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人は忙しいときには暇を望み、
暇になれば忙しい日々が懐かしくなる。
ジレンマに悩み、あれこれと無駄な努力をしながら年をとって一生を終える。

古くから哲学者が取り上げるテーマだが、昨今、DXやらChatGPTやらが現実化する中で、さらに人々はこの悩みにもがくことになろう。

ただ、暇なのは人間だけだ。
他の動物や植物は、暇そうに見えたとしても、今を生きることで精一杯だ。一瞬でも隙を見せれば、生の存続が危うくなる。

数百万年前から、人はより安全、効率的、快適に生きるために努力を払ってきた。現代人が暇や退屈を感じるのは、先人たちが「よかれ」と思ってインフラを整えた皮肉な結果である。

今後、社会において、私たちの役割は奪われ続けるだろう。さらに暇になった人間はどうなるか。おそらく大部分、80%の人々は、デジタルサービスやプロパガンダの良き顧客として、アヘン漬けのような生活を送る。思考停止は気楽だが、精神を病む人も増えよう。

10%の兵隊要員は、人々にさらなる「便益」を与えようという大義の元、効率化、生産性革新にいそしむ。使いものにならなくなれば自分たちが排除されるから、手を抜くことなく命令に従う。

1%の政治的リーダーは、人々を暇の監獄から救おうと立ち上がる。そして、無知蒙昧な他国人を啓蒙するという旗を掲げ、侵略活動を行う。彼らを支援するプロモーター、反対意見でメシを食う評論家たちが5%ぐらいいる。

残された4%はどうするか? というのが課題。

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