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【ブルアカ】彼女が“彼女”に似ている件

こんにちは。
X(旧Twitter)で話題ですね、彼女。私もぶん殴られました。

しかしモヤモヤする意見も多いです。
「なんでそんなこというの……?」
とある意見に対してこう言っている人をたくさん見かけました。

私はその風潮に異を唱えたいです。

※本記事には以下のネタバレを含みます。

・0068 オペラより愛をこめて!
・エデン条約編4章





件とは

さて、早速本題に入りましょう。

ご存じの通りタイトルの彼女とはドレス姿の錠前サオリ(通称ドレスサオリ)のことであり、“彼女”とは元ゲマトリアの一員であり元アリウス分校生徒会長、彼女にしてマダムことベアトリーチェのことです。

今回のイベント0068オペラより愛をこめて!(以下0068)でお披露目となったドレスサオリの立ち絵は、我々の知るベアトリーチェの姿と酷似していました。

ドレスそのものやシルエット、細かい仕草まで。
後ろ姿が特にそっくり。ここで私は気が付いた。

この「ドレスサオリはベアトリーチェに似ている」という指摘に対して、X(旧Twitter)上では「なんでそんなこというの……」という否定意見(といいつつ悲観するのを楽しんでいる層もいるとは思う)が散見されました。

しかし私はドレスサオリを見て、ベアトリーチェの影を見たうえで「なんてカッコいい子なんだ……!」と思いました。

今回はその根拠について話していきます。

根拠1.錠前サオリは気に入っている

たしかにデザインは私が選んだが……!
あくまで仕事のため……!
自分の好みとか、そういうのでは……!
いや、まぁ……多少は気に入っているが……!

0068 オペラより愛をこめて!第5話「手練れてそうで不器用に」

さて、1つ目の根拠にして決定打なのですが、サオリはこのドレスを自分で選んで、そのうえで気に入っています。

先生として、一錠前サオリ好きとしてはこれだけでQ.E.D.と行きたい所ですが流石に言葉足らずでしょう。
ということで、次に何故サオリがベアトリーチェ似のドレスを気に入っていることがカッコいいのかについて考えていきます。

根拠2.錠前サオリは学ぶことを諦めない

まず、ドレスサオリの後ろ姿を見てベアトリーチェの面影を感じたとき、私は「サオリは(意識的かどうかは別として)ベアトリーチェに受けた影響からドレスを選んだ」のだと考えました。

こう思い至ったのには幾つか理由があります。
1つは、サオリはとっくにベアトリーチェによる支配の構造から一部思想的に脱却しているからです。
詳しくはこの記事の『ミカとサオリとコヘレトの言葉』という項目をご参照ください。この項目以外も読みごたえ抜群の素晴らしい記事です。

目を通していない方向けに要約すると「サオリは既にvanitas vanitatumをベアトリーチェによって歪められた解釈ではない、コヘレトの言葉本来の生の謙虚さを教える金言として再解釈することに成功している」というような内容。(あくまで要約なので参照記事の方を要確認)

恐らくここを誤解したままの方が多く、今回多くの人がベアトリーチェ似のドレスに悲観的だったのもそのためかと思われます。
勿論、それこそエデン条約編にもあるように人の気持ちなんてものは“不可能な証明”であり、それは創作上のキャラクターにも言えること。ですが少なくとも私はこの点(vanitas vanitatum)に関して、サオリは既にベアトリーチェの曲解からは免れたものと解釈しています。

また、サオリとvanitas vanitatumに関する場面は5thPV内にも存在します。

【ブルアカ】5th PVより

一瞬映るDJサオリ(直前のカットやすぐ後に出るアリ夏のサオリとも衣服の特徴が一致)のカット。その右腕につけた腕時計には『ECC. 12:8』と書かれているように見えます。
この『ECC. 12:8』とはvanitas vanitatumの出典元であるコヘレトの言葉の一節を指しており、通常サオリの帽子に刻印が刻まれていたり、そもそもアリウス分校の校章にも入ってたりします。

帽子に刻印された文字……顔良ッ
アリウス分校の校章にもガッツリ入ってる

学校から支給されたであろう帽子はともかくとして、アリウス脱出後のサオリが敢えて教義を携えた腕時計をつけるのには相応の理由があるはずで、その理由こそ上記記事の該当項目であると私は考えています。

サオリはベアトリーチェによって刷り込まれた、歪んだ意図のvanitas vanitatumを再解釈し自分のものにしました。どれだけ凄惨な現実に生きていても、その生自体を諦めることを良しとしない謙虚で屈強な精神。そのサオリの精神性を育んだものこそが“学び”です。
貧困から来る飢餓や凍え、憎悪から来る暴力や虐待。そういった現実とvanitas vanitatumを彼女は同列に処理し、すべては虚しいものであることをベアトリーチェに教えられた教義として以上にその身をもって学んでいました。

また、サオリは作中でも山ほどの学びを得ていることが確認できます。0068なんてまさにその好例で、便利屋から裏社会のあれやこれをみるみるうちに吸収。中でも0068のオチとなった「こういう日もある」は、虚無主義のサオリが虚しい現実を受け流すための手段を獲得する、素晴らしい学びとなりました。

このようなサオリの学びへの飽くなき精神は、補習授業部で理不尽な試験を前に学ぶことを諦めなかったアズサのそれにも近しい黄金の精神です。

ここも、ね。

そんなサオリならベアトリーチェの容姿からその美しさを“学び”、実践することもさして不思議でもないのではないでしょうか。サオリの好きな贈り物、コスメですし。実はすごく美意識のあるキャラクターなんですよ。

つまるところ、サオリは度々ネット上で言及されるような構造のグロテスクさからはとうの昔に抜け出しており、自分の“好き”を選ぶことができるような子なのです。これをカッコいいと言わずして何と言うのでしょうか。
とはいえその好みこそ育ちの中で育まれてきたものであることは間違いないと思うので、上記のような意見も否定はしません。私も同様のことを完全に考えていないと言えば嘘になります。

でも、先生としてやることは決まっていると思うのです。

結論.錠前サオリにこのドレスは似合っている

ノータイムで上を選んだ

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