宿直草「卒塔婆の子うむ事」

昔、狭間と言う能の名人がおりました。
彼は「卒塔婆の産んだ子」だと言われております。
狭間の父は津の国富田(現高槻市富田町周辺)の西に位置する「狭間」と呼ばれる村の名主でありました。
田畑を耕して暮らしておりましたが実入りは少なく、尾羽打ち枯らした有様。
一念発起した名主は使用人や妻を呼び、その者たちにこのように告げました。

「しっかりと家を守り、田畑を荒らす事のないように。私は家を出て商いをしてみようと思う」

そして家を出て筑紫へ向かって旅立ちました。
筑紫に辿り着き、商売を始めてみたのはいいのですが、そうそう上手く行くわけもありません。
あれだけ大見得を切って出てきたのですから、簡単に戻るわけにもいきません。
せめて何か土産を手に入れるまでと頑張っているうちに、あっという間に数年が経ってしまいました。
故郷に残した妻はずっと夫の帰りを待っていましたが

「主人が戻ってくるまでと、慣れぬ田舎暮らしを辛抱もしたが、日を重ねるごとに募る寂しさ、切なさ、苦しさよ。これからの事を考えると、まるで荒海の底に沈んでいくような気さえする」

と嘆き悲しみ、とうとう体を壊して患いついてしまいました。
寝付いたかと思うと、そのままあっという間に儚くなってしまったのです。
妻の親族が集まり、ささやかな葬儀を行った後、残ったのは一本の卒塔婆のみ。

一方、筑紫の土地にいる夫は、自分の妻がそのような事になっているとは露知らず、ただただ故郷を恋しく思っておりました。
ある時、故郷に残してきた妻が自分を訪ねてまいりました。

「どうしたのだ?」

と問う夫に

「頼りもなく、どこにいるのかも分からぬままに時だけが過ぎていきました。どうしてもあなたに会いたくて、方々であなたの行方を尋ね尋ねて、ここまでやってきたのです」

と言いました。

「それは大変だったろう」

元々は夫婦仲の良い二人の事。
夫も妻に会えた事がうれしくて、そのまま三年を一緒に暮らしました。
やがて二人の間に一人の息子が生まれます。

さて故郷に残された使用人は

「ご主人さまが家を出られてから、手紙が来る事もない。また奥様が亡くなられたというのに、それもご存知ない。大変に厚くご恩のあるご主人さまにこの事を知らせないというのは、人の道に外れるのではないだろうか」

と考え、数日をかけて己の主人へ訪ねてやってきました。
夫は自分を訪ねて来てくれた使用人に向かって

「おや珍しい事もあったものだ。どういった用事があって訪ねてきたのかね? ずっと連絡をしなかった私の事をさぞ恨んでいることだろうね」

と声をかけました。
これを聞いて使用人は

「実は奥様の事なのでございます。三年前にお亡くなりになりました。この事を是非にご主人さまにお伝えせねばと思い立ち、遠い道のりをやって参った次第にございます」

と伝えました。
夫は使用人のこの話に

「不思議な事を言うではないか。私の妻は三年前にこちらへやって来て、今も一緒に暮らしているのだよ。死んでしまったなどと、どうして言うのだ?」

と尋ねれば

「いえいえ、奥様は確かにお亡くなりになったのです。私達の手でちゃんと荼毘に付し灰となったのを見ております」

と応えます。

「なんと忌々しいことよ。このような話をするだけ無駄だ。今、妻に会わせてやる」

夫は寝室へ向かって呼びかけましたが、何の返事もありません。
部屋を覗いてみますと、そこにはあるはずのない卒塔婆があるだけでした。
不思議に思い、それを手に取って使用人に見せると、彼は涙を流して

「これこそは私どもが奥様の塚にお建て申した卒塔婆でございます」

と告げました。
そのまま妻が姿を現すことはありませんでした。
ならば共に数年を暮らした妻は亡魂であったのかと、夫はとても悲しみました。
夫と亡き妻の間に生まれた子供はすくすくと育ち、やがては才能ある芸人として成長し、名を馳せたのでございました。