「考え」るということ

 私は「考え」ることが好きだ。でも「考え」ていることを誰かに共有することは難しいと感じてしまう。その点、とってもとっても不器用だ。上手く言語化できないし、言語化できていない空白の時間に相手は何を考えているのか、と考え込んでしまう。だからこうやって文章にしている時の方が伝わる気がする。でもちゃんと言葉にもしていかないと、と重々感じている。

 好きといいつつ、「考え」ることが辛いと感じる時もある。「考え」ていることへの答えが欲しいあまりに行き着く先のない感覚に不安や苛立ちを感じることもある。だから直感や楽観的な物事の見方に憧れるときがある。それでも、こうやって書いている今も「考え」ることを続けている。多分この文章を書き終えても「考え」続けるだろうし、明日も明後日も明々後日も毎日毎日、生きている限り「考え」続けると思う。「考え」ることは私の一部だ。

 「考え」るということ。私は「考え」るということが自分自身を創っていると感じる。そのワケは「考え」ることが「考え」ることで終わらずに、自分の世界をより大きくしていると思うから。とっても抽象的に聞こえるけれど、確かにそう思っている。
 自分が見ている表情も世界も、見せている表情も、耳にする言葉も音も、発している言葉も音も、見えていない、見せていないそれらも、ある意味全部全部新しいし、変化している。そこから「考え」ることで何かが積み重なる感覚は、無意識のうちに私の核となる内側がミルフィーユのように何層にも変化していくような感覚だ。

 私にとって「考え」ることは自分と向き合うことであり、誰かと向き合うことであり、生きている世界と向き合うことである。それが全部全部自分の世界単位の幅を広げている気がする。そして「考え」ていることを少しずつ少しずつ言葉にしていくことで、また新しく見える世界がある。そしてそこからまた「考え」る。

 「考え」ることは私の世界を広げている。

 あなたが今「考え」ていることとは。

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