怪異譚 2
あれは7月のことだった。
私はその頃よく就寝前床に伏せながら画集に目を通して時間を費やしていた。
もうかなり昔のことであって、当時どれほど具合が悪かったのか実感としては残っていない。
そうなのである。
画集に目を通すことにあまり喜びを感じ得ない状態にあったはずなのである。
それも神経の異常に苛まれていたものだから、なおさら絵画の鑑賞など面白い訳がなかったのである。
おそらく自分を鼓舞して無理をしてでも画集に目を通していたのであろう。
もともと私は“絵”に興味があったから、「その習慣を守ろう」としていた。
私の好きな画家は洋の東西を問わない。
ただしどちらかと言えば「過去の人」であった。古典作家である。
日本で言えば尾形光琳、俵屋宗達、狩野山雪、写楽などの江戸以前の大立て者、明治以後は岸田劉生やチラホラ?そんな感じかなあ。
中国の画家というのはあまり馴染みがないけれど、高校の教科書にも出て来た牧谿(もっけい)という人。李白の像とか。
そして西洋絵画はいろんな人のが好きである。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、グリューネワルト、花のブリューゲル、レンブラント、アンソニー・ヴァン・ダイク、プーサン、モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール、ゴヤなど。
ありがたいことに当時わが家には河出書房の西洋絵画集(正方形のやつ)が全部揃っていて、前々から自分の気に入った画家のを引っ張り出して来てはじろじろと眺めていた。
あの時私が見ていたのはレオナルド・ダ・ヴィンチの画集であった。
画集本体を納める硬くて厚手の紙のケースの表にもモナリザがあったし、勿論画集の中にモナリザが出ていないなどという烏滸(おこ)の沙汰はあり得なかった。
あの晩私は受胎告知や最後の晩餐そして洗礼者ヨハネ等とともにモナリザにも目を落として十分に時を過ごしたのである。
その頃すでに私は不眠症状を来たしており、心地よく眠りに就いたとは思われない。
そしてなんとか目を瞑(つぶ)った私はその後真夜中突然大きな叫び声を上げて、飛び起きるのだった。
平生意識のある時とても恥ずかしくて発せられないような「大音声(だいおんじょう)」をである。
私は恐怖したのである。
もの凄い勢いで私の肉体、骨と肉の間を熱風が突き抜ける感覚に私は襲われた。
だからと言って、そこでではそれ以外で何が私を驚かせたと言うに全く思い当たらない。
ただ私はその際とてつもない恐怖の感覚をもこの肉体と精神に来たさせられた後、一人その場に取り残される形になった。
茫然自失というようなものではない。
地上に空から爆弾が落ちて来て、地面が大きく抉られた後しばし何とも言えない静寂(しじま)が漂うといったものだった。
後になって、私は“あの原因”についてふと思った。
“前の晩自分はほぼずうっとモナリザを鑑賞していた”
経世済民。😑