号外 川の様子#3
出張前から昨日にかけての12連勤が終わり休みを取ることができた。ただ、存外休みがあってもやることがない(朝食の後でホテル備え付けのランドリ―で服を洗濯したが設定した乾燥時間が長すぎてしまい縮んだ服をスチームアイロンで直していたのと、洗濯と感想の待ち時間はkindleで本を読んでいた)。文章ではあれ、川の様子を投稿することにした。
連勤となった経緯はさておき、流行り病明けてからは10日を超えるような中長期間の出張は久しぶりで、移動中(大陸は車移動が多くどれも数十分から一時間を超えるものまで時間を要することが常)やベッドが硬くて眠りが浅いときなんかに、ざっくりと20代半ばくらい、頻繁に出張へ出かけていた時期のことや、あれから変わったなということなんかを色々と考えたり、思い出したりしていた。今も昔も仕事のことは好きではなく、いわば借金返済や、例えば、この先10年後自分が食うのに困らないようにだとか、そういう義務感というか焦燥感から仕事をやっている。これは出自のこともあり、仕事をして金を稼ぐことでしか世間のいわゆる「普通」に肩を並べる手段がないと思っているからで(悲しいかな実際間違ってない)、潰れず持続できる手の抜き方は覚えたつもりだけれど、大枠のところの考えは今も変わってない。そういう奇妙な指針が今回のように休みを返上し目の前の仕事を一掃するという極端な行動に表れているような気がする。
30代となって同じことをやってみると精神的、身体的にかなり大きな負荷がかかっていると感じた。今日も仕事の予定を入れていたものの、起きぬけに先方の担当と話をして、続きは月曜日朝で良いだろうということになった。正直ほっとした自分もいる、今朝は輪をかけて体が重く頭も働かなかった。そして、そろそろ限界かもしれないとも感じていたところだった。過去の働き方を顧みると、今よりも相当厳しい勤務時間や条件下であった。そんなものとわざわざ比べる必要もないが、心身共に変化があるのだろうと思った。
出張に出かける一週くらい前に、台湾で働いていた頃の同僚が商談で東京に来ているということで、夜一緒に酒を飲んだ。
同僚は日本語に加えて英語も堪能で、今はとある企業のベトナム事業所で働いているということで、明日の飛行機で台湾ではなくベトナムへ戻ると話していた。
同僚とは4年ぶりくらいに会ったけれど相変わらずの雰囲気で、日本のビールと焼き鳥は美味しいと喜んでくれて嬉しかった、当時お互いが務めていた会社に関する共通の昔話や、直近の仕事の話をして盛り上がった。あれからそれぞれに別の場所や環境で生活をしているのに、出会えばこうして以前と同じように話ができるのはありがたい。当時は逃げ帰るように帰国したと自分で思っていてもいびつながら、あれからの時間はそれなりに積みあがっているのかもしれないと思う。
今回の出張では期間が長いこともあり既存の取引先に加えて、これまで訪問したことないところへ出向くことが多々ある。見知らぬ場所へ出向いて会ったことのない人たちと仕事をすると色々な見聞があり、自分もまだまだ世間知らずのガキだなと感じる。同時に、知らなければならないことをより多く知っても、良い意味で子供のように風通し良くありたいものと思う。