西国分寺と国立のあいだ

4/20 すきなアパレルブランドを通して知り合ったともだちとシェアルームを始めた。
それまで一人暮らしをしていた部屋は家賃が高く、奨学金がなくなれば払える自信は全くなかったから選択した。
その選択で浮いたお金は立ち上げる予定のブランドに使いたいと考えていた。たくさんバイトしてたくさんやりたいことに使おうとした。希望で溢れていた。
家具や家電はほぼ全て売ったりして手放した。テレビ、録画機、空気清浄機、母にもらったオーブントースターは一緒に連れて行った。貯金は0だった。

5/14 始まったばかりの同居の期限を決めてほしいと言われた。正直一年は厳しいと感じている。6ヶ月とかかなあ。と言われた。

5/30 母が癌になり手術をした。数日帰省した。

6/3 もう一つバイトを始めた。音楽に関われる仕事。隣の店舗には14歳からすきで憧れていた人が働いている。東京のお姉ちゃんだと思ってくれればと言ってくれている。わたしのことを大事だと言ってくれている。

7/7 mabayuiを立ち上げる。この日を誕生日にしたいと前から決めていた。

7/17 母の2度目の手術。万が一があるかもしれない手術。5時間一人病室でずっと待った。

8/8 9月上旬に引っ越せたら引っ越すことに決めたと母にメールした。

8/29 審査が通り9/7に引っ越せることに決まる。




3ヶ月ほど一言も話していない。何をしているかも知らない。新しい服、靴、かばんが増えている。わたしは毎日0〜1時に帰り7時に部屋を出た。トイレのドアを開けっ放しにして空間を遮り玄関と風呂場の前で床に直接寝た。同居人はほとんどの週末どこかにいなくなった。帰ってこないとわかっていてもドアの外の音に怯えてしまう。家に着くと担いでいたリュックを床に投げてしまう。涙が溢れてくる。たまっていた録画をみながら寝落ちする。朝になる。バイトに行く。部屋にいる時間を捨てたからお味噌汁をつくるのをやめた。レンジで温める音でうるさそうに動く姿を見るのが苦しすぎてやめた。最後に話した時は手にハンガーを持っていた。洗濯物を干している途中だった。手が震えているのか瞼が震えているのかわからなかった。体全体で心臓の鼓動が響いた。こわかった。あれから心がわからない。どうでもよくなったら笑えるし、大事な人の前ではうまく笑えなくなった。夜に耐えられずに何度か部屋を出た。夜道はこわかった。雨が降ってきて空き家の駐車場で寝そうになった。いつのまにかツイッターをブロックされインスタとnoteのフォローを外されていたことに気づいた。笑いながら泣いた。ただ悲しんで傷ついて泣くのはばかばかしかった。

書ききれないほど傷だらけだ。痛くて痛くて感情のスイッチをオフにした。慣れたって涙が出てくる。痛いものは痛いままだ。

全部自分で選んだ。すごく失敗した。けど正しく間違えた。もう二度と味わいたくなかったのに二度目がきた。でも一度目があったおかげで進めた。人生で一番つらいと思いかける度、三番目くらいだなと思った。わたしじゃなかったら死んでるよと思ったらわたしでよかったと思った。わたしの大事な人たちがわたしみたいにならなくてよかったと思った。でもそんな選択みんなはしないよなと思った。選んだのはわたしだ。

しょうがない。全部忘れたい。全部忘れていつか笑い話にしたい。そうなったときわたしのことを笑ってほしい。いっしょに笑ってほしい。

わたしは一人暮らしを再スタートする。
人としてかっこよく生きていきたい。
それだけはどうしても譲れないのだ。

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