自分を模したロボットは「自分」なのか? D.E.A.D. ~Digital Employment After Death~を知った衝撃

初めまして。NTと申します。
本記事は日本科学未来館で開催中の特別展「きみとロボット ニンゲンッテ、ナンダ?」で衝撃的な考えを知ったただのロボット、SF好きのオタクが、よそ様のアウトプットでバズってしまったことに責任を感じ、せめてきちんと自分の考えをまとめておかないとなーと筆を執った書き殴りとなります。
※私自身、普段は都下でSEをやってる平凡なサラリーマンのため文章を書くことにあまり慣れていません。そのため読みにくいものになってしまっているかもしれませんがご了承ください。


1.はじめに D.E.A.D.ってなんぞや?

本展示会は「からだ」「こころ」「いのち」の3つの切り口からロボットと人間の関係に迫る、という目的で四肢を補う義手義足から、人工知能をもとに再現されたデジタルクローンまでを広義のロボットととらえて紹介し、そこから逆算し、「人間とは何か?」を考えるという趣旨のものでした。
その中の一つとして紹介されていたのが前述したD.E.A.D.になります。

そりゃ悩むよ。

D.E.A.D. とは、死後、自分のデータとAIやCGなどのテクノロジーを使い、デジタル上で「復活」させられることを許可するかどうかを意思表明するプラットフォームで、D.E.A.D. (Digital Employment After Death = 死後デジタル労働)について、世の中に問題提起し、死後の肖像権管理の仕組みが誕生するきっかけになることを目的にしている、とのことです。
※引用RTの中で、「Digital Employment After Deathを思いついた瞬間が最大風速だっただろうな~」っていうツイートを見てちょっと笑いました。俺もそう思う。

2.AI美空ひばりの残した爪痕

この展示のすぐ後ろで、2019年の紅白歌合戦で披露された、AIで再現された美空ひばりさんの映像がずっと流れていたのですが、当時も物議を醸していたと記憶しています。
「死者への冒涜だ」「技術の濫用だ」と、当時のネット上でも賛否あったことを記憶しています。私の観測範囲では否定的な意見が多かったですね。
上記のツイートを見た方々も、そちらを思い出した、という方が多いようでした。
AIを作った方が美空ひばりさんを再現しようと思ったきっかけは調べていないので個人的に慮ることしか出来ないのですが、機械学習、音声合成技術の進化はここまで来た、という橋頭堡としての側面もあったのかもしれません。そして再現するのであればだれもが知っている有名人の再現を行えば評価はともかくセンセーショナルな発表になるでしょうし。
結果として、AI技術の進化は本格的に倫理観を考える必要が出てくることになったのかと思います。
私自身が技術者の端くれであり、かつ生前の美空ひばりさんを知らない世代ですので、発表があった当初は純粋に技術者としての興味が前面に出ていたので「凄いな~」という感情が主なものだったのですが、彼女の歌に元気付けられた世代の方からすれば、あんなものは紛い物だ、声は一緒かもしれないが偽物だ、気持ち悪い、と思うのも当然の感情なのかもしれません。

3.「死後、保存され働かされる人」という考え

「故人を働かせることの是非」がD.E.A.D.の論点だと考えているのですが、近年でも流行したボヘミアン・ラプソディのような故人の足跡を辿る作品も、「故人を働かせている」ということになるのではないでしょうか?
温故知新という言葉があるように、過去の出来事、人物の足跡が後の世の人が生きる上での指標となることは多々あります。ですがそれを知るためには資本主義の世の中では往々にしてコストが発生します。情報には価値がありますし。
そういった際、個人の足跡には利益が発生することになり、結果として「故人が働く」ことになるのではと私は考えます。人が世代をつないでいく以上、たとえ自分の人生が終わったとしても後の世のために働き続けることになると思うんです。それを自分が望まなかったとしても。

4.蘇った自分は本当に自分?

私のツイートを見てくださった方々は、3で論じた内容よりも、画像の1枚目にある「自分や他人をロボットとして蘇らせたいか?」という問いかけについて意見を述べていた方がほとんどでした。賛否はまさに多種多様で、様々な方の意見を聞くことができとても考えさせられました。
私自身の、展示会から帰宅する際の考えとしては以下になります。

YESかNOを選ぶと、意思表示を示すカードがもらえるというものでした。
裏面には自分の名前と年月日を記載する欄があり、さながらドナーカードのよう。

死後自分のデジタルクローンとなったロボットが生まれどんな仕事をさせられるのかは分かりませんが、普通の人間の一生以上の長い時の中で、「自分」というアイデンティティをコピーされた人格がどんな行動をとっていくのか、という件については純粋に興味はあります。もしかしたら思考能力という面を使われるのではなく、人間の脳のコピーとして単純に処理能力を求められてマイニングを延々とさせられる、みたいなことになるのかもしれませんが。デジタル賽の河原。
自分が死んだあと、自分のクローンロボットがどんなことをするのかは楽しみな一方で、自分の身近な人が亡くなった時に、期待をもってそのクローンに接することは難しいかもしれません。
なまじ生前の人となりを知っていたら、ロボットとして蘇ったその人に違和感を感じ、違和感は嫌悪感に昇華するのではと思います。
フィクション作品では登場人物のコピーが登場するも、ほかの登場人物から「あなたは〇〇ではない」と拒絶され思い悩む場面などがありますが、そういった考えはもうフィクションの世界だけの問題ではないのかもしれませんね。
自分自身はロボットになってもいいとは思ってましたが、それを受け入れる側のことも考えると、単純に「YES」と言っていいのかは分からない、そういった結論に行きつきました。

5.考える故人は今を生きる人を淘汰するのか

故人をデジタルクローン化するという技術が今よりも身近になったときに行われそうだなと思うのが、「著名な発明家、文化人の人格を再現し新しいものを生み出させる」ことかなと思っています。

実績と人気を持った故人のロボットが、今を生きる人たちのためにモノを生み出していく。表現者としてはこの上ない名誉だとは思いますが、そんな未来が来た場合はたして今を生きる人たちが同じようにモノを生み出すことは出来るんでしょうか。
「成功者のロボットが作ったものなんだから間違いないし…」という風潮が生まれ、今を生きる人たちは先駆者の残滓が生み出したものを摂取し、昇華せず消化して終わるだけの存在となってしまうのかもしれません。
モノづくりに携わる人の仕事はAIの制御がメインになるんでしょうか。
もしくは「生前に活躍し、死後ロボットとして生まれ変われる権利を得られた人」とそうでない人とで人が分けられ、分断された社会が生まれてしまうのかもしれません。
どっちにせよ、あまり明るい未来というイメージはありませんよね。
亡くなった方を尊重する世界であってほしいですが、死者に生者が支配される世界が健全なものだとは私は到底思えないのです。

6.おわりに

科学のすさまじいスピードでの進歩は、人の考えを追い越す形で進行しているように感じます。
命とはどうあるべきか、という倫理観的な考えがまとまり、世界中の人たちの中で一定の形で浸透する前に技術が先行し、今回の私の何気ないツイート1件が何千人もの目に留まる形になりました。
私はたまたま展示会の中でこの展示が目に留まり、それをツイートしただけの人間ですが、上記のツイートとこの駄文がほかの方が命のありよう、技術との寄り添い方について考えるきっかけになればと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。
また、引用RT、リプライでたくさんの意見、作品紹介ありがとうございました。
私が知らない作品もたくさん挙げていただいたので、時間を作って触れてみようと思います。

本展示会は、お台場にある日本科学未来館の特設展示となります。
D.E.A.D.の展示以外にも、紀元前から今日までに登場してきた、フィクションを含んだロボットの歴史を確認できる年表や、先日話題になった汎用人型重機の零式人機の体験会もあり数時間は楽しめる内容となっています。
※私も零式人機に乗りました!3mの高さからVRゴーグルを用いた視点操作は未来を感じました…


8月末まで開催されているそうなので、興味の沸いた方は足を運んでみてはいかがでしょうか。
https://twitter.com/NT_303R/status/1522043454288961537

D.E.A.D Digital Employment After Deathの公式サイトは以下になります。
こちらでも意思表明カードを作成することが出来るそうですよ。

それでは、失礼いたします。


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