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善さと強さ

「望ましい未来が到来する期待が持てれば人は未来を重視した判断をする」という考え方(未来傾斜原理)がある。アクセルロッドの協調戦略を土台とする。家計が苦しくとも今を耐え忍いで未来に投資(スキルや経験値など)するとか、嫌いな相手であっても先々のことを考えて付き合っておこうと判断するなど。今はとんと耳にしなくなったが、「石の上にも三年」なんて言葉は、まさにこの考え方に基づいている。

だが今日において、世間に“望ましい未来”が到来する気配はないし、誰しも年を重ねるごとに自己実現の可能性は少なくなってくる。メメント・モリ、カルペディエムの心境になれば、他人が描く不確かな未来に期待を寄せるよりは、今を楽しくやり過ごすことが賢明だ、という気分が強くなるだろう。

一方で、この国のZ~α世代の行動傾向を見ている限り、さほど刹那的・享楽的に生きているようには見えない。個の重要性を認識しつつも周囲と歩調を合わせることを暗に求めたり、時間価値を重んじながらも時間を器用に活用しているわけでもない。余計なお世話だが。

SNS等の声を探ってみると、若年層は総じて「旧習や老害を排斥し、”正しい社会”に回帰させよう」とする願いが強いと思われる。保守性が強まっているようにも見えるが、「未来はらせん階段のように発展する」(ヘーゲル)の考え方に照らし合わせれば、あながち後退しているわけでもなかろう。無理な成長志向に警笛を鳴らし、いったんは古き良き時代に立ち返り、世の持続可能性を探ることは大切だ。意思決定時に考えるべき視点には「善さ」と「強さ」の二つがあり、次代を生きる人たちは、ぜひとも”善き社会”や”善き生き方”を追究してほしいと願う。

しかし、自分たちがいかに清く慎ましく生きようと思っても、競争社会においては、野心的な隣人がいつ刃を向けてくるとも分からない。厭世観が蔓延する社会では、相互に緊張感が高まりやすい。危機に直面した際の、強い意思決定・行動のとり方を学んでおくことが必要だ。

私たちの社会では、「強さ」≒暴力、ハラスメントと一面的に捉える風潮があり、危機に直面した際の強い意思決定・行動のとり方を学んでいない(一方で、一部には地下格闘技やアウトローが持て囃されるおかしな現状がある)。日ごろからトレーニングしておかないと、いざというときの受け身のとり方が分からなくなる。これは武道でも生活でも政治でも同じこと。

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