宿直草「ある寺の僧、天狗の難にあいし事」

 我が国における「天狗」とは、一体いかなるものでありましょうか。
 昔から徳の高い僧たちは、この問題に頭を悩ませて参りました。
 今であっても、己は尊く他を見下し、増上慢の思いを深くすれば、嘴や翼を持たぬ「天狗」になると言えましょう。
 才能があり、芸能に優れているとされる人も、自らはまだまだ未熟と思っている人は、蔵馬の山奥を訪ねるべきではないとも言われております。心の奥の道に迷っては、この世を去った多くの先人も、同じく魔道に堕ちたのだと思いを馳せることでございましょう。

 誰かの語ったところによりますと、京の都・醍醐のあたりで、ある時、僧侶たちが寄り合いをしておりました。
 一人の僧が座を立ち、いつまで経っても戻ってまいりません。同席していた別の僧が不審に思い、もしかして寺に戻ったのかと思いまして、使いの者をやりましたが寺にはおらぬと申します。
 醍醐中は言うに及ばず、伏見、栗栖野(くるすの)、宇治、瀬田の渡りまで探し回りましたが、見つけ出す事は出来ませんでした。院内、門前、稚児や同宿の僧までもが大いに嘆き悲しみました。
 しかし、それから三日程が過ぎて、ある寺の下男が薪を取りに山に入りますと、遠くの峰に何やら白いものが、聳(そび)える大木のとても人の届かないであろう場所に翻(ひるがえ)っているのを目にいたしました。
 急ぎ寺へ帰って集まった人々に語り聞かせましたところ、人々は大いに怪しんで下男に案内させ、鹿の通う獣道を踏み分け、岩の角(かど)やつる草に手がかりを求め、つづら折りの山を登っていきますと、大木の下にあったのは紛うことなき、行方知れずになっていた僧侶でございました。
 白い小袖は木の枝にかかり、遺体は方々へ引きちぎられ、その両手は印を結ぶことさえ出来なくなっており、陀羅尼を唱えていた唇も既に色が変わり、なぜこんな事になってしまったのか誰にも分からないのでございます。

 人々は「これは天狗の仕業に相違あるまい」と恐れおののきました。
 一体どのように仏の戒めを破り、降魔の加護を受けることも敵わなかったのかと、皆が口々に語り合ったとのことでございます。