見出し画像

『追いかけたい背中』4年 木全里緒


インカレまであと4日!

本日のnoteを担当します、4年木全里緒です。

日頃からたくさんの応援をありがとうございます。力になっております。


私自身、日大1の頭脳は自負しておりますが、大学の教授3人から日本語が下手すぎると言われた曰く付きです。以下拙いところばかりですが最後まで読んで頂けると幸いです。


わたしのこれまでとこれからについて書きたいと思います。

〜これまで〜

サッカーを始める前は、華道や箏曲、絵画などたくさんの習い事をさせてもらいました。スポーツはあまりできない方でした(泳げません)。

わたしのサッカー歴は10年と短いです。中学1年から部活動でサッカーを始めました。経験者ゼロのチームで、バレーボールのようなサッカーをしていました。


中高はずっと試合に出してもらっていたので、正直悔しい思いをするのは試合に負けた時くらいでした。

ご縁があって声をかけていただき、日大への入学を決めました。今思うと、リフティングは3回もできなかったしセービングはできていなかったのに私を拾ってくれて本当に感謝しています。


ここからは大学の4年間について書きたいと思います。
また、この4年間わたしがこのチームで1番だと思うのは副審をやった時間の長さです。それについても書いていきます。🏁


1年生の時は、何もできなかったわたしに先輩が一からリフティングを教えてくれたり、励ましてくれたりして温かい1年でした。

(1年の時の私の誕生日にわたしの代わりにバースデーゴールを決めてくれた同期たち、ありがとう!)みんな若い👶🍼


たくさんのできないことがたくさんできるようになり楽しかったです。あまりにもできなくてキーパー練習のときに泣いたこともありますが今では良い思い出です。

初めて皇后杯の副審をやった時はわたしが旗を上げるのが遅くて流血してしまった選手がいて、試合後アセッサーの方にお前のせいだと言われました。このことは一生忘れないと思います。この後YouTubeで副審についての動画をたくさん見たのを覚えています。このときから、オフサイドへの執念が芽生えたように思います。

試合では、絶対に出ることはないと割り切っていたので、ベンチでも、ベンチ外でスタンドにいても明るく応援することができました。当時の4年生が引退するときにかけて頂いた言葉は一生忘れません。

唯一心苦しかったのは、同期の怪我です。何度も代わりたいと思いました。

2年生は皇后杯の副審で誤審してたくさんの観客からブーイングを受けたことから始まりました。オフサイドへの執念が強すぎて、スローインだということを気付かずにフラッグを上げてしまいました。失点につながらなかったのでよかったものの、試合後に泣きふたつ上の先輩に慰めてもらいました。

サッカーでは先輩GKや同期GKにたくさんのことを教えてもらい少しずつ成長できました。

しかし、この年は関カレ開幕3日前に指を2本骨折してしまいました。日大のスピードスターでお笑い担当、チーム1真面目の里歩が走って氷を取りに行ってくれました🐎 シーズン中はフィールドプレーヤーとしてゲームに参加しました。持久力がつき、シーズン中の走りでみんなについていけて嬉しかった記憶があります。

この頃から、自分が試合に出ることよりも同期が試合で活躍しているのをみるのが好きでした。はやく一緒に出られるようになりたいという気持ちもありましたが、自分の実力の無さから試合に出るのが怖かった時期でもあります。


4年生の引退試合の都リーグでも副審をやりました。なんとなく嫌で泣きました。集合写真の時1人だけ涙目でムスッとしていて、先輩と先輩のお母様から慰めていただいたのを覚えています。そのときの主審の方にはよくしていただき、翌年の関カレのホームの試合で再会できとても嬉しかったです。

3年生のときは、コロナ禍で3ヶ月間寮で1人で生活しました。誕生日には同期が動画をプレゼントしてくれたり、頻繁にLINEしてくれたりして気にかけてくれました。

サッカーでは、気持ちがついていかず練習にも身が入りませんでした。前監督のみくさんには何度も尻を叩いてもらいましたがあまり成長できなかった1年だったと思います。

副審は、関カレの試合をミスなくやることができました。3年生で1番頑張った試合はおそらくこれだったでしょう。

この3年間で公式戦は5試合出させてもらいました。すごい寒い日が2回とすごい暑い日が3回でした。とても緊張していたのであまり覚えていません。
自分が出た試合よりも副審した公式戦の数が多いのは良いことではないと思います。でも、わたしにとって副審の時間は、唯一チームに貢献できたと実感し生きた心地がした時間でした。

1〜3年生の3年間、試合前のハイタッチでチームメイトをピッチへ送り出し、同期の背中をずっとみてきました。試合で活躍している同期が私の自慢でした。同期が点を決めた時、アシストをした時、他のGKにはできないようなスーパーセーブをした時、すべてが自分のことのように嬉しかったです。これは今でも同じですが、4年生で引退間際になり私もいつか、という気持ちが(やっと)生まれました。


そして今年の7月の関カレ前期vs慶應義塾大学で、初めて関カレの試合に出ることができました!これまで3年間ピッチに送り出していた同期と、5分間ですが関カレの同じピッチに立てたことがとても嬉しかったです。


みんなそれぞれ苦しい思いをしてきたように、わたしも苦しい時期が少しだけありました。辞めることを何回か考えましたが、入寮してすぐ犬猿の仲である明里🐵と旦那が複数人いるイケボ同期GK未歩と3人でしゃぶ葉に行き、2人から『絶対辞めるなよ』と言われたのを毎回思い出して辞めることができませんでした。


大きな怪我なくこれまでやってきた私にはわからない苦しい思いをして復帰し活躍している同期たちには頭が上がりません。同じベンチ外でも種類が違うので、同じ量の仕事をしているのが申し訳なかったです。(特に同期は周りがよく見えて仕事ができる人ばかり)


最近は約1ヶ月(ほぼ)毎日ラダーを使ったアジリティートレーニングを1年生の子達と一緒にやっています。正直とてもやりたくないのですが、やり始めてからセービングの調子が上がってきたような気がしているのと、少しでも遅れると可愛い1年生たちに煽られるので辞められません。普段は三日坊主の私ですが、1年生たちのおかげで約1ヶ月続けられています。(肌の色の差がとてもありますが同じ時間に一緒にトレーニングをしています)
🧏🏻‍♀️🧏🏼‍♀️🧏🏾‍♀️




〜これから〜

わたしは大学でスポーツ科学、その中でもバイオメカニクスを専攻しています。簡単に言うと動作分析です。4月からは大学院に進学しサッカーのバイオメカニクスについて学び、女子ゴールキーパーのプレーについて詳しく研究する予定です。

2年生の時にレポート課題でゴールキーパーのバイオメカニクスについての論文を読み、指導には感覚ではなく理論からのアプローチもあることを知りました。ちょうどセービングで行き詰まっていた時期だったので感銘を受けました。その頃から大学院で勉強したいと考えるようになりました。

プレーヤーとしてはサッカーをやめますが、研究者としてサッカーに携わり、これから先の女子サッカー界、特にゴールキーパー育成に注力していきたいと思っています。



長くなりましたが、一言で表すと同期が同期で本当に良かったということです。

わたしは静かな場所と1人が好きなので、とっつきにくかったり冷たい言葉をかけたことが何万回もあったりしたはずなのに、最後まで見限ることなく一緒に生活してくれて本当にありがとう。


先輩方や先輩、同期、後輩の保護者の皆様にはいつも声をかけていただき、支えていただきました。本当にありがとうございました。これからも日本大学女子サッカー部をよろしくお願い致します。


お父さんお母さん、いつも支えてくれてありがとう。
インカレは母が観に来てくれるので、プレーを見せられるようにあと少しがんばりたいと思います。

たくさん話を聞いてくれた大学の友人達、中高の先輩、中高サッカー部の同期、これまでありがとう!
辞めたいと相談した時に絶対にダメだと強く言ってくれた友人、夜中の泣きながらの相談も嫌な顔せず付き合ってくれた友人、いつも応援してくれて楽しい時間をくれた友人、、キリがありませんが今の私があるのはみんなのおかげです。本当にありがとう。

目も当てられないくらい下手くそだった私にたくさんの指導をしてくださった前監督みくさん、原さん、りゅうさん、河合先生、林コーチこれまでありがとうございました。

そして、ときどきグラウンドに現れて、みんなに癒しを与えてくれるフェニちゃんいつもありがとう!これからもみんなから餌をもらって元気に稲城の主でいてね🐈

とても長くなりましたが、わたしの想い全てです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

明日の担当は、チーム1の女子力と仕事量を誇るパンケーキ大好きバリキャリ最強主務佐藤奈帆子(4年)です!
小柄ながらも持ち前の頭脳と技術で左サイドを守り切ってくれます。
インカレでもなほの堅守に注目です!

それでは明日もお楽しみに!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?