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プールサイドにて

不自然なことかもしれないが、息子はプールの前のシャワーの後、身体をタオルでふいた。それで、身体が乾いていた。
息子がプールに足をつけようとした時、そばにいたおばあさんが、「シャワーしなさい」と声をかけてきた。
もうしました、と私は言ったが、おばあさんは「でも、私は見てない。身体が乾いている」とぶつぶつ言っていた。
彼女がこのプールサイドの一部始終を見ているわけではないだろうに。シャワーしたのは事実なのに。
そのことがあって、プールをあまり楽しめなかった。

スペインでは他人のことは気にしない、という意見は他の人のブログなどで何度か見た。たしかに傾向としては、日本より気楽ではある。細部に気を配る必要はない。
けれど、他人に注意をしてくる人はやはりいる。時には思い込みで。

つい最近、たまたま、誰かのブログで、スペインで経験した差別について書かれた記事を読んだ。その事例のうち、いくつかは、「差別のよるものかどうか、わからないのでは?」と思った。例えば、「お店で無視された」というのは、アジア系だからとは限らないのでは。
でも、今この瞬間は気持ちがわかる。外国人だから常識がないとか、スペイン語がよくわからないなどと思われているんじゃないか、と身構える気持ち。プールを楽しめなかったのは、その気持ちのせいだ。
言葉が不完全で、外見もマイノリティな外国人であることを重荷に感じる。頭の中の動きが鈍くなり、手足が重くなる。そういう気持ちだ。

冷静に考えれば、あのおばあさんは何の気なしに言ったのだろう。
仮に、私たちに対して良い印象を持っていなかったとして、万一、それが外国人だからという理由だったとしても、個人的な好き嫌いの自由はあると私は思う。

おばあさんの側の事実がどうなのかは問題ではない。
問題は、その日の午後、私が重苦しい気持ちを抱えて過ごしたということだと思う。

ただし、これには別の面もあるので付け加える。
私はこれが日本での出来事だったとしても、やはり動揺しているだろう。
面識のない他人から急に声をかけられるのが苦手だ。非難する内容ならなおさらで、仮に自分が正しくても十分に説明できない。なんだか周りがみんな自分を見張っているかのように感じて、動きたくなくなる。

そういえば、お店で料理を注文するのも苦手だ。レストランでもファストフードでも、飲み物ひとつでも、いつも若干の心理的なハードルがある。洋服屋の店員に声をかけるのは平気なのだが。
これも、海外にいるからというわけではなく、日本でも同じ。声が小さくて聞き返されたりする。自分は客なんだから、といった意識はまったく湧いてこない。
これは食べることが苦手だった過去20年間を引きずっているのかもしれない。自分なんかが人前で食べていいものがこの世にあるのだろうか、と。

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