宿直草「浅草の堂にて人を引き裂きし事」

 寛永七、八年の年のことでございます。
 京の都に住まう人が、江戸へ出てきて商いを始めました。
 その辺りに住んでいた町人の娘と恋に落ち、こっそりと逢瀬を重ねていたのでございます。
 然るべき人を頼んで、浅ましく募る想いを艶書(えんしょ)に書き連ね、交わしておりました。が、娘に縁談が持ち上がり、両親に京都人との関係を言い出せない娘は男に共に逃げて欲しいと懇願したのでした。

「愛しく思っているお前様と引き離され、一緒になろうと交わした約定さえもこのままでは無かったことになってしまいます。いつまでとてか信夫山、忍んで耐える甲斐もなくなってしまいます。どうぞ聞いてくださいませ。たとえ蛟(みづち)の住まう洞(ほら)、鰐(わに)の住まう沖のさなかにあったとしても、貴方と一緒ならば何が苦しい事がありましょう。今宵、私を連れ出して逃げてくださいませ」

とかきくどきました。
 男も都へ行き、娘と一緒に暮らしたいと思っておりましたので、まことにその通りだと思い、手に手をとって逃げ出す事に致しました。
 二人はまず、浅草の観音堂まで行き、そこで夜を明かしてから旅立つ心づもりでおりました。
 眠るともなく、うつらうつらとしておりましたが、そうこうしているうちに空が白み、もう夜が明けるのかと驚きながら傍らの娘に目を移しますと、そこには娘の姿はございません。
 しかも娘が着ていた着物、帯などがそこいら辺に散乱しております。

「これは、どうしたことだ」

と彼方此方(かなたこなた)を探しましたが見つける事ができません。
 どうしたものかと途方に暮れておりますと、霜が降りたように真っ白な眉をした一人の老人がやって来て

「貴方は一体、何をそんなに嘆いているのか?」

と声をかけました。
 男は泣く泣くこれまでの経緯を説明しますと、

「さては、貴方がお探しになっているのはあれのことか?」

と指差しますので、そちらを見てみますと……十二・三間ばかり離れた場所にある大木の枝に、真っ二つに引き裂かれた娘の亡骸がかかっておりました。
 無残な娘の死に様に男が悲しみながら振り向きますと、すでにそこには老人の姿はございませんでした。
 すっかり恐ろしくなってしまった男は、江戸に住み続ける事も出来ず、紀州に逃れて居を構えました。

 彼の男から直に懺悔物語を聞いたという、ある座頭の話でございます。