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Adobe Research@San Joseでのインターンの思い出(2013)

 気がつけば、大学院で修士課程の学生だった自分がAdobeで研究インターンをした2013年からもう10年の月日が流れていました。記憶もどんどん風化してきていますが、自分の経験談が何か学生さんたちのプラスになればと思い記しておきます。この記事は老害化しているオッさんの回顧録とでも思っていただければ幸いです。

 なお、僕はその後に博士を取得したわけでもシリコンバレーでソフトウェアエンジニアとして華やかに生きたわけではありません。日本でWeb系の企業で技術者として働き、現在はIT業界ですらない日系企業にてIT何でも屋としていわゆるDX推進と呼ばれるようなことをしています。ですので、こんな経験もできるんだなくらいの温度感で読んでいただければ幸いです。

 さてさて、当時の状況から語らせていただきます。
2013年は今ほど情報学が人気のある学問でもなく、機械学習は冬の時代で、ちょうどDeep Learningが出始め、雪解けているくらいの頃です。当時は修士の学生が研究での海外インターンをする例は珍しかったかと思います(今も?)。MSRAでは年に一人か二人いるかいないかだったかと記憶しています。博士後期課程ならば多いかと思います。

 そんな中で僕はこのような状況でした。
・CS系の大学院修士一年目が終わろうとしている(学部は別の大学)
・グラフィクス系の研究室に所属(学部は計算量理論)
・研究室のミーティングでは英語を使うことが結構ある
・プログラミングは授業&実験でやっただけ
・インターンの経験なし
・国際的な研究実績もない

 補足をすると、学部時代は部活を言い訳にあまり真面目に勉強していませんでした。これは本当に良くなかったです。GPAも低かったです。

 上述のように大学院では意図的に大学と情報系の中での専門領域を変えました。理由はそれぞれ以下の通りです。
大学変えた:同年代の情報系を専攻している知り合いを増やしたかった
専門変えた:複数の領域について一定の経験を経て自分の向き不向きを知りたかった

 また、大学院での研究室を選ぶ基準は以下でした。ざっくり言うと『自由度が高く、面白そうな内容で成果が出ていて、世界に飛び立てるか』です。
・自分が興味を持てそう≒研究内容を面白く感じるか
・研究業績がしっかりしている
 ≒トップカンファレンスでの論文を恒常的に出しているか
・教員が海外経験があるか
・所属の学生が外に出ているか
・研究の自由度が高そうか
海外というのが目立っているのは個人的にアメリカ、特にシリコンバレーに対する憧れが強かったのもあります。ヒロアカの心操じゃないですが「憧れちまったもんは仕方ないだろ」という感じです。今からするとそんなに憧れているなら海外大学院も考えろよとも思うのですが、当時は必要以上に留年を恐れていました。攻めて失敗することが怖かったんだと思います。

 さらに言うと、就職活動もしておらず博士後期課程行く前提で過ごしていました。日本での就職活動では夏のインターンを考えると修士一年のGWくらいから準備が必要になり、大学院入ってすぐの専門性も磨いていないまだ何もしていない状態から就職先を探すことになります。僕はそれが非常に嫌でした。今でも良くないと考えています。そんなこんなで、ひたむき(?)に修士一年を過ごしていました。

 修士一年も終わろうというある時に研究室メンバー向けに教授から一通のメールが来ました。Adobe Researchが三ヶ月の夏のインターンをする学生を探しているので、誰か興味ありませんか。と。(そもそも修論出せるか既に怪しい学生でしたが、)そこで何も考えず元気よく手を挙げました。ダメな理由なんていくらでも言えたかもですが、なんくるないさー。の精神でした。

 立候補したのは自分だけで幸いにも先方を紹介してもらいました。じゃあ翌日ちょっと電話しようとなりました。大慌てで自分の経歴や強みなどをまとめ、英訳してカンペとして用意しておきました。研究室の秘書室で電話したのを覚えています。バジェットや締切の関係もあったのかとは思いますが、幸いにして採用されました。
教授からは「良い経験になると思うけど、修士の卒業に支障をきたさないように、必要な手続きもするんだよ」(意訳)という感じで後押ししてもらいました。出発時の論文執筆や帰国後の修論が大変で迷惑をかける形になりましたが、受け入れていただいたことには今も感謝しています。

 家は現地に着けば見つかるじゃろと考えていました。成せばなるもんで、一悶着ありましたがインターン開始前には無事に見つかました。インターン全体でも日本からの人が他にいなかったので、英語で話す度胸はついたかと思います。あと、手土産に日本のお菓子をいろいろ持っていったら、非常にウケが良く研究グループ内でかなり話題になりました。

 研究も開発もデザイナーも法務もマーケティングもインターンは一緒くたで様々なイベントがありました。他社も経験したインターンの友人が言うにはこのようにごちゃ混ぜなのは結構珍しく、さらに領域を分け隔てなくインターン同士でも仲良かったのはこの時だけと聞きました。ミーハーなので名前を知っている米国の大学や欧米の大学、さらにはイスラエルの大学などのすごい人らと関われたもんだとテンションが上がりました。

 きっと読み手の方が気になるであろう英語の話ですが、他のインターンやメンターと食事行っても、ヒートアップすると話す内容のほとんどが分からなかったです。お酒入ると無理でした。特に初期は土日に遊びに誘ってもらっても、盛り上がりについていけなくて辛かったです。みんなが笑っている中で一人だけなぜ笑っているか分からないし、しらけると怖いから愛想笑いをして、そんな自分が嫌になる。そんな日々でした。とは言え、引き篭もらずガンガン行くと意外となんとかなるもんでした。当時の仲間とは10年経ったけれどもたまに連絡は取るし、先日はオンライン同窓会もしました。

 総じて日本で過ごしていたよりも非常に良い時間だったと思います。インターンの内容は最終的に米国で特許になり、少なくない額のお小遣いも手に入りました。このお金を元手にしばらくバックパックを背負って世界を放浪するのですが、それはまた別の話です(需要があれば書くかも?)。
技術的な面では、それなりの品質でゼロから自力で一つのソフトウェアを作り上げる経験やパフォーマンス問題への取り組み方を学べたのがプラスでした。もちろん他インターン生や研究者の方とディスカッションできたのも非常に良い経験でした。いろいろな人を紹介してもらったり、現地で出会った人らに自分を売り込んだりしましたが、残念ながら職は見つかりませんでした。笑

 取り止めのない話になってしまいましたが、最後に当時は意図的であれ無意識であれ自分のした行為を今振り返ってみての教訓めいたことを記載して終わりにしようと思います。
・チャンスが多そうな場に身を置くことは良く、公開情報からもわかる
・チャンスに飛びつく時は勢いが大事で後のことはその時になって考える
・チャンスから次に繋げられるかは自分次第
・後で大変なことになっても自分の選択として受け入れられる
といったところでしょうか。誰かのプラスになれば幸いです。

目に見える形でのおめぐみをいただけたら幸いです……。