自分の中の賢さの概念が、ようやく普遍的な賢さに繋がった時の話

自分は基礎をないがしろにする人間だと数ヶ月前に気付きました。

何故か、いつもズルしたり効率や自身の幸福の為にモラルや、普通の人がよく見落としがちな当たり前を犠牲にしていたからです。
また、それらの思考方法を思いつくことが賢さだと思っていました。
しかし、僕の好きな言葉の中に「愚者は失敗から学び、賢者は歴史から学ぶ」という言葉があります。
僕は愚者だとはっきり自覚した上で、その無知の知が自分なりのアドバンテージだと捉えてました。だからこそ何事も早く失敗は失敗するべくし、何故失敗したのか原因を覚え対策することに全力を注いでおりました。

しかし、いつも上手くいく時は、失敗を失敗だと捉え修正点を探し、足りてない能力があれば足りるまで反復する。これは基礎能力を上げているに過ぎないということです。
今とても当たり前のことを言っています。

だからこそ、やれと言われた事(基礎)を忠実にやれる人間は強く、賢い、だからこそ学力は賢さだと思いました。

ですが僕は、昔を思い返してみて、学生だった頃からいつもズルしてばかりいたなと感じました。
では、生きていく上での指標となる基礎とは何なんだろう という疑問が浮かび、思えば、今家族とは全く接触がなく、自分が育った環境や人の理解を全くしておらず、初心に帰ることすらできない始末でございました。

そこでまずは基礎の基礎に帰り、祖父母の出立ちや重要だと感じる経験や価値観を知りたいと思いました。
ですが、ここでの基礎とは恐らく、まず自分の思う基礎をしっかり理解、研鑽した後、両親に上記を問い、理解、研鑽し、その後に祖父母だろうと。

やはり自分は基礎をないがしろにする人間だなと改めて思いました。

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