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1992年のペナントは伝説だった|酔いどれのプロ野球昔ばなし #2

1992年のセ・リーグ

目まぐるしく変わる順位。息をもつかせぬ展開。白熱するペナントレースを野球ファンはどう受け取るだろうか。贔屓球団に強い愛着を持つ方は独走した方がいいのかもしれない。毎日状況が変わるなんて言うのは、いかにも落ち着かない。そんなことに思いを馳せながら、今回はスリリングなことこの上ないペナントレースとなった1992年の話をしようと思う。

1992年のセ・リーグが、シーズン前どんな捉えられ方をされていたかというと、実際は非常に地味なものであった。現在のようにFAなどもないので補強戦線は動きが少なく、ストーブリーグは盛り上がったとはお世辞にも言えなかった。ドラフトも若田部健一が目玉となっていたが、パワーバランスを変えるスーパールーキーというわけでもなく、ペナントの鍵は今以上に若手の成長にかかる部分も大きかった。

では、シーズンが始まる前の各球団の戦力はどう見られていたか。これに関しては、接戦で本命なきペナントと見られていた。前年病床の津田恒夫に届ける優勝を果たした広島の戦力も万全とは言えず、巨人も今現在のような巨大戦力を誇るわけでもなく、ヤクルトもまだ黄金時代には突入していなかった。ただ一つ衆目の一致するところは「最下位は阪神」という予想だけであった。

ペナントレース開幕

開幕カードはすんなり始まった。変化の予兆があったのは開幕2カード目に行われた巨人阪神戦だ。この伝統の一戦も当時ほど色褪せたことはなく、暗黒時代のまっただ中の阪神は巨人に刃が立たなかった。巨人も前年の1991年に低迷するしていたが、阪神にだけは強かった。

そんな両チームの対戦は巨人の先勝で2戦目を迎えていた。この試合も先制した巨人が投手斎藤雅樹のホームランなどで加点し、やはり阪神にだけは強いのか、と思わせる展開となった。実は私もこの試合を球場で観戦しており、余裕で巨人勝利の瞬間を待っていたのだが、試合中盤、ある男が劇的に流れを変えた。亀山努である。ボテボテの内野ゴロに魂のヘッドスライディングで内野安打とすると、勢いに乗った阪神はそのまま逆転。このときの阪神応援席のボルテージは凄まじく、阪神ファンはただの一勝とは捉えていないことがありありと窺えた。

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