見出し画像

名大で初めて〇〇した日 vol.7

 今月も名古屋大学メールマガジンNEXTをお読みいただき、ありがとうございます。今月は、松尾清一総長に在学時代の思い出を絡めた大学のお話を寄稿いただきました。
 松尾総長は1976年に医学部をご卒業、博士も名古屋大学で取得されています。

画像1
名古屋大学総長 松尾 清一

私が初めて、グリーンベルトを見たとき

                             松尾 清一

 私は大学入学までは、兵庫県小野市で生まれ育った世間知らずの若者でした。1回目の大学受験は1969年で、東大入試が大学紛争の影響でなかった年です。この年は地元関西地区の大学を受験し見事失敗して、翌1970年に名古屋大学医学進学(医進)課程にチャレンジしました。それまで名古屋には一度も行ったことがなく、親せきなども中部地区には皆無でしたので、一人で受験に来ました。1964年に東京大阪間の新幹線が開通していましたが、在来線を乗り継いで移動し、宿泊は現在の名古屋駅西側(当時の通称は駅裏地区)にある簡素な旅館でした。環境は今と違い、はっきり言ってあまり良くなかったです。名古屋市営地下鉄は1954年に名古屋-栄間が開業し、1963年には東山公園まで延伸されていましたので、受験前日の下見には、名古屋駅から本山まで地下鉄、本山からは徒歩でキャンパスに出かけました。名大東山キャンパスの第一印象は、広く開放的で、1960年代に整備されたばかりのキャンパス中央のグリーンベルトが大変美しかったことを覚えています。田舎者ゆえ、他の大学のことはほとんど知らなかったのですが、こんな素晴らしい大学に入学出来たらなんと幸せか、と思った次第です。

1970年頃の東山キャンパス全景リサイズ
1970年頃の東山キャンパス全景

 私の記憶によれば、本山から名大への通り(四谷通)の東側にマドンナという喫茶店があり、当時、学内に喫茶店はあまりなかったと記憶していて、入学後もよく通った店でした。入学後の最初の大イベントは名大祭でした。私は入学時には知人も友人も誰一人いなかったので、名大祭の準備で毎日仮装行列や模擬店の準備をしていた期間がまさに、友達作りの場でした。医進課程は51、52の二クラスでしたが、おおむねまとまって講義を受けていたように思います。東大受験中止の翌年でしたので、全国の受験生の流動化が起こり、出身地も全国に及んで大変多彩でした。

名大祭(1971年)
名大祭(1971年)
名大祭仮装行列(1969年)リサイズ
名大祭仮装行列(1969年)

 授業の合間にはグリーンベルトで、クラスの仲間が集まって対話(というよりはおしゃべり)をしながら、だんだん、どんな素性のどんな性格の同級生がいるのか、部分的にしてもわかるようになり、仲良しグループが形成されてゆきました。たった一人で名古屋に出てきた私にとってグリーンベルトという空間は、本当に癒しの場であり、対話の場でもありました。
 このような入学当初のころを思い出すにつけ、2年間に及ぶコロナ禍でのキャンパスライフの制限は、学生の皆さんにとって、対面で、切磋琢磨したり、癒されたり、いろんなチャレンジを共にしたり、などという人間関係の形成に大きな負の影響が出ていると思います。キャンパスはバーチャルやオンラインでは決して代替できない、かけがえのない環境を提供してくれます。名古屋大学はグリーンベルトをもっと活用できるような一層の環境整備に取り組んでいます。2024年完成予定ですので、乞うご期待!

グリーンベルト1(1970年頃)トリミング
1970年頃のグリーンベルト①
グリーンベルト2(1970年頃)リサイズ
1970年頃のグリーンベルト②
現在のグリーンベルト(2021年)
グリーンベルトに建設予定の東海国立大学機構プラットフォーム完成予想図
※現時点での計画であり、今後変更の可能性があります
※豊田講堂側から見た図です