香の丈に合う人
「あの、気持ち悪いこと聞いてもいいですか…?」
ちょっと前から海の向こうで なんかやばい病気が流行ってるらしい、そんな程度に世間がまだ楽観的だった頃。
キモくてごめんなさいの気持ちからどうしても小声になってしまう代わりに、ソーシャルなディスタンスをぐぐっと詰めて切り出した。
「なんていう香水使ってらっしゃるんですか?」
問うた相手は、お仕事の現場で丸3日ご一緒させていただいた素敵なお姐さま。
それもこの日で終わりとなれば、聞きたいor聞けない、揺れに揺れ続けた天秤に、最後は勇気の重さが乗った。
だって横切るたび、後ろを歩くたび、すこぶるいい香りがしてたんだもん。
いつも微笑み、背中から鼻唄が聞こえてくるのではと思うほど愉しげな心のゆとり、素敵にアイテムを操る美的センス、積み重ねた感性の豊かさと思慮深さ。
初対面から3日間、ちょこまかとついて回るわたしみたいなポッと出のぺーぺーに「すごいね」「ありがとう」を何度でも言い、「ここから見てごらん」「こっちおいで」と手招きをするおおらかさ。
それらをまるっと表現するかのような、やさしくてかしこい香りだった。
わたしの怪しい質問に彼女は戸惑う様子も見せず 嬉しそうに目を細め、「東京の家に着いたら写真とHPを送ってあげるからLINEを教えて」なんて言うのだから、人間出来過ぎでは???
約束のとおり、その日のうちに香水のボトルとパッケージの写真、ブランドHPのリンクが届いた。
香水瓶の隣には、わたしがお土産にと渡した球根つきのムスカリも添えられていて、背景には上質そうな絨毯。なんて細やかな人。
ていうか、3日間早朝から夜まで動き回って新幹線で帰宅して、わたしならノンストップでベッド。絶対にそう。小娘とのどうでもいい約束なんて明日にしてひとまず寝るわ。たまげる……。
そんなことを考えながら軽い気持ちで添付されたHPのリンクを押して、重ねてたまげた。
ーーOh, in English.
あたふたしながら言語切替を探す。
あった。しかしながら、Japaneseという選択肢がない。なぜだ。Shanghaiという選択肢ならある。漢字のフィーリングでいけるか??おーい淳太くーーん!
一瞬DOKODAが流れたけれど、結局、わたしの読めそうな言語は選択できなかったので、値段だけでも……とドル表記の数字を復唱しながら電卓に入力し、×108をしてみて重ね重ねたまげた。
そして、そっとホームページを閉じ、目も閉じた。
それから数ヶ月が経ったある日の百貨店特設スペース。一度目の緊急事態宣言が明けてちょっとした頃だったと思う。
なんとなく見覚えがあるロゴの香水屋さんの前を通りかかった。
え、たぶんここ、そうだ、……そうそうこのクジャクの香水瓶、値段も……そうそうバカ高い!KOREDA!!!
食い入るように見つめ過ぎて、ついにお姉さんから声をかけてもらってしまった。
絶対買わないだろう小娘に、すみません。
つけてみますか?と訊かれ、今日1日でもあの香りが纏えるなら…と(最低)手首に少量、つけてもらった。ぽんぽんと手首を重ね、ついでに首にも馴染ませてみた。
……………あれあれ?
なぜだか噎せ返りそうだった。
気持ち悪いことと分かっていながらも尋ねずにはいられなかったほど、あんなにも素敵に感じた香りは、自分に振りかけてみたら全然いい香りじゃなかった。
これはきっと、ミドルノートになれば…、とかの問題ではない。
単純に、わたしには似合わない。
もとい、今のわたしが、お香のようなバニラのような 甘くて暖かいその奥にチリッとスパイスが潜む、濃厚で複雑なこの香りに見合わなかった。
この香りを受け入れる器としてわたしは、ちゃっちくて浅くて若くてゆとりがない。納得だ。
ーー「24かぁ……、わたしが全部嫌になってイギリスに飛んだ歳だなあ」
撮影の合間の会話がふとよぎった。
あの“素敵な大人”感は、素敵に年を重ねなければ醸せない。って、わかってたけど。
「銘柄、教えてはあげるけど10以上歳の離れたお嬢さんがその場で真似しようったって、そうはいかなかったでしょ?」とおちゃめに笑う顔が脳裏に浮かぶ。
全部嫌になってイギリスに飛ぶ漢気はわたしにはないけれど、わたしなりに、いろんな世界を見て豊かになろうと決めた。
仕方ないから、今は身の丈に合う香りを纏うかぁ。
幸い、甘く軽やかでフレッシュな、愛嬌のある香りも好きだし。なんか世渡り上手そうじゃん?なんて。
いつかあの香の丈に合うわたしになることを夢見て 今日のところは、安心の日本語表記で0の数が1個少なく、部屋によく馴染んだ瓶を手に取るのでした。
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