宿直草「見越し入道を見る事」

 ある侍の話でございます。

 侍が若い時に、犬をつれて狩りに出かけた事がございました。ですが、その夜はどうにも具合が悪く、一里ばかりの道を越えても獲物がかかる事はなく、これはもう早く帰るべきだなと思いながら山の頂きで休んでおりました。

 岩から漏れ出る水の雫が何となくさびれていて物悲しい音を立て、吹き渡る風は激しく、天の川はただ横たわっているだけで昴星(すばるぼし)を映してみせる露さえもないのでございます。
 道は落ち葉で塞がれ、かけられた蜘蛛の巣までもが乱れております。星明かりに山々の峰が西に東に連なっているのを眺めておりますと、目の前の谷より何やら大きなモノが立ち上がりました。その形は彷彿(ほうふつ)として見分けがつきにくく、向こうの山の頂よりも背が高くあり、星の明かりに透かしてみれば非常に大きな坊主であることが分かりました。

 さては古狸などが人を驚かすために化ける「見越し入道」なるものであるな、と考え、ぜひともこれを射止めたいものだと弓矢をつがえ、狙いを定めて彼の坊主の顔から目も離さずに、ひたと睨みつけたのでございます。すると、侍が見えげれば見上げるほどに物の怪は大きくなり、とうとう結った髪が着物の襟につくまでになってしまいました。

 もはやこれまで、一矢射るべしと弓を引き絞り狙おうと致しましたが、あまりにも大きく狙いを定める事が出来ません。どうしようと思案している間に、ふっと消えてしまい影も形もなくなってしまいました。
 この時に見えていた星の光もなくなり、俄に周囲が暗くなり前も後ろも見えなくなってしまったのでございます。
 自身に何の害もありはしませんが、まるっきり道も見えず、目印になるようなものも見つかりません。帰ろうと思うにもどちらへ進んで良いか知れず、大変に悔しく思いましたがどうすることも出来ませんでした。
 連れてきていた犬を口笛で呼び寄せると、その首に鉢巻を結びつけ、それを帯の端につけると方角も分からず真っ暗な中を、犬の進むに任せて歩いていきますと、行き先に一軒の家の明かりを見つける事が出来ました。
 ほっと安心しておりますと、周囲の暗さも失せ、もとのように月星の光が戻ってまいり、見つけた家の明かりは我が家のものである事が分かったのです。
 それからは例え友人に誘われたとしても、一人で出かける事はなくなったと言うことでございます。

 このような話を聞きました。