宿直草「蜘蛛、人をとる事」

 ある人がまだ朝早いうちに、宮へ伺って、周囲を取り巻く生け垣のそばで嘯(うそぶ)いていると、拝殿の天井付近でうるさくも呻いている者を見つけました。
 何事かと不安に思い、拝殿に上がってこれを見てみますと、巨大な土蜘蛛が自分の糸で人を巻き、首筋に食いついている姿がございました。
 その人が上がってくるのを見ますと、土蜘蛛は警戒しましたのか獲物を其の儘に逃げて行きました。
 すぐに近寄って絡みつく蜘蛛の糸を取り去り、

「貴方は一体、どのような方でございますか」

と問いかけますと

「私は旅をいたす者でございますが、昨日の夕刻にこの場所にやってまいりました。一夜の宿を求めようにも近くに民家もなく、この宮にて夜を明かそうと思っておりました。
行き先も定めない旅先で眺める空は心細い気持ち、辛い気持ちをかきたてます。情けない身の上を思ってただ宮に座し、手持ち無沙汰であったのでございますが、私の後から非常に疲れた顔をした座頭がやって来るのが見えました。
一夜の宿を共にする者同士、互いの旅の思い出を語り合ったりしておりますと、自分と同じような身の上の人もあるのだと感じられたのでございます。
しばらく致しますとその琵琶法師が、懐から香箱を取り出して、

『これが良い物がどうか、見て頂けないか』

といって私の方へ投げて寄越してきました。
よく見てみようと右の手に取ると、まるで鳥黐(とりもち)のようで手から離れなくなってしまいました。左手で取ろうにも、また同じように取り付いてしまう。左右の足で踏みつけて落とそうと致しましたが、足にも取り付いてしまいました。
色々と試すうちにあの座頭が蜘蛛の正体を現し、糸に絡まった私をつれて天井へ昇って行きました。そして私の首筋から血を吸い始めたのです。これに耐え難く、きっとこのまま命も消えてしまうのだと諦めておりましたところ、貴方が助けに来て下さったのです。
貴方は私の命の恩人です」

と語ったのでございます。