宿直草「武州浅草にばけものある事 」

 元和の初めの頃、浅草の観音堂に化け物が出るという噂が広まりました。
 江府御鷹匠(ごうふおたかじょう)のうちの肝の据わった者が

「よし、わしが行って見てこよう」

と言い出しました。
 それを聞いた者達が「きっと良くない事があるからやめたほうがいい」と口々に止めたのですが、侍は余計に強情を張り、その日の暮れには馬にまたがって、僅かながらに引き連れた下人達に

「明日の朝、卯の一(午前五時頃)に迎えに来るように」

と言い含め、自分自身は観音堂の中に入り夜を過ごす事に致しました。

 亥の頭(午後九時頃)になったかと思う頃、夜回りの者が二人、金棒を突いてやって来て、彼のことを責め立てました。

「ここは俗人が堂内へ立ち入る事は禁止されておる。早くここから出て下さい」

これを聞いた侍は

「私は世を救おうと、願をかけて籠っている者である。見逃してはもらえないだろうか」

と答えました。

「ひらにご容赦を」

と答えて表に出れば、その者達は掻き消えてしまいました。
 さては宿直の者ではなかったか、これが化け物であるなと思いましたが、また夜更けに、僧徒が五、六十人、十あまりの提灯に火を灯して、どのようにも葬式の出で立ちでやって来るのが見えました。
 厳かな気持ちで見守っていますと、やがて堂内にやって来まして

「俗人の立ち入りは法度である。早々に立ち去れ」

と、色々に大声で騒ぎたて、責めることを致しました。
 しかし、今宵はどのような事があろうともここを動きはすまい、と腹を決め、それより後は返事をすることもせず、じっと堪えていますと、これらもそのまま居なくなってしまいました。

 次第に夜も明けてまいりました。ようやく七つ頃かと思われる頃、十六、七ぐらいの小僧が、後門を通って内陣に入って参りました。
 天井から吊り下げております輪灯に火を灯し、礼拝を始めました。その様子を伺っておりますと、姿形が色々に変化しているのです。顔色は赤くなり白くなり、その姿が天井につくほど大きくなったり堂内が狭く感じるほどになりました。
 しかしながら、これにも臆する事もなく、刀の柄を拳も砕けろとばかりに握って、その化け物の面を睨み付けておりましたので、まもなくこれもかき消えてしまいました。
 これらの化け物が消えてしまった後、流石に疲れてきておりましたが乱れる心を落ち着かせておりますうちに、夕告鶏(ゆうつげどり)が鳴き、鐘の音が聞こえてまいりました。
 東雲も明けていく空となり、そろそろ迎えの者がやって来る頃合いかと思い待っておりますと、馬を引いてまっすぐやって来る者がいます。

「残りの者はどうした?」

と問いかけると、下人は

「皆、今にやってまいります。某は御身の事が心配で仕方なく、急いで馬を駆ってお迎えにやって参りました」

と伝えました。

 馬に乗ると下人が

「昨夜は何か変わった事は御座いましたか?」

と尋ねてきました。

「その事だがな、変わった事はあったぞ。化け物が三度現れおったが、始めの二度はさほども思わなかったがな。三番目に小僧がやってきおってな。その姿形を様々な变化(へんげ)させて見せたのには驚いたな。面白くもあったが、流石に少々気味が悪かったわ」

と答えますと、馬取の申します事に

「その顔はこのようなものでございましたでしょうか?」

と申しますので見てみれば、昨夜の小僧の恐ろしい顔がございます。

「さてはこれも化け物だな!」

と腰の刀に手をかけましたところ、乗っていました馬もまた变化(へんげ)のものでありましたので、跳ねた瞬間に馬上から真っ逆さまに落馬してしまいました。
 またしても化かされたかと思うと気持ちも乱れたと、後に語っておいででした。
 こうして約束していた下人が迎えに訪れますと、なんと主人が気絶していましたので、薬などを与え介抱して帰途についたとあります。

 その後、この無様な様子が人々の口にのぼり、無念に思った侍はお役目に暇を申し出ていずこかへ姿を消してしまいました。

 論語によれば「智者は惑わず、勇者は恐れず」と申しますが、恐れるべきものを恐れないのは誉められたものではございますまい。
 おおよそ、将たるものの勇と兵(武器)の勇とは別々のものでございます。侍は将たるものの勇ではなく、兵士(武器)の勇をもって、化け物に立ち向かおうと致しましたことのどこに、何の手柄が存在しましょうか。

 暴虎馮河(ばくこひょうか)、向こう見ずな行いで死ぬとしても後悔する事がない者には与してはならないと、孔子も教訓として戒めております。


※暴虎馮河 血気にはやって向こう見ずなことをすること。無謀な行為。とらに素手で立ち向かい、大河を徒歩で渡る意から。