならなきゃいけないんじゃないですか。
「誹謗中傷は確かに悪いけどあなたの言動にも問題があるので被告の罪は不問とはいかないまでも減刑する」くらいやらないと、マジで真に悪意ある人間のやりたい放題になりますよね。
また原告側に悪意がありそれに対する敵意を誹謗中傷という形で向けた裁判であった場合、報道の仕方にも慎重にならないといけません。
現状ではたとえ原告側がそうであろうが原告側に同情が寄せられるであろう報道しかされてないじゃないですか。
それで原告って敵意を向けられる言動をした過去を省みると思います?
俺はそうは思いませんけど。
ていうか、自分のそういった言動を棚に上げて何喰わぬ顔で訴訟する奴が傷つくタマかよっていう。
被告の発言内容ばっかり問題視してるからそういう致命的な部分を見落としてしまうのでは?
それが何の社会のためになるっていうんです?
うわべだけの秩序を守ってるだけじゃないかよ。
そんなのはむしろ秩序を乱す行為でしかないのでは〜?
いちおう付け加えておくと、本当に悪いことなんてしてなくても敵意を持つ奴ってのもいます。
それはまあ敵意を持つこと自体が間違いなんですよ。
今回はそうじゃなくて、誹謗中傷被害者の中には平然と悪いことをしながら敵意をぶつけられたら被害者面して訴訟もするような悪人も潜んでいるよ、だから誹謗中傷がなぜされたかの原因究明とその原因の解消(すなわちそういった悪人の処罰)も大事だよ、って話。
本当に秩序を守りたいならそれくらいはしてもバチは当たらないさ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?