坂本勇人

はじめまして、日本大学文理学部中国語中国文化学科1年の岡島将です。今回のブログを担当させていただきます。今までこのようなブログを書いたことがないので拙い文章になってしまっているかもしれませんが読んでいただけるとありがたいです。

まずはじめに、日ごろから文理学部サッカー部の活動に関わっている方々、部員の保護者の方々、OBOGの方々の支えによって私たちは文理学部サッカー部として活動することができています。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

何を書いたらいいのか思い浮かばなかったので、読売ジャイアンツの坂本勇人選手について書かせて頂きたいと思います。

私が坂本勇人を好きになったのは2012年の読売巨人軍が優勝したことがきっかけです。坂本選手は1988年12月14日生まれで現在31歳です。読売ジャイアンツに所属していて、右投げ右打ちの遊撃手です。坂本選手は小学校の頃から野球をしていて、そこではピッチャーをやっていましたが、その球を受けていたキャッチャーは現在ニューヨークヤンキースで活躍している田中将大投手です。小学校の時は両打ちだったのですが、左打席では田中将大選手の飛距離が劣るため、右打席一本に専念したそうです。坂本選手には兄がいて兄が右利きだったので、グローブが右利きしかなかったので、本当は左利きだったのですが、右利きになりました。中学校は、硬式のリトルシニアに所属していて、そこでは田中将大選手とは違うチームでした。高校は、地元ではなく青森県八戸市の光星学院(現在では八戸学院光星)に進学し、1年生の秋からショートのレギュラーの座を掴み、第78回選抜高等学校野球大会に出場し、チームは一回戦敗退してしまったものの、自身は3安打を記録。高校通算39本塁打でした。2006年の高校生ドラフト会議において、読売ジャイアンツが堂上選手を指名したのですが外れてしまい、外れ一位で坂本選手を指名しました。その時の契約金は8000万、年俸は650万円でした。入団2年目までつけていた背番号は61なのですが、由来は2006年のドラフトでドラフト1位だったからだそうです。巨人時代は、プロ初出場は阪神タイガース戦で代走として出場をしました。翌年、巨人では松井秀喜選手以来の10代での開幕スタメン入りを果たしました。2014年に阿部慎之助選手からキャプテンを受け継ぎ、2019年キャプテンとして初優勝を成し遂げました。坂本選手は、球界を代表する遊撃手に成長し、日本代表にも多数選出され、日本球界に多大なる影響を及ぼした選手です。また、あと26本で2000本安打を達成しますが、まだ31歳なのでこれからの活躍にも期待していきたいです。

次回はチームの支えである3年生マネージャー川名祐衣先輩がお送りします!お楽しみに^_^

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