高卒コンプレックスと少子化への誤解

 世の中には学歴コンプレックスの人がたくさんいる。それは単純に大卒の肩書に劣等感を覚えている人、自分の大学の格付けに執着する人、医学部などの特定の学部への入学に固執したりする人などが該当する。

 そして、世の中には高卒コンプレックスというものが一定数存在する。これは通常の学歴コンプレックスとは反対に、高等教育の弊害を過度に強調して、高卒の人々の人生を理想化し羨むことを言う。用語自体は僕が今考えたものだが、そういう層は昔から一定数存在している。中学以降は高学力層としかつるまず、東大や早慶などの有名大学を卒業後大手企業のサラリーマンになったような人々が罹患しやすい。

 彼らの主張はこうだ。

 大学を卒業しても幸せになれない僕たちと違って、高卒でも楽しく暮らしている人々はたくさんいる。それは、元々ホモサピエンスは教育とは相性が悪く、過剰教育によって不幸にさせられているからだ…

 彼らは自分たちが生まれ育った環境を否定し、自分たちが歩まなかった低学歴という世界線を夢見る。憧れる対象は田舎のヤンキーが基本だが、発展途上国の人々や昔の日本人などに向けられることもある。時々、少子化などの現代社会の歪みと関連付けて、現代の教育を否定することもある。

 代表例がこれだ。

 この記事の作者であるイブリースさんは、東大文系学部卒のエリートサラリーマンだ。しかし、彼曰く自分の仕事はつまらなく、日々人生を浪費しているらしい。社会人になり壁に当たってしまった彼は、多方面の考察記事を執筆しながら、自分の人生を振り返っている。

 記事の内容は、現代の少子化問題が高等教育の弊害だと主張し、それを廃止した社会を考察していくものだ。最終的には、高等教育の廃止は現代のポリティカル・コネクトネスの関係上禁じ手ではあるが、実行したら現代社会の諸問題がかなり解決するものだと結論付けている。

 僕はこの主張には基本的に否定的であり、低学歴コンプレックスの人々が陥る典型的な主張だと考えている。本来ならイブリースさんのコメントで反論したかったが、コメントは500字までだったうえに、自分でもこの手の主張がなぜ駄目なのかを整理したくなったため記事にすることにした。

子育てのコストが増加すると少子化が進むわけではない

 イブリースさんの主張は、少子化の原因が子育てのコストの増加という前提のもとで展開されている。第一次産業が主流だった昔は、狩猟採集や農業などで子供は助けとなったが、製造業やサービス業が主流になった現在では子供はコストでしかなく、その結果費用の高くなった子供を産むことは無くなったというものである。しかし、それは典型的な疑似相関から生み出された、誤った主張である。

 「アイスクリームが売れると溺死者が増える」という言い回しがある。実際それは本当で、統計データを見ると確かにアイスクリームの売り上げと水難事故の件数は相関しているらしい。しかし、実際それは因果関係がない。夏になると一般的に人間は海に行くしアイスクリームを買うだけの話だ。

 イブリースさんはそれと同じトラップに引っかかっている。確かに大学進学率と合計特殊出生率は逆相関しているかもしれないが、産業革命という現象が教育投資の増加と少子化を招いただけで、その二つには必ずしも因果関係があるとは限らない。

 この資料を見てほしい。これは2015年に公開された完結出生時数の5年ごとの推移である。完結出生児数とは、結婚してから15年~19年経過した夫婦が持つ子供の数を表し、結婚した女性がどのくらいの子供を産むかを表している。もし子育てのコストを人々が忌避しているなら、完結出生児数は大学進学率と逆相関しているはずである。

 しかし、予想に反して完結出生児数はここ数十年であまり変化していない。確かに21世紀に入ってから完結出生児数は少し落ちてはいるが、これだけで現代の著しい少子化を説明することはできない。1950年代に完結出生児数が著しく減っているが、これは乳児死亡率が低下して子供を多く産む必要性が無くなったタイミングで中絶が合法化されたからである。この時代は高卒どころか中卒の人も大量にいたため、教育コストの増加によって子供を産まなくなったとは言い難い。

 少子化の真の要因は未婚率の上昇である。現在の日本では非嫡出子の割合はわずか2%であり、子供を産むためには事実上結婚が必須となる。そして先ほど言ったように完結出生児数がそこまで変化がない以上、結婚している人の割合と合計特殊出生率は理論上ほぼ比例する。

 そして未婚率の推移を表した資料が以下のものである。

 未婚率は50歳前後の人々の結婚していない人の割合を調査しているため、子供を産むのが20代後半だと仮定すると、20年前後ギャップがある。例えば2005年に調査したときのサンプルはおよそ1955年前後に生まれた人々であり、彼らが子供を出産するのは1980年代前半となる。このように調査で得た結果を20年ほど前へ調節して、その時代の合計特殊出生率と比較すれば結果を得ることができる。

 すると、日本の合計特殊出生率が2.0を割った頃と、生涯未婚率が上昇し始めた世代が結婚適齢期になった頃がきれいに一致する。さらに日本は1980年代から2000年代にかけて合計特殊出生率が1.8から1.3程度まで落ち込んだが、それも生涯未婚率の調査‐20年と合わせるときれいに逆相関する。このことから、理論的にも統計的にも未婚率と合計特殊出生率には因果関係があるように思われる。

 ただ、イブリースさんは高等教育の弊害として、自己実現欲求の増大を挙げられている。確かに、大学を卒業することによってキャリア志向となり、結婚が二の次になることによって未婚率が上昇するという考えは一定の説得力がある。では、それを次は考察していこう。

大学を出ないで働いても未婚率は下がらない

 おさらいしておこう。

高等教育を受けた人々は、高い思考力と自己実現欲求を持ち、社会で活躍しようとする。そう言った人々にとって、高いリスクを負う子育てと結婚を忌避していき、他の充実した活動へ精を出す。そのため、生殖可能な時間の大半を他の活動に充ててしまい、いつの間にか婚期を過ぎてしまう。従って、高等教育は少子化を招き、それを廃止することで少子化は解決される。

 これがイブリースさんの主張だ。

 まずはここでも「アイスクリームが売れると溺死者が増える」現象が起こっていることだ。大学のような高等教育機関の実態は、教授から講義を受け、気の合う友人とサークル活動をし、そのほかの時間を自分の楽しみに使う場所だ。教授からの講義を受けることで幅広い観点を持つことで思考力が鍛え上げられるのだろうか?サークル活動を行うことで自分の自己実現欲求が芽生えるのだろうか?

 残念ながらそんなことはない。大半の大学生は授業をうっすらとめんどくさがるし、サークル活動も緩くやるものだろう。実際は、高い思考力と自己実現欲求を持つ人が、一般的に大学に行きやすいということだろう。これは「Fラン大学でも若者はとにかく大学に行っとけ!」のような主張でも見受けられる。確かにFラン大学に行けば大卒の資格は得られるが、それだけで上がる年収なんてたがが知れている。自分の意志を持った努力をしなければ高卒の年収と変わらない。

 そして、百歩譲って大学と思考力・自己実現欲求に因果関係があるとして、本当に思考力に長けて自己実現欲求が高い人々が結婚や子育てを忌避しているのだろうか?

 それは学歴と年収の有配偶率によって分かるだろう。もし本当に高学歴化によって結婚意欲がそがれるなら、現状高卒の方が大卒よりも有配偶率は高いことになる。また、思考力と自己実現欲求が高い人が結婚を忌避しているなら、年収と有配偶率は逆相関していることになる。

 では、実際の資料を見てみよう。

 これは、2010年の国勢調査の一環として、最終学歴と配偶者の状態を調べたものである。ただ、これはわかりやすいグラフを表示していないため、それをまとめて頂いたサイトを借りることにする。

 これを見るとわかる通り、高卒よりも大卒の方が全世代を通して有意に有配偶率が高い。この調査自体は一昔前のものだが、ここ十数年で大卒のみ結婚相手を見つけることが困難になった出来事は起こっていないので、現在でもこの傾向は続いているように思える。

 また、思考力と自己実現欲求が高い人は一般的に年収も高くなることは自明であり、イブリースさんの主張が正しい場合年収と有配偶率は逆相関することが予想される。実際はどうなのだろうか?

 これもまた、国の調査をまとめてくれた人の記事を引用する。

  リンク先のグラフを見ると、男性の場合は綺麗に年収と有配偶率は相関するとわかる。つまり、男性の場合は思考力と自己実現欲求が高いほど、結婚できるということだ。つまり、思考力があり成功したいと思う男性は結婚を忌避し有配偶率が低い(⇒結婚している男性は冴えない普通の男性である)とうイブリースさんの主張は、全くの事実誤認であったのだ。

 また、女性の場合も見る際に注意が必要で、調査対象は50歳前後の、既に結婚時期を過ぎている人達であるということだ。つまり、年収200万円未満の女性は殆ど結婚しているのではなく、結婚した女性が専業主婦やパート主婦となり、その結果年収が200万円未満となる方が適切だと言える。実際、パートで稼ぐことが難しくなる年収300万円からは、女性の未婚率の上昇も頭打ちとなる。女性の場合年収と有配偶率は逆相関するのではなく、年収と有配偶率はあまり相関しないと考えた方が良いだろう。

 このことから、高等教育によって結婚している割合は下がるどころか、逆に現在では高等教育によって結婚する割合が引き上げられていると解釈できる。さらに、女性の場合でも、年収や学歴が高くても結婚への負の影響はほとんどないと言えるだろう。別に大学を卒業した人でも、他の活動と同じくらい結婚に関心を向けて、結婚適齢期になったらどんどん結婚しているのだ。

 そもそも論として、今の日本では出会ってすぐ結婚とはならないため、結婚するためには最低限の男女交際が必要になる。そして、高校を卒業してすぐに就職するよりも大学でのんびり学ぶ方が、明らかに彼女はできやすい。現在では職場でのハラスメントも厳しくなり、不用意に部下や女性を口説くことができない上、高卒で就けるポストなんてたがが知れている。一方、大学ではサークルや部活などで異性と接することが多いため、その分交際の確率も上がるだろう。

 イブリースさんは、大学に入った人々は、結婚の不利益さに気づき、大学で高められた自己実現欲求により他の活動に精を出すと主張している。この理論だと、現代社会でも比較的高等教育を受けていない高卒の人々は、無駄なことに気をそらされずに結婚していることになる。しかし実際は逆で、男性は高学歴・高年収になるほど結婚していき、女性の場合も年収と未婚率は殆ど相関しないと考えられる。このことからイブリースさんの主張は、自分の思い込みにつじつまを合わせたものだと言えるだろう。

 なお、イブリースさんの主張の具体例として、戦前の知識人(特に女性)は結婚してないというものがあったが、これは調べてみたところ事実誤認であった。戦前の女性の知識人で僕は女流作家しか思い浮かべなかったため、参考までに明治から昭和初期にかけて活躍した女性について調べてみた。すると、時代ごとの女流作家をまとめていたサイトがあったため、サンプルは少ないが「(作家の名前) 夫」と検索して配偶者の割合を調べてみた。

 女流作家をまとめていたサイトはこちらである。各時代で著名の作家を2名ずつ紹介していた。

  明治・大正・昭和初期の三つの時代についての、計6名の女性作家の配偶者を調べてみたところ、結婚していなかったのは樋口一葉だけだった。彼女は若くして亡くなってしまったため、そうでなければ結婚していた可能性も十分にある。このことから、イブリースさんの戦前の女性作家が結婚していないという印象も、単純な思い込みであったと考えられる。

高卒の理想化はエリート特有の現実逃避

 超進学校のような上位1パーセント以上の賢い人々が集まる環境にいると、平凡、もしくはそれ以下の頭脳を持つ人々と接することができなる。そうした環境で10代後半から20代前半までの時間を過ごすと、等身大の彼らを学ぶことなく、虚像を参考にして極端な理論を組む失敗に陥る。その一つが高卒の理想化なのだろう。

 イブリースさんは典型的な高卒コンプレックスだ。彼は他にも、高等教育や人類の賢さの悪影響を過度に強調し、それが廃止された虚像としてのユートピアを夢見ている。そんな彼の眼には、先進国となっても宗教による伝統的規範によってTFRが3を維持しているイスラエルも、未だ教育が行き届いていない発展途上国でありながら人口置換水準を下回っている南アジアの国々も見えていない。

 少子化の本質は教育コストの増加ではない。地域の繋がりが薄れたことによる見合い婚の減少と、それに伴う未婚率の増加にある。人類史上ずっと前から自発的に交際相手を見つけられる人は少なかったが、産業革命によって人口が大都市圏に集中したことによって地域の繋がりが薄れて見合い婚が成立しなくなり、それによって結婚できる人の割合が減少したから少子化が起こった。教育コストの増加は産業革命によって人々の時間が余りはじめ、それを教育に投資したからであって、そこを叩いても少子化は解決しないのだ。

 ただ、こうしてエリート層が大衆の実像を見ないまま机上論で考え、過激な主張や意味のない政策に走るのだったら、超進学校は廃止したほうがいいだろう。まだ自我が確立していないローティーンの頃から特殊な環境に置かれ、自分と同じような人々に囲まれてそれ以降の人生を歩む弊害を、イブリースさんは示しているのかもしれない。

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