みとちゃんについて語る

こんばんわ。にじさんじが好きです。なるせと申します。
にじさんじは総勢70人以上ライバーがおりまして(5/12現在)
全ライバーを見るなんてのは、現実的に無理なのでみんな好きだけど、特に強く推してるライバーが日を重ねるごとに生まれるんじゃないかなって思います。
その中で私は、推しのライバーを聞かれたときに

月ノ美兎伏見ガク

といつも答えてまして、どっちが1番と選べないこの2人が最推しなんですが
以前から仲良くしてくださるフォロワー様や、友人たちからガッくん推し・アクターのイメージが強いといわれることが多く、みとちゃんも同じくらい好きというとなんか納得できない顔をされがちなので、みとちゃんについて隙自語します。内容は気持ち悪く重いです。

でも誰かの暇つぶしになれば幸いです。

仲良くしている友人のひとりから「なるせさん、Twitterで委員長について呟かないじゃん」と言われたので、軽く見直してみたところ、超会議があったせいもあるけど、おはガク投稿して、ガッくんに限界になって、ツイートは日常ツイートと身内ツイートと伏見ガク関係しかなかった。
みとちゃんのみの字もなかった。こりゃ腑に落ちない顔されるなって。

ツイートでみとちゃんについて話さなくなった理由は、自分の中でははっきりしてて、1月12日に行われた”樋口楓1stLIVE KANA-DERO”でひとつ自分の中で気持ちへの区切りがついてしまったこと。
現在、月ノ美兎への気持ちは1つ先のステップ、第二シーズン的なものを迎えてる。だから限界になったり、配信を全力で追ったり、認知を得ようとしたりそういう、ガチ勢っていうのかな…?みたいな感じではなくなった。
ただ!!私はみとちゃん大好きで!!それが!ないものになってるのは悲しいから!!ここに書きます。

みとちゃんとの出会いが、にじさんじとの出会い。

にじさんじに出会ったのは、2018年の2月ごろ。
当時、公私ともにいろんなよくないことが続き、生きてても生きてなくてもいい自分は、あってもなくても変わらないぼろ雑巾みたいな状態だった。
年末から少しずつバズりだしたバーチャルユーチューバーという存在を知り、なんとなく見始め、少しずつはまりだすまで、息吸って吐くのが手いっぱいって感じでとにかく「生きてる」っていうより「死んでない」が近かった。
いろんなVtuberを知るために、ニコニコの紹介まとめ動画を見て都度気になった子の動画を見てを繰り返してなんとなく1日を終えていた中、出会った子は自分を清楚な委員長だと思い込む不思議な女の子だった。

自己紹介、10分まとめ、ホラーゲーム実況、フラッシュゲーム実況、そのどれもが面白すぎて夢中になって見続けた。
過去のことも先のこともどんなことでも思考するとメンタルがつらくなる状態で、余計なことをすべて忘れて没頭できたのが月ノ美兎の動画だった。

月ノ美兎の動画をすべて見終えたあと、彼女が数日後生配信をすることを知った。当時、Vtuberは動画勢が主で、大手Vtuberの配信はそれ自体がひとつの大きなイベントとして注目を集めるほど頻度が少なかった。
にじさんじが配信者のグループだということも知らなかった私は、これを逃したら生放送はもうしばらく見れないと思い、開始時間の10分前にアラームをかけ、数日間わくわくしながらその時を待ってた。

その日の配信は、コロッケを作るフラッシュゲームの配信。
https://www.youtube.com/watch?v=xNI9WbzmaLE
翻弄されながらコロッケをなんとか作ろうと頑張る彼女の姿に終始お腹痛くなるほど笑い、約1時間の配信は終了した。
「楽しかったー」と思った直後、なぜかわからないけど涙が止まらなくなった。
それがにじさんじの沼に落ちた瞬間だった。
そして、月ノ美兎に落ちた瞬間だった。

そのあとはひたすら配信を見る日々。
リアイベは全く当選せず、楽しそうなツイートの実況を眺めてはスマホを投げるのを繰り返した初夏。
「月ノ美兎の夏休み ~課外授業編~」が発表され、応募するも落選。
その後、Twitterで知り合ったにじさんじ仲間の方から連番のお誘いを頂き、やっとリアイベに参加することが叶った。
しかも、最前席。
スクリーンに映してイベントが行われるのはわかっていたから、別に前とか後ろとかあんまり関係ないのはわかってたけど、それでも誰よりもみとちゃんに近づける、やっと会えるそんな気持ちでいっぱいで、ずっとずっと追いかけてた月ノ美兎に触れれるようなそんな感覚だった。

結果は、惨敗だった。

当然ながら、スクリーンの彼女とは目も合わせることすらできない。
こっちを見てもらえることすらできない。
開始直後のみとちゃんからの「会場のかのぴっぴー?」という掛け声にだれよりも大きな声で応えたつもりだし、たくさん手も振った。
それでも、月ノ美兎は遠い存在だった。
それ以上に、ゲストで来ていたでろーんとの”かえみと”をひたすら見せつけられ、お金を払って失恋しにいったようなものだった。
終幕後ずっと動けず泣き続けた。
周りには「みとちゃんに会えたのがうれしい」と言い続けた。
たしかに嬉しかったけどそれ以上に胸が詰まった。とにかく苦しかった。
あの日、フラッシュゲームに翻弄されていた小柄な彼女は想像以上に大きい存在になっていた。自分の中でも、Vtuberとしても。

そのあと湧いた感情は、おこがましくもあり、醜くもあり、でろーんへの嫉妬だった。
「樋口楓になりたい。みとちゃんに近い存在になりたい」
そんなことを抱くようになり、そんな感情を殺そうとしても当のでろーんから出てくる「自分じゃない人が樋口楓だったら」とか、とにかく自己評価の低い発言の数々。辛かった。じゃあ、変わってよとも正直思った。
あの日、自分を救ってくれた大好きな子に、ありがとうという言葉すら言えない自分の情けなさが、ちっぽけさがとにかく辛かった。

でも、そのあとすぐ思った。
「なんて厄介なファンだろう」と。
あぁ、もうみとちゃんを推してるっていう資格も、ましてはみとちゃんにこんな存在がいるって知られることも絶対にあってはダメだと。

9月のよみうりランド、にじそうさくと経て、10月にニコカフェが始まった。それに合わせてみとちゃんの痛バを作った。
自分の愛情の形がグッズを集めて、痛バを組むことなんだけど、”みとちゃんらしさ”を出したいと思った結果、バックに人工芝を縫い付けるという暴挙に出たり、ムカデのレプリカを貼ったりした。
でも、その結果、自信もって自分のバックが世界一だって言える。
そんな気に入ったものができて、「みとちゃんに見てもらいたい!」という気持ちと、「でもその存在をみとちゃんに知られるのはダメ」っていう矛盾した気持ちをずっと抱え、ニコカフェで破産した。(それはまた別の話)

みとちゃんへの気持ちを表に出さないようにした結果、みとちゃん関係のツイート数が減り、相対的にがっくんに対しての言及が増え、みと夏以降に知り合ったフォロワー様からは「ガッくんの人」というイメージを頂くことが多くなった。

拗らせた感情はそのまま年末を迎え、年明けくじじゅうじのライビュを見て(そのころには、現場に行ってももうヘラらなくなった)
ターニングポイントとなる、KANA-DEROを迎える。

初めての大阪で見たもの、それに対して思ったもの・・・
大阪にもJRがあることにびっくりしたし、街中の人がみんな関西弁なのが面白かった。梅田は迷路だった。
それらに対して、前日にJKLでした配信の中でみとちゃんが同じようにリアクションしてくれて嬉しかった
みとちゃんが近くにいる。明日、久しぶりに近くに行ける。
わくわくして迎えたKANA-DEROだった。

寒い中物販に並ぶも惨敗。会場に早く入りたいと思う理由は楽しみだからと、寒すぎて死にそうだから。
そんな中入場し、始まった1stライブ。

でろーん歌うまい。それ以上に、盛り上げ方がうまい。
LiSAのライブで勉強したとは言ってたけど、それにしても約1年前まで普通の女の子をしていた彼女がこんな堂々とパフォーマンスできるもんなんだ…と感動した。
かえるタイム、でろりんタイム、JK組タイムと続き、かえみとの時間。
まだほんのり抱く嫉妬心。でも、それ以上に滾る気持ち。会場の熱気。
1曲目のアオハルが終わった後。
2人が後ろを向いて並んだあとに流れるイントロ。
その聞き覚えのあるイントロと、その曲がなにかわかった瞬間泣き崩れた。

はじめて月ノ美兎を見た時、私はいつ死んだって構わないような人間だった。
みとちゃんに出会って、笑ったり泣いたり嫉妬したりいろんな感情をもらって、たくさんの友達もできて、出会いも別れも経験して、失ったものもきっとあったけど、得たものの方が間違いなく多くて
自分が今、生きてるのは冗談でもなんでもなく月ノ美兎のおかげだから。
死んでなかったかもしれないけど、生きてもなかった自分を生かしてくれたのはみとちゃんだから。
って、冷静に書いてるけど、実際現地では泣き崩れ泣き叫び酸欠でほとんど記憶がないです…笑
ニコ生のTS見て改めてみとちゃんがでろーんに「ありがとう」って言って去ったことを知ったり。
記憶はないけど、感情と感動だけ残ってた感じ。
いや、もう必死で呼吸して泣き叫ぶタンパク質だった。人ですらなかった…。

やっぱりでろーんには勝てないなって思ったライブの最後。
樋口楓直筆のメッセージ。
私が、みんなが、思ってほしかったでろーんにでろーん自身を愛してほしいという願いは、ちゃんと達成され、改めて彼女たちがバーチャルでありながらも生きている存在だと魂があるのだと実感した。

彼女たちが変わった。なら、私も変わらないといけない。
自分にとって「月ノ美兎」という存在も、その周りにいる人たちに対しても心持ちが変わった。
みと夏で失恋したのだとしたら、KANA-DEROでようやく諦めがついたという感じなのかな…。
みとちゃんがみとちゃんの大事な人と幸せに楽しくしてくれればそれでいい。それが本当にうれしい。

そんな気持ちの変化があったから、月ノ美兎は原点にして頂点で、口に出さなくてもずっと大好きだって思ってる。
そんな紆余曲折があるから、みとちゃんに対しての言及が減ったんじゃないかなと思います。

最後に、KANA-DEROから帰ってきた後、風呂場で打った重く熱い感想をコピペして締めようと思います。
ここまで読んでくださった方がいるのかわからないけど、お時間頂戴したのでしたら、心から感謝いたします。

❝みと夏ではじめてにじさんじイベに行けて、間近で大好きな月ノ美兎を見れたときその近さとその遠さにものすごく圧倒された。
ヨーロッパ企画をはじめとした、謎フラッシュゲームに振り回されてる頃のみとちゃんとは、本人もにじさんじも一瞬で大きくなったんだなってものすごく痛感した。

それは多分なにより本人たちがずっと感じてたことで、目まぐるしい日々とか、それらにくらいつくとかそんな表現で自分の置かれた日々を語る言葉から容易に想像できた。

みとちゃんが大好きで、大好きなみとちゃんからたくさんの素敵な気持ちをもらったから、それを返したくてなにができるか考えてたら、わたしがなにかするまでもなくたくさんの人に支えられているみとちゃん。
特に同じライバーで、同期で、同い年で接点や共通点の多いでろーんは本当に特別なんだとみと夏のとき、(あえてこんな表現をするけど)見せつけられ自分がでろーんだったらよかったのにと考えることがものすごく増えた。
それほどに、自分のなかでの"月ノ美兎"とか"にじさんじ"は大きく、もらったものも多く、返せない自分のちっぽけさが辛かった。

そう思うと同時に、でろーんの口から出る「自分は"樋口楓"だから愛されてる」といったニュアンスの言葉が辛くて、ずっとずっとどうしたら「"あなた"だから愛されてて、みとちゃんも笑ってて楓組をはじめとした、にじさんじファンもみんなついてきてるんだ」ってわかってくれるんだろうってそればかり考えるようになってた。

にじさんじはオーディションがある。
最近では当たり前だけど、にじさんじが出たばかりの頃、個人勢も企業勢も、Vtuber中にはバーチャルではなくリアルで暮らす魂が入ってることを出来る限り匂わせないようにしていた感じがした。
だから当時それが画期的で、この世のどこかに彼女たちの魂がいるってことが私にとって支えになってた。
会いたいとかそんな野暮なことじゃなくて、そんな素敵な人が暮らすこの世界捨てたもんじゃないな的な。

ただ、それは一方でもちろんライバーも同じ人間で感情があって、ライバーになる前の人生があって、自己評価も死生観もそういう価値観とか思想とかがちゃんとあるってことだから…。
だから、でろーんの言葉も本音で「そんなこと言わないで」なんて思うのはダメかなって思ってた。
でも、やっぱり樋口楓も魂も全部全部でろーん自身に愛してほしかったからなんとか、いつか、どうにかして伝われ!って手紙か?町会議的なやつか?とかって思ってた矢先のライブ最後の言葉。

わたしが伝えるまでもなく、ちゃんとちゃんとわかってて、周りの人が叶えてくれたんだなって。
きっと、しがないこんな私が思ったんだからみんなも思ってて、たくさんたくさんいろんな方法ででろーんに伝えたんだと思う。
わからないなら、わかるまで伝えてやるって
たぶんみとちゃんも、しずりんも、えるちゃんも、ちーちゃんも、にじさんじのみんなが、スタッフさんが、楓組が、リスナーがみんなででろーんに「あなたが"あなた"だから好きだ」って伝え続けたんだと思う。

最高の時間を、日々をありがとう。
みとちゃんのおかげでにじさんじを知り
にじさんじのおかげでたくさんの素敵なものをもらい
にじさんじのおかげででろーんのライブにいって
でろーんのおかげで、ほんっとうにもう言葉で言い表せられないほどの感動と思い出をもらいました。

ありがとう。自分の一生を使ってもこんな自分では返しきれないほどの素敵なものをたくさんたくさんありがとう。
ありがとう。にじさんじ。
ありがとう。みとちゃん。
ありがとう。でろーん。
これからもずっと終わるまで、追い続けます。

でろーん、これからも好きな音楽を奏でろ!
でも、まずはゆっくり休んでほしいです(*´-`)❞

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