何が本当の汚れなのか
書きたいことがあるから書くわけでもなく、しばらく書いていないのが気持ち悪くなり、とりあえず入力してみる。そんなものは誰も読まないだろうと思うのだが、何もない人間が書くプロセスによって何か生み出されるかどうかを実験してみる。
さて、最近のインターネット記事を見渡すと、虐待や殺傷ネタが3割、芸能人の不祥事・不幸が3割、スポーツ記事が1割、残り2割が政治・戦争・評論といったところ。この国のメディアや読み手(≒わたしたち)の品位を嘆くわけではなく、ただ単に、これが現実。他人の不幸や対岸の火事は、空虚な人生を潤す清涼剤だ。
時にむなしくなり、書に救いを求める。だが結局のところ、書物の中に生きることはできない。社会の汚れに浸り、もがきながら年を重ねるのが人生だ。シモーヌ・ヴァイユも「純粋さとは、汚れをじっと見つめ得る力」だと言っている。私たちは、何が本当の汚れなのかを見抜き、じっと見つめなければならない。
相変わらず説教臭くなってきたので、この辺で終わり。
暑すぎて、木々の調子が悪い。これが一番の問題だ。
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