瓶の中

「5月◯◯日 陸上部に素敵な先輩を見つけた。走る姿がうっとりするくらいカッコイイ。ずっと見ていたい。」

「5月◯◯日 6月に大会があるんだって。先輩、優勝できるといいな。応援しています。部活頑張って下さい」

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「6月◯◯日 明日は先輩の出場する陸上部の大会だ。先輩頑張って下さい!先輩だったら、きっと優勝できますよ」

「6月◯◯日 先輩、3位だったって。私だったら3位でも嬉しいけど、先輩は悔しいよね。だってずっと優勝を狙って練習してたんだから。先輩、かわいそう。私が慰めてあげられればいいのに」

「6月◯◯日 先輩、好きです。先輩の事、大好きです」

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「7月◯◯日 もうすぐ夏休みになっちゃう。そしたらしばらくの間、先輩の姿を見る事ができなくなっちゃう。そんなの嫌だ」

「7月◯◯日 陸上部の夏休みの練習日程、手に入った! 練習日に学校に来れば、先輩に会える!」

「7月◯◯日 今日から夏休み。先輩に会えない休みなんてなくなってしまえばいいのに」

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「8月◯◯日 先輩の走っている姿を、こっそり覗いてきた。やっぱり素敵。ああ、先輩の汗でもいいから手に入れたい。そうだ、次からは小さな瓶を持って行こう。汗でも涙でも唾液でも、なんでもいいの。先輩のものだったら、なんでも」

「8月◯◯日 やった! とうとう手に入れた! ずっと小瓶を持ち歩いてて良かった。血を手に入れられるなんてラッキー。汗でも涙でも良かったけど、血なんて先輩の命を手に入れたみたいな感じじゃない? 怪我をした先輩は可哀想だけど、許してね。先輩の血、大事にするから」

「8月◯◯日 今日は先輩の部活のない日。でも大丈夫。私には小瓶の中の先輩の血があるから。先輩の命の源が私の手の中にあるなんて、夢みたい」

「8月◯◯日 どうしよう……血が乾いてきちゃう。大事な大事な先輩の血なのに。どうしたらいいんだろう?」

「8月◯◯日 そうだ、私の血を混ぜてみたらどうだろう? まるで先輩と結ばれるみたいじゃない? ちょっと怖いけど、先輩のためなら我慢できる!」

「8月◯◯日 指先を切って、先輩の血の上に私の血をたらしてみた。2人の血が混じり合って、もう区別がつかない。私と先輩の血が1つになったんだ。なんだか嬉しい」

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「9月◯◯日 学校が始まった。ちょっと前までは先輩の姿が見られないと、すごく気分が落ち込んだけど、今は大丈夫。だって私のポケットの中には2人の血があるんだから」

「9月◯◯日 あれから定期的に私の血を混ぜるようにしてる。気のせいかな? 血の中に何かがあるように見えるんだけど。私と先輩の愛の結晶? なんちゃってね」

「9月◯◯日 もっと先輩の血が手に入るといいんだけど。まさか先輩に『血を下さい』って言う訳にもいかないし。うーん……」

「9月◯◯日 気のせいじゃなかった! 血の中に何かが生まれてる! スゴイ!」

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「10月◯◯日 大きくなってる。私と先輩の血から何かが生まれようとしてる。先輩の姿に育たないかな? 私だけの小瓶の中の先輩。考えるだけで震えるほど素敵」

「10月◯◯日 今日はちょっと多めに血を入れておいた。私の血を栄養にして先輩の分身が育つなんてゾクゾクする」

「10月◯◯日 脈打ってるように見える。小瓶を握り締めると、かすかな振動が伝わってくる。やっぱり生きてるんだ。大事に育てなくちゃ。今夜も血を入れてあげるね」

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「11月◯◯日 今日の分の血を入れてあげたら、嬉しそうにフルフルしてた。随分ハッキリした姿になってきた。早く先輩の姿にならないかな~?」

「11月◯◯日 なんだか今日は元気がないように見える。気のせいかな? 血はたっぷり入れてあげたのに。どうしよう?」

「11月◯◯日 やっぱりおかしい。先輩の血じゃないとダメなの? どうにかして手に入れないと。せっかくここまで成長したのに」

「11月◯◯日 先輩、ごめんなさい! ごめんなさい! 先輩を傷つけるのは嫌だったけど、どうしても血が必要だったんです。少しだけだから、許してください」

「11月◯◯日 良かった。昨日のアレ、私だってバレてないみたい。暗かったし、自転車で後ろからすれ違いざまにだったし、少しだけど帽子やマスクで変装してたから大丈夫だとは思ってたけど。でも先輩の血のおかげで、元気になりましたよ! 先輩の分身のためですし、許して下さいね」

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「12月◯◯日 スゴイスゴイスゴイ! 先輩にそっくりな分身だ! なんて素敵なの、これでいつでも先輩と一緒にいられる! 私だけの先輩、大好きな先輩。他の誰にも渡さない。私だけのもの!」

「12月◯◯日 昨日まで元気だったのに、今日、学校から帰ってきたらぐったりしてる。いつもより多めに血を入れたのに、全然元気にならない。どうしよう」

「12月◯◯日 私の血だけじゃ間に合わない。もう1度、先輩の血を与えたら……。それしか方法がないのかも」

「12月◯◯日 急がなくちゃ。もうすぐ冬休みになっちゃう。先輩は3年生だから、学校に来るのもあと少しだし。やっぱり、今夜……」

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連続傷害事件と殺害未遂事件で逮捕された女子生徒の日記は、ここで終わっている。

この日記を書き終わって、女子生徒は同じ学校に通う帰宅途中の1年年上の男子生徒を呼び止め、持っていた果物ナイフで襲いかかった。

通りかかった主婦の通報によって逮捕された女子生徒は、警官が駆けつけるまで男子生徒を執拗に切りつけ、その血液をペットボトルに集めていた。

近隣では数週間前から学校帰りの学生やOLなどが刃物で切りつけられる傷害事件が多発しており、女子生徒の供述によって、それらは彼女の犯行であると判明した。

女子生徒は「瓶の中で育てた先輩の分身のため」と意味の分からない発言をしており、取り調べの担当者を悩ませているという。

女子生徒の所持品を調べていた私は、彼女の制服のポケットから見つかった小瓶を手にとった。

赤黒く汚れた瓶の中に、女子生徒は被害者の血液を集めていたようだ。

『先輩の血から生まれた、先輩の分身を育てていたんです。そのためにどうしても、新鮮な血液が必要だったんです。私、何か悪い事をしましたか? だって、せっかく生まれた命なんですよ。大事に育てるのは当たり前じゃないですか?』

女子生徒の中で、その思考に齟齬はないらしい。

必要だから手に入れた。

自分の血液だけでは間に合わないから、他人の血液を分けてもらった。

それでも「瓶の中の存在」が元気にならないから、大元である先輩の血液をもらおうと思った。

少しでは元気にならないかもしれない、だから大量に必要だった。

それが彼女の言い分だ。

だが、そんな夢の様な話で傷つけられたのでは、たまったものではない。

私は手の中の小瓶を光に透かし、少し揺すってみた。

『ヤメテ……』

細い声が頭の中に響いたような気がして、ギョッとする。

『揺ラサナイデ……』

聞き間違いかと思って周囲を見回すが、室内には私に背を向けて書類を書いている同僚が1人いるだけだ。

再度、手の中にある小瓶に視線を落とすと、そこにあり得ないモノを見つけて息を飲んだ。

小瓶のガラス面に、小さな人間の手のひらが見える。

自分が動揺している事を同僚に知られていないかと、そっと背後を伺うが、どうやら同僚は事務仕事に没頭しているらしく私の様子には気付いていない。

目を凝らせば、赤黒い汚れの向こう側から私を見つめる2つの「目」と視線がぶつかった。

黒目がちなその「目」は、じっと私のことを見つめている。

そんな馬鹿な。

知らず、ごくりと唾を飲み込んだ。

小さな……小瓶の中にすっぽりと収まってしまう小さな「人間」がガラス越しに私を見ていた。

女子生徒は何と言っていたか?

『先輩の血液から生まれた、先輩の分身』

私の見ているこの存在は、男性でも女性でもないツルリとした肌をし、邪気のない「目」で私を見上げている。

そして……そっと、愛らしく微笑みかけてきた。

『ネエ、喉ガ渇クノ。血ヲチョウダイ?』

これが女子生徒を狂わせた存在か。

なるほど、よく分かる。

優しく、抗いがたい、か弱く、魅惑的な存在。

私は激しくなる動悸を押し殺して、手の中の小瓶をそっと上着のポケットに落とした。

血液……。

血液で育つのか。

大丈夫だ。

これからは、私が育ててやる。

私はポケットの上から優しくポンポンと叩くと、静かに部屋を出た。

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「国立××大学の医療研究チームが、人間の血液に寄生する新種のカビを発見したと発表しました。

このカビは体内にあるときは無害な存在ですが、血液が空気に触れると数日から数週間で爆発的に繁殖を始め、その際に放たれる胞子の中に吸い込んだ人間に幻覚や幻聴といった症状を引き起こす成分が含まれていると考えられています。

現在、××大学医療研究チームにより詳しい調査が行われており……」