〇〇が好きな自分が好き

ThreadsActibtyPubに対応せんとしTwitterからの鞍替えを画策する者に追随しないは全文検索の不足に因る
VTuberの配信にしろアニメにしろリストやパブリックサーチを用いた実況の監視は欠かせずTweetdeckが潰えてからというもの楽しみも半減だ

さてオフレコ黛冬優子フィギュアの予約が開始されてからというもの悶々とした日々を過ごしている
というのもフィギュアを欲しいと感じたのが生まれて初めてでまたこの感情が特段好きなわけでもない黛冬優子に対して抱かれたから
この原因として自らの趣向よりもオタクとしての琴線が手前にあるのではないかなんて考えていたが釈然とせず

それはそうと収入のない私には2万円もするフィギュアの予約を即決できるほどの胆力がなくTwitterのオタクの言説をみては少しづつ予約購入のボタンに迫っている
その過程で並ぶアニメアイコンに見惚れて合点がいった
どうやら私は黛冬優子を好きな者が好きらしい
だからこそ私自身も私から好かれるために黛冬優子を好きになりフィギュアを買わんとしているのだろう

ただのオタオタであったが対象に自らが含まれては「〇〇が好きな自分が好き」に切迫する
これを批判する意見がみられ始めた頃から一貫して自身を好むことは全く素晴らしいことで否定される謂れはないだろうと思っておりとかちつくちてに頷く
しかしそれでも唯一の救いであると縋ったものを外聞のために着飾れては怒髪天を衝く気持ちもわからなくない

そういえば初鹿野ことなが"無さ"にアイデンティティをもつことの危うさを話していた
せめて彼女においては私を介在させずに好きであることができていたらよかったが

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