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一日一生

一日、一時間、一瞬が貴重に思えてくる。
残された時間を考えると、今のひと時を価値あるものにしたいという願いが強くなる。

とはいえ、社会は個人の願うようにはならない。
街に出て、価値ある体験をしようと焦っても、知恵も手段もない。
結局は、大切な時間を浪費して終わる。

そもそも、価値あるものとは何か。好きな人との邂逅、おいしい食事、未知との遭遇、動植物との触れ合い、社会的な評価‥等か? 
”世間から押し付けられる一般的な価値観”に惑わされることなく、「自分にとっての価値」を見定めておくことは大切だ。そのプロセスを怠ると、シニア世代になってからセミナーで”残り人生でやりたいこと”を書かされる羽目になる。

私は、優れた書物や文章、アート作品に触れるとき、充足感を得ることが多い。
優れた作品には、魂と知恵がこもっている。優れた作者の気構えは、常に本気かつ利他的である。そこに作者がいるかのように、互いの気脈が通じ合う。ありふれた人生に一筋の光明が差す。

逆に、触れて後悔する文章もある。昨今のネット記事はこの類のものが多い。こうしたコンテンツは、たいていが自己顕示か悪意が込められている。しかも、適当に作って流している。
受け手は時間を無駄にするだけでなく、負の影響を浴びてしまう。厭世観が強くなる。

一日一生の姿勢で過ごすには、意識すべきは「どのような情報を得るか」ではなく、「どのような情報に触れないようにするか」であろう。



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