九州踊る!物語10【甲斐慶編】
こちらは宮崎県延岡市の街中からこの記事をお届けしています。
なにか人生を変えたい、なにか行動したい。
そして、「本気で踊りたい」というあなたに向けて発信します。
語る前に簡単なプロフィールをどうぞ。
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甲斐慶太朗 / 1990年福岡生まれ。
▼erinoa design lab(デザイン事務所) 代表&地域デザインプロデューサー
▼n計画(コワーキングスナック) オーナー
▼離島・満月食堂(準備中) オーナー
▼U35 nobeoka 未来会議(対話の場) 主催者
16歳から音楽業界にて仕事を始める。龍谷大学で地域政策を修める。東京にてベンチャー企業2社で事業部立ち上げに関わる。100年続く焼酎蔵に関わったことがきっかけで、延岡にIターン。2019年より延岡をブランド化する計画を始める。
横文字多めでお送りしております。
僕の肩書きである地域デザインプロデューサーは何かというと「デザインと経営の両面を踏まえ、製品・サービス・事業・地域等のプロデュースする人」です。
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突然ですが、あなたは目の前のことに、本気で熱中して踊り狂ったことはありますか?
僕はあります。
元バンドマンなので、お酒ガブガブ飲みながら、腹の底からシャウトをして、重低音を楽器をかき鳴らしていました。
目の前のお客さんと本気の勝負です。
上からの熱すぎる電気の光と、下のモニターと後ろのアンプから聞こえるベース音、横を見れば大好きなメンバーがいる。
フロアを見れば手を上げて喜び、踊り狂っている顔馴染みのファンの子たち。
終わった後は便所に顔を突っ込んで始発で帰る。
そんな最高の環境は16歳から23歳あたりまで続きました。
ただ、夢はいつまでも続かないんですね。
就活という現実に戻る時がきました。
「バンド以上に本気で打ち込めることはもう二度とないだろうな」
「ここまでやったんだからもう諦めよう」
「あとは普通に仕事をして、家族ができて死んでいくんだな」
そんな言葉がたくさん出てきて、「この後の人生は蛇足だ」と本気で思っていました。
時は流れて東京のベンチャー企業2社を経験して、体力も精神も消費している生活がしばらく続いたある日のことでした。
組織向いてないし、そろそろ独立しようかなーなんて思っているときです。
宮崎県延岡市にいる、ぼくの親戚から連絡がありました。
「うちの社長が東京行くから飯でも食ってこんね」
また唐突やなーと思いながらも、社長と連絡を取り合い、池袋の高級レストランで食事をすることになりました。
この日僕の人生が大きく動いた瞬間でした。
その人は酒造会社の社長でした。
バンド活動や、ベンチャーなどの散るも早い業界にばかりいた僕に、
100年続く企業の思考は魅力的でした。
ローカルに根差すとはどういうことか
ものづくりとはなにか
人と人の繋がりとはなにか
そして「うちにこないか」という言葉に誘われ、延岡に移住することを決めました。
そこからは「ライフワークバランスが整った生活だぜ!いえい!」と言う間もなく
やることが山積みすぎて日常はあっという間に過ぎていきました。
その人の元で思考を尖らせ、自分に何ができるか、何が必要とされているのかなどを考えた結果
デザイナー兼コワーキングで独立することに決めました。
デザイン学校は行ってなかったですが、フライヤーやロゴを作る中で独学でデザインの勉強をしていましたので
ある程度デザイナーとして仕事はできました。
※ローカルは人材不足すぎて、多少スキルが足りなくても最初はご祝儀的に仕事がいただけるときがあります
独立すると決めてからは、さらに怒涛の日々。
立ち上げ当初のパートナーとn計画をつくるクラファンに挑み、必死に120万を集めたときは背筋が震えました。
あんなに遊びまくっていた自分が人に認められた、期待された瞬間だと感じました。
そこからは無我夢中にいろんなことをしながら、コロナ禍を乗り切ろうと今必死に生きています。
独立してから、やっと生きている実感がしています。
すべて自分の責任で動き、お金が入らなければ心臓がバクバクする毎日。
でも僕のデザインや案に感動してくれている人がいて、そこにお金が生まれる。
こんなありがたい毎日はありません。
バンドを解散して、普通の人生が続くと思ったときは本気で絶望しました。
もちろん今も立ち上げたばかりでお金が無くて絶望することはあります。
ただ、いまは家族もいて、仕事もあり、人から頼られていることが実感できる日々。
バンドの時の熱狂的な踊りではなく、穏やかながらも淡々と情熱を燃やしている踊りがいまはあります。
また九州で踊れることに感謝です。
僕のいまの夢は以下のことです。
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30歳までにやりたいことは社長になることだった。
40歳までにやりたいことは大学院に行くのと、上場企業を作ること、世界で一番魂を揺さぶる事業をデザインすること。
死ぬまでやりたいことは世界中を旅しながらその地域の課題を解決する仕組みをつくることと、子どもの成長を健康に見守る事。
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踊り方は変わっただけで、改めて本気で生きていけるきっかけを掴みました。
人生に絶望している、まだやりたいことが見つからない、まだ踊ったことがない
そんな人は一度n計画、宮崎、九州においでませ。
一緒に踊りましょう!!!
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