宿直草「廃れし寺をとりたてし僧の事」

 昔の人たちは蝋燭の灯りを持ち寄り、夜を継いで話を交わしていたようでございます。
 一体、いつお眠りになっていたのでありましょう。
 そう言えば、変わったお話を小耳に挟んだのですが、茶飲み話に一つお聞かせ致しましょう。

 その昔、仏教を深く学び、また修行を重ねた徳の高い僧侶が、諸国を流離いながら旅をしておりました。
 ある場所で大変に趣があり、立派で美しい風情の寺へ辿り着きましたが、寺を世話するべき住職の姿がありません。庭には草が茂り、床には住み着いた蜘蛛の糸が大層乱れておりました。
 仏様のおわします彼の地の荒れ果てているのを見過ごすことも出来ず、傍にある一軒の家へ足を運ばれ、様子をお尋ねになりました。

「御坊のお尋ねになられました、あの寺の事なのでございますが。あちらこちらの御坊様方が幾人もお出でになり、ご住職としてお迎えさせて頂きました。ところが、夜が明けてみますといずれの御坊様も姿が見えないのでございます。そんな事を何度も繰り返しましたが、ただ徒に悲しみと後悔だけが募るばかりでございますので、今は新しいご住職をお願いすることもやめてしまったのでございます。きっと寺に住み着く化け物共の仕業に違いないと、皆口々に申しております」

僧侶はその話を聞いて

「ならば、その寺にはわたくしが参りましょう。どうぞ、わたくしがその寺をお預かりすることをお許し頂きたい。寺の檀家の方々にも、わたくしがこのように申している事をお伝え頂けないでしょうか」

と。
 家の主は

「ええ、それは容易いことでございますが。しかし先にも申し上げました通り、このように怪しい場所でございますから、お申し出は大変にありがたいのですがお心遣いは御無用に存じます。さりとて、私一人が勝手にお断りする訳にもいきますまい」

と申しまして村の檀家の者を集めて相談する事に致しました。そうしますと、一同は「全く以て無駄なことよ」と渋い顔をしております。
 その様子を見ておりました僧侶は

「皆様方の申される事も尤もでござろう。しかしながらわたくしは、不惜身命、不求名利。我が名を世に知らしめようなどと不埒な功名心から申し上げている訳ではございません。仏の道を極めるために生命を惜しまず捧げる覚悟。ただ目の前で消えようとしている法灯を守りたいと思っているだけでございます。どうぞお許し頂きたい」

と檀家の者達に何度も訴えられました。

「そこまで仰るのであれば、仕方がありません。明日の朝になって御坊が噂通りにならない事を願っております」

 とうとう根負けした檀家の者達の了承を得て、僧侶は寺を預かる事になったのでございます。
 申の刻(午後四時頃)になりましたので、油、灯心、抹香を準備して仏前に形式通りに飾り、自分は経典に静かに目を通して過しておりました。
 ふと気付けば、夜は丑の刻(午前三時頃)になろうとしております。
 煩悩の霧が心の中にかかっていては、正しく物事を見極める事も出来まい。そう考え、努めて心を穏やかに保とうとしていた折り、庫裏から長さ一丈ほどの光る何がか見えたのです。

「すわ、何ものか?」

と思っておりましたところに、また外から

「椿の木はおいででございましょうか?」

との声が致します。この光る物が「誰か?」と問いかけますと

「東の野に住む狐でございます」

と答えのあり、壁の破れた隙間より入って参りました。身の丈は五尺ばかりで、その眼は日月の如くに光っており、赤々と火を灯しております。
 また怪しき声のあり、光が「誰か?」と呼ばわれば、

「南の池に在する鯉でございます」

と名乗りを挙げて異形のモノが入って参ります。身の丈七、八尺、眼は黄金色にて、その身には白金の鎧を纏っております。
 また次には

「西の竹林に住まいする一本足の鶏」

と名乗りを挙げたモノがやって参りました。朱色の甲に紫の鎧、左右に翼がございます。身の丈は六尺ばかりで、天狗もかくやと思われるほど恐ろしいものでございました。
 また案内を請う声が致します。光が誰何すると

「北の山より古狸」

と申します。その化け物の色は見分けがつきにくく、身の丈四尺ばかり。いずれも怪しいものばかりでございます。

 この五つの化け物が僧侶を取り囲み、鳴き声を立て、いがみ脅かしてみせましたが、僧侶は動ずることなく、

「魔物も仏も本来は同じく、一つのものである」

と般若心経を唱えれば、「これは仕方がない」と観念して何処(いずこ)かへと去ってゆきました。

 そうこうしているうちに、東の空が明るくなり、外では鶏の朝を告げる声も聞こえ始めました。
 朝の勤行をつとめ終わる頃に、昨日の檀那衆が五、六人やってまいりました。無事でいる僧侶を見て不思議に思ったのでしょう。

「昨夜は危険な事はありませんでしたか?」

と尋ねて申しますと、僧侶は事の次第を詳しく話し始めました。それを聞いた檀那の者達は

「そうでございましたか。もったいないことでございます。この寺は御坊にお預け致します。どうぞよろしくお願いいたします。さて、それらの化け物の事はどうしたら良いのでしょうか?」

と言い出しました。

「その事ですが。御仏の戒めにより、殺生することはなりません。とは言え仏法におきましては、これらのことは『一殺多生の善』とも申します。よろしい、わたくしが退治して差し上げましょう。化け物は外に四つ、内に一つございます。これら五つの者共の姿を現す場所は覚えております。まずは東の野に狐が、南の池に鯉、西の藪に一歩足の鶏、北の山に狸、こやつらが外より来る四つの妖かしです」

と、そのように僧侶が伝えますと、村人たちは「なるほど、そやつらか」と手に手に弓矢や槍、薙刀を持ち『犬追う物』ではございませんが、昔、九尾の狐が殺生石になったという那須野を訪れました。
 狩場に辿り着きますと、そこに狐が現れました。村人たちはこれを追い詰め、やがて殺してしまいました。
 南の池では水を干して底をさらってみれば、大きな鯉が見つかりましたが、これもずんずんと切り分け捨ててしまいました。
 西の藪には網を張り、三方より声をあげて追い込み、鶏が飛び出してきた所を捕えました。
 北の山を訪ねて穴を探し、青松葉をくべていぶりだし、また古狸をも捕えてしまいました。

「さて、この堂の材木に椿の木は使われているのでしょうか?」

と尋ねれば、古くから住まう村人が「はい、乾(北西)の隅にある柱こそ椿の木を使っていると伝え聞いております」と答えてくれました。

「さて、堂内にて光っておったのはこれに相違あるまい」

と大工の棟梁を呼び、他の木材に取り替えてしまいました。
 これより後、寺はいよいよ繁盛したと伝えられております。

 多くの僧侶のあるいは命を落とし、或いは失踪してしまったというのに、この僧侶は徳高くあったために妖怪にもその信念を妨げられず、寺が再び大いに栄えたというのはもっともなことなのでございます。
 寺の外より来たる四つの妖かしは、年経て化ける術を覚えたのに違いありますまい。
 堂内の椿の木の光る事こそ不思議ではございますが、朽ちたる葦はキリギリスとなり、稲または穀象虫となると出世の書にもあるようでございます。
 これもまた、その類かもしれませぬ。
 そういたしますと、古下駄なども師走を待って踊り出すかもしれません。普段使いの物が化けたり致します事こそ、話の中のお話でございます。

 かの遊女の夕霧が恋路の関を行くに、梅が小路の足元を濡らす露をわけ、苦しく辛い思いを熊谷笠(くまがえがさ)に籠め、ひたすらに人目を偲ぶ袖も、思いの外恐ろしく化け物のように見えるのでございます。