2019年8月12日の公開ミーティング

あいちトリエンナーレでの「表現の不自由展 その後」の中止を受けて、2019年8月12日に愛知芸術文化センターで行われた最初の公開ミーティングのメモをアップします。ほぼリアルタイムに打ち込んだパーソナルな議事録で、発言者の文意に不明瞭なところ、発言者の名前などに曖昧なところがあるけれど、あくまでも参考資料として手を入れずに載せます。

この前日に突然メールで会のお知らせを受け、日帰りで名古屋へ向かった。会場で非公開の第一部があったことをはじめて知って、ここに載せたのはオープンにした第二部。

あいトリには8月26日と30日に自主的に行った文化庁前抗議などをはじめ、やたらと首を突っ込むことになったけれど、いま振り返ってみるとこの日のミーティングでのイム・ミヌクら海外作家の発言が原点にあったように感じる。

津田大介芸術監督の長いスピーチの一部発言に対して、イム・ミヌクがskype越しに激昂した直後会場の空気がこわばったのを覚えている。そして、それはすぐに「なかったこと」になっていた。対話のなかで起きた「波」に動揺してしまう感じや、津田スピーチの前に突然はじまったワークショップの「茶番」感への違和感があいトリを通じて自分のなかにあって、現在も続いている。

周知のとおり、あいトリでは、このあと文化庁による補助金不交付の決定、大村愛知県知事の号令一下による電撃的な再開などがあり、そして今年は、それらのプロセスや決定を受けて「ひろしまトリエンナーレ」への実質的な検閲システムの実行が決まっている。(2020年3月7日)


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(第一部は非公開。アーティストと津田さんの対話が目的。18時からは第二部としてメディア関係者を入れている。)


前席(登壇席)
小田原のどか、村山悟郎、タニア、加藤泉、小泉明朗、高山明、藤井光、毒山凡太郎、
ペドロ、津田大介、しほさん?

後席(観客席)
表現の不自由展メンバー、青木美紅
能勢陽子、相馬千秋、中村史子

skype
イム・ミヌク、Leung Ghi wo、田中こうき、高嶺格?、


小田原
2日前、非公開の話し合いを集まれるアーティストで行なった。
アーティストからのステートメントについての集まり、タニヤさんも参加。
話し合いのなかで、ディスカッションを継続的に行わなければ。
津田さん、キュレーター、事務局を交え、タニア在日中に1回目のシンポをしようと。
ペドロさんにマイクを渡す。

ペドロ(キュレーター)
まず私が言おうとしたこと。キュレトリアルチーム、アーティストともに成立しようと努力していたのは、これが政治的な話題にまっこうから取り組むトリエンナーレであるということ。
移民、ジェンダーなど。
これはビジュアルアート部門に限らない。全体でポリティカルな問題に強く特化した、扱うトリエンナーレ。
これは現在の私たちの状況を象徴するもの。
私もさまざまなアーティストと何回もこの話をした。
作品の話をしようと持ちかけているが、多くの人にとってきになるのは表現の不自由展のクローズ。
アーティストにいろんな感情が混ざっていて、一つの答えはない。
スタッフへの共感、、同時に、この日本の文化的状況、自己検閲が行われていることに対してアーティストの意識、、その2つが葛藤をよんでいる。
多くの作家は、展覧会を閉じることで、悪化してしまった、、というのが大多数の意見。
このことに関して、十分に話し合ってきたと思う。これ以上どうすればいいか答えが見つからない。
ただ、今回話し合っている、自分たちの作品を取り下げる、中止するってことに自分の意見を言うと、それはアーティストとしてのクリエイティビティ、イマジネーションに欠けることではないか?
それは達成しやすいアクション、抗議だが、、それは世界中、アート以外のところでも起きている。
ブレクジット、日韓、香港、、世界中がどんどん崩壊していって、本来持っていた仲間関係が崩壊してしまっている。
そのことに作家としてアクションをとらなければ、同じことになるのでは?
日本の労働環境を外から見ると、残業をして、自主的に会社に貢献することがある種のストライキになる。。余剰をつくることで会社に貢献しながら抵抗するということがあると。
それが本当かわからないが、いまはそれに似ている。
中から考えすぎていて、対応策が見えなくなっているのでは?
自分がいちばん考えたいのは、私たちが行うこれからのアクションが外からはどう見えるのか、ということ。
スチュワートさんがどのような理由で作品を取り下げても、外のお客さんからは単純に作品がなくなった、としか見られないのではないか?
国際的なアート関係者にはメッセージが伝わるかもしれないですが、アーティストとして単純に中止にすることは、日本の政治的、文化的環境を解決することにはならないのでは。
アーティストである私としても、もっとクリエイティブな方法はないか?と思っている。

タニア
タニアです。
今のに関して、意見があります。
まず一つは、ペドロさんがいうとおり、いま世界は崩壊に向かっていてファシスト的なふるまいがマイノリティーをおびやかしているのは事実。
それが増大しているのは、権力に立ち向かうべき私たちが、向き合ったり抵抗するのではなく、恐れていることを先に示していること。それが増大している。
もうひとつ、検閲について。
あいちに1日にOPがあって、本当に素晴らしいと思った。参加できたことが嬉しかった。
同時に、このトリエンナーレは二重三重の検閲をはらんでもいる。
取り下げなければならなくなった、中止したことはもちろん検閲。
作品の内容について、何かのアクションが起こされた、という時点で検閲と思う。
オーディエンスへの説明に、検閲が起きたということが書いてない。これは観客への検閲。
モニカメイヤーからのメッセージ。

「ペドロがいうように、アーティストがクリエイティブなメッセージを発したときに、その効果が先になる。それも検閲では?
私の場合は、取り下げではなく、話し合う場になる作品にしようと提案、、しかし事務局からの実行はまだない。
それも検閲的な状況ではないか?」

私がコンタクトをとっている作家たちは、作品の保留を訴えている。
作品を一時的に作品を見せられない状況にする、ということを提案したい。
二重三重の検閲について考える時間が起きる。
また連帯が大切。保留によって連帯の時間が得られるのでは?
ドロ・ガルシアからの提案もある。
複数の作品が展覧会で見れない状況に、なぜ検閲が起きてるのかをオーディエンスに言わないのか。何も起こってないように振る舞うのか。
海外のアーティストからの意見、、トリエンナーレからは事態の収束に努力しているので、単独で行動したり、ステートメントを出すのを待ってほしいと。それで待っている。
ただ、脅迫をしてきた男が逮捕されたので、表現の不自由展を開始する理由はある、と考える。
すべての人への安全の保証は必ず守られるべきだし、彼らが大変な思いをしているのはわかる。共感している。
しかし、安全を守る方法は必ずある。
展覧会への出品保留を提案しているのは、女性の人権・自由を扱う作品もある。
いま検閲されている作品には、その問題、女性が黙らされることについての作品もある。
私たちから提案したいのは、オープンなディスカッションの機会をアーティストたちのために守ってほしい。オープンに意見を表明する機会を確保してほしい、ということ。
私たちは、最初は黙っていること、沈黙を守ることで何かかえられるかと思っていた。それによって変わらなかった。いまは行動を起こすことでトリエンナーレが継続すること、成功すること、、
圧力をかけている権力にプレッシャーをかけていくことが可能になる。
確信を持っているのは、検閲に対して行動することで、このトリエンナーレが検閲に屈しないモデルになるということ。
この問題を連帯して解決することで、他のいろんなケースへの検閲、、それを覆すことができるのだという例になりたいと思っている。

イム(skype)
ペドロさんに一つ質問です。
完全に理解できたかわからないが、ペロドの提案は、私自身は作品を見せてない立場として言うが、、ペドロさんには展覧会から作品を取り下げるでのはない、想像力に溢れた方法がある、ということか?
その想像力というのは、私たちの目の前にあることから始まるのでしょうか?

ペドロ
例えば私のアイデアは、、
展示にみんなで戻ってくるけれど、より拡張、より強い状態で戻すこと。
例えば、不自由展が取り下げになっているが、そこに出品作家が過去に検閲にあったものを持ちこむ。
200の作品が展示されることになる。
そういう姿勢によって、検閲に沈黙されないという姿勢を示すことが重要。
もうすこしシンプルならば、、モニカメイヤーのクローズラインに参加し、検閲について知っていることを張り出し、観客だけでなく全員が検閲とは何かを考え、議論する機会をつくる。
検閲に対して自分たちが向き合っていくならば、さらに強い姿勢、強い状態で戻っていくのが重要。

イム
よいアイデアだと思う。
でも、変だなと違和感を感じるのは、ペドロさん自身も自己検閲がいちばんの問題で、内部で作家への検閲が行われた、ということではないか?
我々がそれについて話しはじめたのは、残念なことに、取り下げられて以降。
これからオープンに話し合っていくのだと思うが、表現の自由を考えるときに想像力を大事にしよう、、、というときに、我々は作品が見えない状態から対話し始めるしかないということなのか?

ペドロ
いちばんの根幹にあるのは、辛い問題であるということ。そして、この問題の話を共有しづらいこと。
例えばひとつの出口としては、sex slaveの作品にだけフォーカスするのではなくて、また検閲ということだけに話すのではなく、すべてのアーティストが話せるように拡張すること。そういう姿勢をとることで糸口が得られるのでは?

イム
最後にひとつだけ。
私自身が私の作品を取り下げた意思については、他のアーティストがそれに続いて取り下げることを助長するためにやったわけではない。毛頭ない。
別のアーティストが、アーティストをやめようと思ったと聞いて、すごく悲しくなった。
もしも私の取り下げが、それに加担していたならば本望ではない。
私が作品を見せないようにしたのは、表現の自由について考える機会を開きたかったから。
韓国の記者からも取材のオファーがあったが、多くは拒否している。
不自由展の作家たちも、それぞれの言葉で語る機会を作ってほしいと思ったから。
フラストレーションはある。しかし未来のためには連帯が必要。
これは日韓の問題だけではなく、トリエンナーレ自体がアートの検閲が起こることの象徴になってはいけないと心配するから。
私がいちばんやりたかったのは、トリエンナーレが、そして日本が検閲に対して連帯してアクションしたい、そのいったんでありたいと。

小泉
小泉明朗です。
表現の不自由展でも天皇を扱った作品があります。また、トリエンナーレではパフォーマンスも製作中。
さきほどのペドロさんが言われてますが、日本の美術のシステムといううのは、基本的に自主規制、自己検閲で成り立っていて、それが動かせないでいる。規制と検閲は密接。それが現状。
不自由展をやるといって、そこで実現された、、、私は奇跡が起きたと思った。
それはOPで津田さん、不自由展実行委員会にも言った。
私たちの日常感覚からすると奇跡のようなこと。
それは忖度せずに津田さんたちがプッシュしてきたから。
でも、いまの現状がある。
先ほどからモニカさん、ミヌクたちが非常に強い意思をもってこのことに取り組んでいる真剣さに、多くの日本人のアーティスト、その他も、すごく強い迫力を感じていることだと思う。
それはなぜかというと、表現の自由についてくる責任に対して、日本社会は、自分たちで民主主義を得た社会ではないので、自由の重さを肌感覚で感じてこなかったからだと思う。
アートというものが表現の自由を体現しなければならないという責任の重さを私たちは感じなければいけない。
で、さきほどから作品をポーズするとかクリエイティブにするとかいろいろあるが、、みんなが成し得たいことは一緒だと思う。
外からどう見えるか、というのがさっきから出てる。アーティストがあるパフォーマンスすることがどのようにパブリックに見えるかがとても大事だと思う。
それは、トリエンナーレ全体で示す、平和へのパフォーマンス、表現の自由を伝えるパフォーマンス。
そして警告、、表現するだけで拷問されたり、秘密警察がいる社会が来るんだよ、、という、そういう社会を経験しているアーティストからの警告だと思っている。
そして最後に言いたいこと。
このジェスチャー、パフォーマンスがどのように日本人に対してパブリックに見えるか。そこは津田さんがすごく得意とするところ。
ただのボイコットではなく、これが別のメッセージを伝えていることなんだという見え方の工夫は津田さんが上手だと思う。
分裂、戦争を起こすためではなく、平和のためのパフォーマンスなのだというのは、作家だけでなく全員で連帯して作っていかなければならない。
だからこそ今日の対話は重要だし、それを続けていくしかないのでは?

加藤翼
加藤です。僕から一つ提案というか発表というか、、
前にクローズでアーティストでディスカッションしたことだが、
津田さんに話すのははじめて。
僕と参加作家の毒山くん、村山くんと話しながら、新しい場所を見つけて、そこで継続的な展示とディスカッションを持てる場所を持つべきだと、独自に動いている。
物件も決まっていて、これから動き出そうというところ。
さきほど高嶺さんの質問、、ボイコットすることが本当に、向こう側にいる仮想敵、、脅迫に対するプレッシャーになりうるのかと。
ペドロさんの意見も、共有していて。
答えの一つは、展覧会をする場所を持つことだろうと。
トリエンナーレという現代アートの場が政治によって分断が可視化された、というのが僕の関心ごと。
政治の話をアートに引き戻していくような作業が同時に必要だと思う。
分断が可視化されて、それをブリッジすることもアートにはある。
これから新たにアーティストがつくる展覧会は、ブリッジするような企画でありたい。
アーティスト主導で、それが連動して、またアートの話に戻ってくればいいなと思っている。

毒山
翼くんと話して、場所をもって新しく態度を示そうと思ったのは、検閲、、作家ステートメントが出たときにあの展示は維持すべきだったとあった。理解できる。
しかし誤解を生む。テロが来たとしても展示すべきだったと解釈される可能性がある。
だから賛同しなかった。
ステートメントが出て客観的に思ったのは、津田さんをよってたかって叩いている気がした。
それでポジティブな提案をしたかった。
美術館では無理だが、自分たちで場所を作り、ポジティブな作品を作り、議論する。
同時に、不自由展をもういちど再開してほしいと僕個人も思っている。
それを検閲だと叩くのもよいが、いまのところ津田さんから検閲だとも発表されてない、、
テロとかお金の問題だと。
、、、作品が中止されることで悲しむ人への配慮が足りなかったかもしれないが。
テロに対してどのように対策するかという対策方法をクリエイティビティを発揮してもよいのではないか? それに僕らも協力していくのがもっと面白いと思っている。

スチュワート(白人男性)
私たちにはサナトリウム(療養所)が必要。
休みながらいろんな角度について考える機会。
そこには左派も右派もあらゆる人が参加できるべき。
怒りや憎悪を抱くということも、いろんな角度から経験してみる機会が必要では?

ペドロ
私の好きなスローガンで、make racist strikes again。
スチュワートの発言を受けてひとつWSを提案したい。

スチュワート
まず私が先に言いたいのは、私自身も人種差別者。
恵まれた環境にいるし、差別は構造によって起きる。

ペドロ
WSを説明します。
cop in the head.
自分のなかにある、自分をコントロールさせてしまうものがあるとしたら、それが警察・検閲の役割を果たす。それについてのWS。
例えば何人かが私のことを取り囲み、言われると怖いことを言葉にしていく。
津田さんにもWSに参加してほしい。
怖いことはささやき声でいう。頭のなかにある声なので。

 (津田、村山、加藤、小田原が参加)

津田さんを囲み、津田さんを怖がらせる言葉を言う。
その人たちを押しのけながら、俺は怖くないぞ!と言ってください。
ではお願いします。


(WS実行中)


津田
完全なトリエンナーレを見たいのは、会場にいる誰よりも僕です。それをわかってください。
、、、さまざまな質問意見をいただきました。
まとめて答えさせてください。長くなりますが、最後まで話させてください。
僕が前に移動したのは、芸術監督として見おろすのではなく、みんなの顔を見たいからです。
 ティムさんから3つの質問があったので答えます。
まず、不自由展の会場がいちばんはしっこにあってゾーニングしていたのが検閲なのか、リスクマネージメントか? リスクマネージメントです。これは不自由展実行委員会、専門家の意見も聞いて行なったことです。
 2つめ。観客に対して、不自由と戦っていこうと投げかけているのか? 投げかけなければならないと思っている。ただ、現在進行中です。テロ予告の犯人も捕まってない状況で、連日メールも来ている。不用意に言葉を発することのジレンマに悩んでいる。
いずれにせよやらないといけないのはオープンディスカッションの場で、観客も含めて議論する、その態度を示すことが重要。
 3つめ。男女平等について。そして平和の少女像。歴史認識の問題に変わっていることについて公式に声をあげるべきでは? これに答えます。
ジェンダー平等はトリエンナーレで達成したのは大きな達成だと思っている。もう一つ重要なのは、不自由展で少女像が出たことも、これにつながっている。なぜならばそれが訴えているのは戦時性暴力だからです。
しかし少女像が投げかけたような議論を正常に議論するのが、日本では非常に難しいというのが示されてしまった。それは日本国民の一人として情けなく思っています。
他方で、日韓問題が歴史認識をめぐって議論ができない状況になっているのが、この混乱の原因になっているのも事実です。不自由展を実施するにあたって、なぜこのようになったのか、、警備も強化し、ゾーニングした、、というのは行政としても難しい判断を強いられていたところがあると思う。
行政がなぜこの企画を最終的に認めたかといえば、公立美術館で規制された作品を経緯も含めて提示し、その是非を発さないということが展示の条件になった。
あくまで表現の自由をめぐる議論のきっかけになるもの、というのがキュレーションのきっかけであるとご理解いただきたい。
ですので、愛知県がこの問題について公式に、、これらの問題、歴史認識、女性の人権についてステートメントは出さないと思う。出すべきでもないと思う。
僕はディレクターで、終了後に報告書を書く。そのなかで、それらのこと、議論することが困難になっているということについて述べたいと思う。これは報告書なので行政文書として残る。
そのうえで続けます。
今回起きたことについて、アーティストのみなさん、集まった方にお伝えしたいのは、ずっと現場で、現場の職員が動いているのを見ていて、、電話だけではなく実際に右翼が来るなどして、ガソリンとして水がまかれたりして、緊張状態に置かれている。
僕がさっきの検閲の問題ではないと言ってるのとも関係するが、いま起きているのは99%暴力とハラスメントの問題だと思っている。
人は暴力にさらされると、からだがこわばる。匿名の、いつ終わるかわらない暴力、、
電話は減った、でもこれからどうなるかわからない。愛知県の職員、キュレーター、アーティストもからだがこわばっている状態。
スチュワートさんが言ったように、まず必要なのは療養所だと思っている。
でもさっきのWSをやっていただいたり、このディスカッションで作家たちの素晴らしいアイデアをいただいたことで、多少はこわばりがなくなった。こわばりをなくしながら、次の展開を考えていかなければならないと思っている。
ただ、そのうえでお伝えしたいのは、この議論をめぐる最大の外部ノイズとしてあるのが、この日韓関係の急速な悪化。これに触れざるをえない。
僕の理解では、日韓の外交問題が経済まで波及して、芸術、表現の自由にまで飛び火している状況だという理解。
多くの保守政治家たちが、この機会に、不自由展、トリエンナーレに介入しようとしている。それはなぜかといえば、これを批判することが政治的に自分たちの支持を固める効果があるとわかっている。批判することに、国民の世論の支持があると思っている。だから続けていると思っている。
そのような争いに、今日集まった、参加できない人も含めたアーティスト、不自由展実行委員会を巻き込んでしまったことを申し訳なく思っています。
不自由展を中止という判断に呼応して、ミヌクさんたちが中止を判断したことも、彼らの判断として尊重しなければならないと思っている。
他方で僕が気にしているのは、タニアさんも含め再開するまで展示を中断したいと言っている。
それについて僕が思うのは、ミヌクさんたちに続いて他の作家も中断するという判断によって起こる政治的メッセージについて気にしている。
つまり、みなさんすごくマスコミ、メディアの報道には苦しめられてきたと思う。その状況を踏まえて、多くの作家が中断の判断をしたならば、まず、日韓という大きな争い、国同士の争いに巻き込まれる。作家は韓国の側に立ったのだと思われる。メディアが面白可笑しく書くだろう。
それによってアーティスト同士の分断を促し、騒ぎたい人たちの餌になってしまうだろう。そのことを懸念している。
その意図がみなさんにないことは100%わかる。しかし日本と韓国のメディアはそのような枠で報道するだろう。
さきほどのタニアさんのメッセージ、、、

ミヌク
xxxxxxxxxxxx(ふざけたステートメントだ!的なこと)

小泉
(ミヌクにちょっと待て、と)

ミヌク
津田さんは、メディアがそういう風に書き立てると、韓国の側に回ると。津田さんはどう思っている?

津田
僕はそう思っていない。そんなことは1ミリも思っていない。
続けていいですか?

津田
タニアさんの言う、こういう状況だからこそ作家が連帯しようというのは感動しました。そのことにディレクターとしてお手伝いできればと思う。
しかし、歪められた政治状況において、アーティストがいっせいに中止してしまうのは、アーティスト同士の分裂をうながすと思っている。
そして、さきほどドラさん、、検閲に屈しないモデルケースを、この危機を乗り越えれば作れるのではということに、僕はパーフェクトに同意します。
なぜかといえば、僕がまさに検閲に屈しないモデルケースを作りたいから、この不自由展の企画を進めたからです。
それは自分がやりたいことで、3日間しか達成できなかった。75日できればモデルケースになった。3/75であることに誰よりも悲しく思っている人間です。
さっきめいろうさんが、実現を奇跡と表現した。そう思う。3日間だけのミラクルで、そしていま日本国民全員が表現の自由について考えている。
いまはこわばった状態を回復して、次に向かわなければいけないと思っている。
印象的な発言が今日ありました。
若い作家の大橋さん、マイナスをゼロに戻すという。しかしゼロに戻すだけでは足りない。この大変な状況を逆手にとってプラスにしなければならない。
ペドロがこの騒動を新しい始まりにできるのではないかと言っていた。僕もそう思う。
その意味で、僕はミヌクさんの言っていたアイデアに感銘を受けた。 全員の作品をもちこむ。
 (ペドロさんのアイデアでは??)

通訳
ペドロのアイデアだと思います。

津田
あ、すみません。
そのうえで、めいろうさんとスチュワートが言った、アーティストが中断することで観客からどう見られるか、僕も気になっている。
トリエンナーレは愛知県民の税金を使ったお祭りでもある。現在の状況は愛知県民も戸惑いながら楽しんでいるという状況だろう。
その意味で、今回オープンにして議論できているのは意義のあること。
作家が作品を通して、抑圧的な状況と戦っているのを見えるようにしたい。
いまは政治家とメディアが、政治の問題として表現の自由ばかりクローズアップされている。
でも、アーティストがさまざまなことを考えて応答するような工夫をしてもらったら、展示がこんな風に変わった、不自由展の中止によってこう変わったのだな、ということを観客に伝えることができる。
愛知県民がポジティブに考えるきっかけを作っていきたい。そのためのオープンディスカッションを行なっていきたい。そう思っている。
バッシングの背景には、県民がよく知らされてない状況で、いきなりこの企画がオープンしたという経緯もある。これは警備上の理由。僕も、これはよくない方向に動いたのではないかと考えている。
だからこそ、作家がいろんな姿勢を見せることで、県民が何度も何度も議論する土壌を作っていきたいと思っています。
僕が望んでいる唯一のことは、アーティストの問題意識で、県民に考えるきっかけを作ってほしいということです。そのためにある程度時間をかけていくことは、いま恐怖にこわばっているスタッフ・職員の人たちを癒す効果、勇気付けることにもなるんじゃないかと思う。
現場を見ればわかるが、お客さんはとても真剣に作品を見てくれている。ツイッターを見ていても、この作品を見てほしい、というたくさんのご意見をもらっている。これはみなさんのおかげなので、感謝しきりです。
みなさんがアートの表現、展示でどう応答するか見せてほしいです。
それによって県民が議論せざるをえなくなるからです。あの作家が、こう答えたんだ、すごい、と個々の作品に焦点が当たるようになる。そうしたい。
そうすれば自然と次のフェーズに進むと思っている。
これが最後のコメントです。
このディスカッションはなるべく頻繁に行います。これを会期中増やします。そこにみなさん参加してもらって、この展覧会が次のフェーズに進むためのモデルを探っていきたい。以上です。

タニア
ありがとうございました。
いろいろありますが、まず言いたいこと。
私たちはいろんなことに恐れすぎてはいけないということです。こういう状態になると、オーディエンス、メディア、県民、、あらゆる人にどう対応すれば、、というのが恐れにつながる。恐れすぎてはいけない。
こういった状況になると、これがネガティブな状況であると考えてしまう。それも立ち止まって考える必要がある。実際私たちもストレスを抱えている状況だが、ペドロが言ったようにとてもポジティブな状況でもある。
日本の政治文化状況に対して、何か新しいものを打ち出すきっかけにもなる。
それはトリエンナーレという状況を超えたものへのアプローチになると考えている。
津田さんの話を聞いて、何をやりたかったかを聞いて、驚きもあり、素晴らしいと思った。
今のこの結果、状況というのは、最初から決まっていたと思う。他の結果というのはないものだった。最初から。
津田さんがやろうとしたことはポエティックでアーティスティックでジャーナリスティックであったと思う。
その結果に私たちが影響されているわけだが、連帯ということにも話しておきたい。
もうすでに私たちは連帯していると思う。
今日まで沈黙を守ってきたが、それは何人かにとっては長すぎたくらい。しかし今日まで守り、ここに来ているのは連帯しているからに他ならない。
津田さんが私たちを敵だと思うのではなく、同じ目的に向かって違う役割を果たそうとしているだけ。
検閲についての議論を行う劇場空間のなかでどう応答するか、振舞っていくかを考えていかないといけない。いま欠けているのは、海外の作家が日本で強いアクションをとりえるという可能性。
私がいつもとる戦略は、戦略はあればあるほどいいということ。
作品を取り下げる作家もいればいいし、別のところでアクションをするとか。
応答がバラバラであることを恐れてはならない。
コミュニケーションの問題。コミュニケーションが適切に行われば、私たちの行う行動の一つひとつから、その意図を伝えることができるはず。
私の考えでは、韓国人のアーティスト2人だけが取り下げることが、津田さんが危惧される日韓の状況になってしまう。
他の国アーティストが、一時的に展示を保留することで、これは日韓の問題ではないと伝えられると思う。
もうひとつ言いたいのは、新しい展示場所で展示するという提案があったが、その提案が多くの戦略の一つのアイデアとしていいものだと思うが、もしそういった場所で新作が展示される機会を作るのであれば、それが検閲されないようにすることが重要。
検閲はつねに機会がある。
これはエデュケーションの分野、知らせていくことが重要だと思う。
最後に、、薬というのはしばしば苦いものだが、薬を飲むのも悪いことではない。
あらゆるアクションが起こるべきだが、どんなアクションであろうとも、つねに津田さんとコミュニケーションをとっていきたい。私たちアーティストが津田さんを問題視したことはない。

ペドロ
まず薬に関して。
私が不自由展をより大きなかたちでやったらいいのではと言ったが、それを実現したとして、問題を繰り返すことになるかもしれない。ループの状態になったとしても、それはそれでいいと思っている。
薬を飲み続けると抗体ができて聞きづらくなる。しかし繰り返すことで、すごくショックで慣れてくる。落ち着いてディスカッションできるようになる。それも戦略の一つだと。

タニア
薬を飲むとしても、薬は個人で違うのでそれぞれの薬を飲めることが重要。
そして連帯について。連帯を本当に達成するには、現場の人々の声を聞きたい。例えば私たちが話し合っているアイデアについてどう考えるか、どのくらいそれが実現できるかを考えたい。

津田
それは現場のヒアリングをしてまとめて報告します。

ペドロ
いまは聞けないのですか?

不自由展の女性(岡本)
ひとつだけ。私は津田さんと一緒に津田さんと企画しました。
実行委員会は5人います。
私たちは津田さんからやってほしいと言われて関わったが、これを突然思いつきでやったわけではなく、7年前から取り組んでいる
今日のような会を、若い世代のアーティストたちが主体的に開かれたこと、それが芸文で行われたことがとても意味があると思っている。
あらためて検閲についてはとても大きな示唆をもらった。
私たちも、参加作家の人たちも再開を強く望んでいるので、こういう場を継続して持ちたいと津田さん。私たちも、また不自由展の11組の作家も参加して開かれた議論に参加していきたい。以上です。

藤井光
僕は直接、ミヌクさん、不自由展の人たちにメッセージを伝えたい。言わないと後悔しそう。
不自由展が閉鎖されたときに激しい怒りを感じました。また、ミヌクさんの取り下げも聞いて、連帯して自分の作品を取り下げようと真剣に思いました。
しかし僕は結論して作品を閉めるという決断をしませんでした。それはなぜかという話をします。
僕は日本という社会で作品を作ってきましたが、すべてが歴史認識の問題に関わっています。
実際に、さまざまな検閲、、制作のプロセス、展示、コレクションの局面で受けてきた身です。
その結論から、自分の制作そのものは自己検閲を身体化するものではなく(自主規制をするのではなく)、中東やアジアでしたたかに戦っている作家たち、全体主義のなかでも作品を作ってきた作家に学んで、作品を作ってきています。
奥深くに隠して、抵抗の理論を積み重ねて、作品を発表するというところまで責任を持っていると思っているものです。
じゃあ、ボイコットすることをやめた根本的な理由は何かというと、作品を見せ続けることがミヌクさん、不自由展への連帯である、と考えたのだとお伝えしておきたい。作品自体が日本社会へのメッセージである。見せることが連帯である、と言っておきたい。

ミヌク
発言してもいいですか?

小田原
ここが21時までなので短くお願いします。

ミヌク
まず聞きたい。不自由展のなかで韓国人作家は2名。他は日本人ですか。あってますか?

YES

ミヌク
津田さんに質問です。では、なぜ韓国人のアーティストだけをある種さらすようなかたちで、そして日本人を守るようなかたちで展覧会を中止にしたのでしょうか?

津田
警備上の問題があった。そしてテロ予告の問題があった。そして事務機能が麻痺してしまい、パブリックセクターに影響してしまった。75日間開催することは不可能だと思った。
僕のなかに日本、韓国という意識はなかった。
僕のなかでは具体的に、このままあの状況で続けたら死者が出ると思いました。死者を出さないためのやむをえない判断です。それは人種とは関わらないことです。

ミヌク
OK。
私が言いたいことは、永遠に分かり合えない部分があると思うが、、
私の作品を取り下げる意思は、ナショナリズムとは別の次元にあります。検閲への抗議ともまた違う(これは不明瞭?????)
アーティストとしての決断だということがわかってもらえていないように思います。
この対話も、ナショナリズムの台頭から離れたところで行うべきだと感じています。
そうしないと対話が成り立たないと思っている。
ですので、私がいろんな問いかけやコメントしているのは津田さんへの抵抗を示すようなものではないということ。私の取り下げることは表現の自由への連帯を示すものであって、韓国人としての決定ではない。
同時に、津田さんが行なっているさまざまな努力には感謝している。また多くの日本人アーティストと出会えたことも感謝しています。

小田原
21時になったのでここで今日は終わります。すみません。

通訳
タニアさん的には来週も、と言っています。

小田原
今日はアーティストの自主的なもので、全出品作家に連絡しています。今後も続けていきたいと思っています。
みなさんありがとうございました。


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