1980年代の巨人軍ショート物語|酔いどれのプロ野球昔ばなし #4
これは巨人のショートストップ争いに関する物語である。後に正ショートとなり名選手として名をはせる男と、どういうわけかそのショート争いに加われず、常に二軍で雌伏の時を過ごさざるを得なかった男、川相昌弘と上田和明。この二人のプロ野球人生のコントラストを追って見たいと思った。
川相昌弘。この名を知らないプロ野球ファンはあまりいないであろう。バントの名手として、通算犠打世界記録を打ち立てた選手。そんな川相にも当然のごとく激しいポジション争いを勝ち抜くための長い時間があった。
川相は1982年のドラフトで巨人入団。高校時代は投手だったのは有名な話だが、身体能力に惚れ込んだ巨人がショートにコンバート。将来への地保を築いていく。その頃の巨人はV9後期にレギュラーに定着した河埜和正に衰えが見え始め、次世代ショートは必須とされていた。長嶋監督が惚れ込んだ鈴木康友や岡崎郁がその候補とされ、川相はその候補達にどう割っていくのかが焦点であった。ドラフトも下位の川相は取り立てて特別扱いもされることなく、どちらかというとその存在は入団時から地味であった。
ここから先は
2,653字
¥ 150
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?