宿直草「急なるときも、思案あるべき事」

 公卿の家に仕える若い侍が道を行きますと、里から遠い所で日暮れを迎えてしまいました。
 どうしようかと付近を見回すと、森の中に古い宮があるのを見つけました。早速、拝殿に上がって柱にもたれ、ここで夜を明かす事に決めたのでございます。宮の周りに張り巡らされた朱色の垣根は年を経た苔に埋もれ、しめ縄につけられた紙垂(しで)が風に舞い飛び、茅萱(ちがや)の下に朽ちております。
 乙女の袖の鈴が絶えて、神に仕える巫女が祝詞を捧げている様子もございません。宮の外で泣いている虫は、榊を誘う嵐に耐えて、壁にかかった蜘蛛の網は、庭に生えた真葛の蔓と様子を競うように乱れております。荒れ果てたままの状態は、秋という季節とも相まって非常に悲しげでありました。

 夜も更け午前三時頃になろうかとする時、十九、二十歳ばかりなる女房の赤ん坊を胸に抱きながら、こつ然と姿を現しました。
 このような人家もない場所へ、女性がたった一人で出かけてくるはずもありません。これはいかにも化生の物に違いないと、不安に思いながら用心しておりますと、女は微笑み、その胸に抱いた赤ん坊に

「あそこにおられるのが、そなたの父上でありますぞ。行って抱いてもらいなされ」

と語りかけ突き出したのです。
 その子供はするすると近寄ってまいりましたので、刀に手をかけて睨み付けますと、そのまま母と思しき女性の元に戻っていきます。女性は再び「大丈夫じゃ、行くがよい」と突き放し、重ねて睨めばすごすごと戻っていくという様をくり返し、それが四度、五度と続くと退屈してきたのか

「ならば、わたくし自ら参りましょう」

と件の女房が会釈もなく近寄ってくるのを、臆する事もなく抜き打ちに「やっ!」と斬りつければ「あっ!」と言って、壁を伝い天井へと上がっていきました。
 夜が明け始め、空に東雲が白み始めるころ、壁にあいた穴を踏みしめ、桁(けた)などを伝って天井を確認してみますと、つま先の長さが二尺ばかりある大きな女郎蜘蛛が、頭から背中まで切り付けられて死んでおりました。
 天井も狭いその空間には、人の死骸が多く転がっております。ああ、これは一体誰の亡骸なのでしょう。
 また、連れ子はどこにいるのかと探してみますと、その姿はなく、ただ古い五輪塔があるばかりです。
 おそらくは、化け物だと思い焦って子供を切っていれば、この五輪塔によっていかなる名剣であっても刀は折れ、刃は欠けていたに違いありません。そのような時を狙って、人を取り殺していたのでございましょう。なんと巧みな罠でありましょうか。
 この侍も心焦っていたならば、他の人々のように命を落としていた事でしょう。よくよく思案して五輪の変じた子を斬らずに済んだことは、なんとも幸運なお人でございます。